ヌーヴェル・ヴァーグ以降、しばらく停滞気味だったフランス映画界に、80年代に入るとフレッシュな感覚をもつ若い監督たちが次々と現れます。とりわけ「ディーバ」 (1981) のジャン=ジャック・ベネックス、「サブウェイ」 (1984) のリュック・ベッソン、そして「汚れた血」 (1986) のレオス・カラックスら(注1)は、日本でも話題になり、学生だった私も彼らの作品を見ようと映画館に足を運んだものです。3人のなかではリュック・ベッソンがこの後ヒット作を次々飛ばし(注2)、世界的に知名度が高くなっていますね。でもこの当時観た彼らの作品のなかでいちばん鮮烈だったのは、文句なしにカラックスの「汚れた血」です。愛の無い性行為によって感染する病気STBO(注3)が蔓延したうえ、ハレー彗星の接近で異常気象に見舞われるパリ。主人公のアレックス(ドニ・ラヴァン)は「生活を変える」ための金を手に入れようと、恋人リーズ(ジュリー・デルピー)の前から姿を消し、死んだ父親の仲間、マルク(ミッシェル・ピコリ)の誘いに乗ってSTBOのワクチンを盗む計画に加わるべく彼の家へ身を寄せますが、そこでマルクの恋人アンナ(ジュリエット・ビノシュ)(注4)に心を奪われてしまいます‥‥
スクリーン上で観た映像の美しかったこと! アンナの肌の透けるような白さや彼女が着ていたカーディガンの鮮烈な赤い色が今でも目に焼き付いています。私はどちらかというと捨てられた恋人リーズのほうが好きなんですが、カラックスが当時のパートナーだったビノシュをこれでもか、というくらいきれいに撮ろうとする熱意が映画全体から伝わってきて、この映画はやはり彼女の代表作であることは否めません。そして作品の随所にみられる「スピード」の感覚。ベネックスやベッソンの作品にも「速さ」の表現が見られますが、カラックスのそれは独特のものです。アレックスはリーズに「スピードの恍惚」を感じるよう、自分のオートバイを残していきますが、彼女がそれに乗って疾走するとき、私たちも同じくその恍惚を味わうのです。
その映像美に加え、この作品では音楽、特にプロコフィエフやブリテンといったクラシック音楽が効果的に用いられています。アレックスの留守電に使われたプロコフィエフの「ロミオとジュリエット」の一節は、その後に残されるメッセージともども非常に劇的ですし、アレックスがアンナを初めて目にしたときに流れるストリングスの旋律は、彼の心の動きをまるで音に変えたかのようです。クラシックだけでなく、シャンソンやロックも多用され、なかでも中盤のクライマックスになっているのが、デヴィッド・ボウイの「モダン・ラヴ」に合わせてアレックスががむしゃらに通りを駆け抜ける場面。この部分はとても長いこともあって賛否両論なんですが、いろんな意味で記憶に残る場面です。
注1:当時彼らは「ヌーヴェル・ヌーヴェル・ヴァーグ」だとか、「ネオ・ヌーヴェル・ヴァーグ」だとかいう呼称でひとまとめにされていましたが、方向性は三者三様でした。
注2:「グラン・ブルー」、「ニキータ」、「レオン」の監督として、また「TAXI」や「WASABI」のプロデューサーとしても、おなじみですね。
注3:当時深刻化していたエイズの問題が暗示されています。ちなみにフランス語では エイズは SIDA と表されます。
注4:「汚れた血」にはヌーヴェル・ヴァーグ、とりわけジャン=リュック・ゴダールへのオマージュがあちこちに見られます。ジュリエット・ビノシュ演ずるアンナは、「女と男のいる舗道」や「女は女である」など60年代のゴダールの作品に多く主演し、パートナーでもあったアンナ・カリーナのイメージが色濃く反映されています。髪型なんかそのまんまだし、役名も「アンナ」だし。
exquise@extra ordinary #2
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