2010年04月22日

『卒業』とアメリカの68年

卒業(1967) 【プレミアム・ベスト・コレクション\1800】 [DVD]結婚式の真っ最中に花嫁を奪う。これほどドラマティックな出来事はないし、花婿や両親に対するこれ以上のダメージはない。言うまでもなく、ダスティン・ホフマンの出世作となった『卒業』(1967年)のことである。また音楽とラストシーンがこれほど印象深く結びついている映画もない。サイモン&ガーファンクルの「サウンド・オブ・サイレンス」のことである。最近、main blog で「映画の文化的、時代的な背景」がちょっとしたテーマになっているが、『卒業』もまたその時代背景を理解すると印象が一変する映画だ。私が『卒業』を見たのは高校生のころだったが(もちろんリアルタイムではない。思えば、私が初めて映画館で見た洋画はイレーン役のキャサリン・ロス主演の「レガシー」だった)、それがアメリカの世代間の文化戦争の反映だと知る由もなかった。

すべてをぶち壊しにした自分たちの行為に酔っていられる時間はそう長くはない。ラストシーンでベンとイレーンはバスの後部座席でどうしたらいいのか途方に暮れる。そもそもベンは映画の始まりから自分が何をやりたいのかわかっていなかった。しかし、はっきりとわかっていたことは、大学を卒業して家に戻ってきたとき、両親から受け継ぐべき世界が、自分の求めるものではないということだけだった。その後、ベンははっきりと自分の進むべき道を見出す。ちょっと強引な言い方をすれば、マイクロソフトのビル・ゲイツやアップルのスティーブ・ジョブスは彼のなれの果てなのだ。

「卒業」というタイトルだが、問題になっているのは大学からの卒業である。小熊英二が『1968―若者たちの叛乱とその背景』で日本の大学の1968年を描き出しだしたように、アメリカの68年もその後のアメリカを見る上で興味深い転換点になっている。アメリカの68年は、その後の世界の趨勢にまで多大な影響を与えただけでなく、現在の支配的なライフスタイルの原型を作ったのだから(詳細は次回以降)。

ベンの表情は今見ても感動的だ。こういう表情を今の映画では撮ることはできない。虚飾に満ちた大人の世界をがむしゃらに突破しようという情熱。今の世の中は草食系ばかりが話題になり、そういう若者の情熱と出会わない。若者が時代を食い破るような情熱を持てない世界は衰退していくしかないのだろうか。

卒業-オリジナル・サウンドトラックとはいえ、次の時代への脱皮の準備をしたのは大人たちだった。今のままではアメリカはもたないという意識から出たことだったのだろう。当時アメリカの大学は大きな変化の中にあった。ハーバード大学を例に挙げるなら、一地域のエリートのための閉じた大学から、アメリカの優秀な頭脳を集めた活気のある大学に変貌していた。1952年のハーバード大学は北東部の社会のエリート限定で、新入生はほとんどがWASPだったが、1960年にはアメリカ全土から学生を受け入れるようになっていた。ハーバードの学生は昔から優秀だったわけではなく、学力もこの時期に飛躍的にアップしたのだ。ハーバードだけでなくアメリカの有名大学が同じ時期に、血統や縁故ではなく、知能によって切磋琢磨するメリトクラットたちに門戸を大きく開いたのだった。多くの大学でユダヤ人(ダスティン・ホフマンはユダヤ系である)や女性に対する割り当て制限も撤廃され、大学の民主化も著しく進んだ。

そのような環境の中で、新しい成り上がり者たちは旧勢力にとって変わろうとした。WASP的な文化を破壊し、個人の実力を基準とした新しい気風でアメリカを塗り替えようとしたのである。いつの時代もそうだが、消えゆく運命にある既得権益層は、新興勢力を脅威として感じれば感じるほどますます意固地になる。最後のベンの行動を阻止しようと必死につかみかかる親たち。ベンはそれをかわして教会の扉を十字架でふさぐ。そしてイレーンの手を取り、彼らの目の前を軽やかに駆け抜けるのだ。1960年代の後半の若者たちの文化革命を右派は天災と言い、左派は奇跡と言ったが、それは1955年から1965年のあいだにアメリカの大学で起こったトレンド転換の必然的な帰結だった。

『卒業』ではプロテスタントのエリートたちの生活が情け容赦なく暴露されている。当時のWASPたちがどういう価値観を持ち、どういう暮らしをしていたかはデイビッド・ブルックスの『アメリカ新上流階級 ボボズ』に活写されている。豪奢なバー、モノグラム入りのゴルフシャツ、金時計、白い壁と白い家具。これらは浅はかさと偽善の象徴である。実際彼らは映画の中で人形かロボットのような印象を受ける。昔見た特撮人形劇「サンダーバード」(1965年のイギリスの作品)を思い出させる。そしてミセス・ロビンソンの姿を通して、カクテル三昧の生活に隠された絶望が暴かれる。ベンとミセス・ロビンソンの不倫関係が明るみに出るだけで、すべての仮面がはがれ、すべての虚像が脆くも崩れ去る。それらがいかに危ういバランスの上に成り立っていたかを証明するように。

ベンがイレーンを連れ去れる教会はサンタ・バーバラのプレスビテリアンの教会(長老派と呼ばれるWASP的な教会)である。花嫁を奪われる男は典型的なWASPタイプのくそ真面目なブロンドの医者。イレーヌに対する「僕たち、素晴らしいチームになれるよ」というプロポーズの言葉には、WASP文化の軽薄さと感情の冷淡さ、そして体育会系の執拗なスポーツ志向が表れている。

The Graduate - End Scene



cyberbloom

人気ブログランキングへ
ライターたちの励みになりますので、ぜひ1票=クリックお願いします

FBN22.png
posted by cyberbloom at 08:04 | パリ | Comment(0) | TrackBack(0) | グローバリゼーションを考える | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック