2010年05月15日

I Dream You Love Me Still The Same A. マックイーンの死に思う

アレクサンダー・マックイーンの訃報から一ヶ月が経ちましたが、いまだに実感が湧きません。まだ40才。パンク以降の新しいイギリス発ファッションを世界中に認知させた立役者としたデザイナー、スコットランド系のルーツを大事にするワーキングクラスヒーロー(ロンドンのタクシードライバーの息子でもありました)として広く知られた彼の身に何が起こったのか。
 
Alexander Mcqueen: Genius of a Generation母を亡くしたばかりで、死を選んだ日は葬儀が執り行われる事になっていました。スター・デザイナーとして華やかな日々を生きる一方、マックイーンは普通の人である家族との絆を大事にする人だったようです。640,000 ポンドもするフラットに住みながら、下町にある実家に帰っては両親のためにお茶を入れ、クッキーをつまみくつろぐ時間も大事にする。そんなマックイーンにとって、家族の死は深い悲しみであったのは想像に難くありませんが、母の喪失は特別の意味があったようです。
 
社会科の教師をしながら6人の子を育て上げたマックイーンの母、ジョイスは、この「ちょっと変わった」末っ子をずっと支えてきました。16才で学校をドロップアウト。伝統的なイギリス紳士のスタイルを守り続けてきた仕立街、サヴィルロウで仕立職人見習いとして働き始め、ロイヤルファミリーのスーツを手がけるまでに腕を磨いた後、多くの著名デザイナーの出身校として有名な芸術大学、セント・マーティンズ・カレッジで初めて正規の教育を受ける — 他のファッションデザイナーと比べても異色の経歴です。マックイーン自ら、自分のことを”一家のPink Sheep”と称していたそうですが、人と違う道を行く息子を、母はずっと応援してきました。最初のコレクションでは材料の購入資金を援助するだけでなく、針を持ってビーズの飾りを作るのを手伝い、成功した後もコレクションのバックステージで息子を気遣っていたそうです。ゲイである事をカミングアウトしても、最終的に受け入れてくれました。新聞の企画で母からインタビューを受けた際、面と向かって「(あなたを)誇りに思う」と言い切ったマックイーンにとって、その死は計り知れない悲嘆をもたらしたのでしょう。
 
Alexander McQueen: Savage Beauty (Metropolitan Museum of Art)この母とは違うやり方で理解し、支えてくれた人を、マックイーンは3年前に失っています。イギリス・ファッション界の名物スタイリスト/エディター、イザベラ・ブロウ(→)。マックイーンの卒業制作コレクションを、偶然見たのが事の始まりでした。表面のキラキラにまどわされず、真の輝きを秘めた才能の原石を掘り出すことで有名だったブロウのアンテナが反応します。「空いている席がなく、私は階段に腰を下ろしてショーを眺めていた。そして突然思った。素晴らしい。今見せられた作品をみんな手元に置いておきたい。」ブロウは結局、このコレクションの作品全部を買い上げることにします。お値段は、一着300ポンド。デザイナーの卵にしては強気な値段です。さすがにまとめて支払う訳にゆかず、毎月1着ずつ購入することになりました。マックイーンは毎回作品をゴミ袋(!)に入れて持参し、ブロウが代金を銀行のキャッシングコーナーで引き出すのに付き合ったそうです。
 
きっぱりしたボブの黒髪に、発想の限界に挑戦する斬新な帽子(自ら発掘した帽子デザイナー、フィリップ・トレーシーの手によるもの)、流行や虚栄と一線を画した着こなしがトレードマークのエキセントリックな才女は、デザイナーとして一歩を踏み出したマックイーンを励まし、業界の泳ぎ方を教えました。ファーストネームの“リー”ではなくミドルネームの“アレクサンダー”を名乗るよう進言したのもブロウでした。また、押し掛けPRとして、独自の人脈を駆使しマックイーンの売り出しに尽力します。ジバンシーのデザイナーに就任したのも、グッチ・グループ傘下にマックイーンのブランドが入ったのも、ブロウの力添えがあったと言われています。
 
Alexander McQueen: Evolution強い個性と挑み続ける姿勢はもちろん、笑いのツボから繊細さまで似通ったところの多かった二人は、20才ほどの年の差や階級の違い(ブロウは由緒正しい貴族の出)を乗り越え、友情を超えた強い絆で結ばれていました。マックイーンの両親ともお茶を楽しむ間柄であったようです。しかし、ファッションビジネスの世界は、二人の関係に影を落とします。一般の目には奇抜にしか見えないものにも美を見いだし、世間のファッションの許容度を変えてきたブロウの心意気は、利益を上げていかねばならないビジネスの世界にはしっくりこず、骨を折ったにもかかわらず、「デザイナー」マックイーンと仕事をする機会はついに与えられませんでした。(オードリー・ヘップバーンのお召し物として名を馳せたジバンシーのデザイナーになることが決まった時、ブロウは新生ジバンシーの顔として、イギリスのモデル、オナー・フレーザー(↑)を起用することを考えていたそうです。しかしこの興味深いプランも実現しませんでした。)  
 
名声は得ても実を手に出来ないもどかしさ、失意を味わい続けたブロウは心を病みます。プライベートでの悩みとガン発病が追い打ちをかけ、追いつめられた彼女は、ある日致死量を超える除草剤を飲んで倒れているところを発見されます。徐々に臓器の機能を弱らせてゆく毒のせいで、緩慢な死への時間を耐えなければなりませんでした。お気に入りのマックイーンのドレスを着せられて、ブロウは旅立ちます。
 
マックイーンは、霊媒師をやとってあの世のブロウとコンタクトを試みていたことがあるそうです。ブロウは上機嫌でした。「こっちではみんな元気でやってるわ。でも、ママは私の帽子と靴がどれも気に入らないみたいで、借りようとしないのよね。」今頃、二人で問題解決のために知恵を絞っているのでしょうか。R.I.P.





GOYAAKOD

人気ブログランキングへ
↑ライターたちの励みになりますので、ぜひ1票=クリックお願いします!

FBN22.png
posted by cyberbloom at 11:36 | パリ | Comment(0) | TrackBack(0) | ファッション+モード | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック