2010年09月02日

就活化する世界(3) グーグリネス Googliness

とりわけポスト近代型能力が要求されるのは情報化、消費化された分野であるが、変化と進化の著しいコンピュータ&ネット産業がその典型であろう。しかし今やどの業種も情報化とサービス業化の波を避けられない状況にある。製造業もフォーディズムの全盛期のように、あらかじめ画一的な製品の大量生産を続けることはもはやできない。気まぐれで多様な趣向性を持つ消費者を相手にしながら、彼らの要求を生産にフィードバックさせなければならない。

ウェブ時代5つの定理 (文春文庫)ポスト近代型能力の要請は明らかにアメリカから来ていて、それがひとつのグローバルスタンダードになりつつある。その先端を行く企業の人材の集め方、働き方、仕事の評価を見れば、その具体像を知ることができるだろう。そう言われて私たちが真っ先に思い出すのは、グーグルの社員レストランやレジャーコーナーである。彼らは美味しいものを食べながら、遊びながら仕事をするのである。

「現代の労働者は自分を事業主としてセルフ・プロデュースしながら、市場で競争し、常に自分の生産力を高めていかなければならない」と1回目で書いたが、つまりは普通の労働者であっても、アントレプレナーシップが要求されるということだ。アントレプレナーシップは起業家精神と訳されるが、それは「企業や会社経営に関わるメンタリティとは限らない」一般的な態度だと梅田望夫氏が的確に指摘している。さらに梅田氏の言葉を引用すると(『ウェブ時代5つの定理』)、

アントレプレナーシップとは社会をタフにポジティブに生き抜いていくための総合的な資質なのです。優れたアントレプレナーに共通する特徴は、人生のある時期に、たいへんな集中力と気迫で、新しい知識を確実に習得している、ということです。貪欲なまでに強い意志を持って、自ら道を切り開いていく。好奇心旺盛なアントレプレナーたちは、不確実な未来にいかようにも対応できるよう、徹底して「学び続ける」意志を持っているのです。(梅田)

最も重要なことは最後の一節に書かれている。不確実な未来に対応すること、学び続けることである。これはシリコンパレーの起業家たちについて書いていることだが、グーグルの企業文化についての次のような引用もある。

Google's emphasis on innnovation and commitment to cost containment means each employee is a hands-on contributor. There’s a little in the way of coporate hierarchy and everyone wears sereral hats.

グーグルではみんなが複数の帽子をかぶっている。つまり一人の人間が複数の仕事をこなすのだ。グーグルには数人単位のチームで、アイデア捻出、サービス創造から保守まで自分の手を汚して泥臭い仕事をやるという文化がある。普通、会社の規模が拡大していくと組織が階層構造化し、どんどん自分の仕事に線引きをし、蛸壺化していく。しかしネットサービスの時代になると、「みんながいくつもの帽子をかぶって取り組むことがイノベーションにもコスト削減にも貢献する」。グーグルは売上2兆円近い大企業にもかかわらず「間接部門は極端に少なくし、一人当たりの生産性が高い状態で疾走している状態」なのだという。

「権威を嫌い、階層を嫌い、合意と納得の上で仕事をする」のがグーグルのやり方だとすれば、「権威を傘に着て威張るのが大好き、上下関係最優先、一方的に命令され、納得できずにストレスを溜める。そのため生産性が著しく低い」のが日本の組織だろうか。もちろん、シリコンバレーには、権威と上下関係の元凶である年功序列と終身雇用を前提とする人事部一括採用のシステムは存在しない。必要とする人材は仕事ベースで募集し、その仕事に最適化したチームを作る。人材はその仕事のリーダーが選ぶというのが基本だ。人事部主導で「新卒」を一括採用し、本人の意思と関係なく勝手に配属先をふりわける日本企業のシステムは完全にその対極にあるわけだ。「日本の理系の大学では教授のところにメーカーから卒業生をくださいとお願いが来る。各社にまんべんなく人材を送るために、くじ引きやジャンケンで就職先を決める。どこへ行っても日本株式会社の一部門という感じ」と梅田氏はその実態を証言している。

梅田氏の尻馬に乗ってシリコンバレーを理想化しようなどというつもりは全くない。とはいえ、経団連も「主体的に行動し、自己責任の観念に富んだ、創造力あふれる人材」を採用の基準にすることを、文科省も「人間としての実践的な力」であり、「自分で課題を見つけ、自ら考え、自ら問題を解決していく資質や能力」と定義される「生きる力」を育成することをすでに宣言しているのだ。またそういうディスクールが世間にも蔓延していることも確かである。しかしそういうものが日本のどこに実現されているのだろうか。

経団連のお偉いさんたち自身は近代型能力によって生きてきた世代で、そんな能力を要求されたことなどないはずだ。たとえ日本の若者たちがポスト近代化能力を首尾よく備えたとしても、そういう古い頭の人たちが彼らを使いこなすことができるのだろうか。そして正しく評価できるのだろうか。まさにそのせいで若者たちは会社を辞めるのだと、城繁幸なんかがしばしば指摘していることである。






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posted by cyberbloom at 15:40 | パリ | Comment(0) | TrackBack(0) | グローバリゼーションを考える | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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