2010年02月17日

役者としてのポランスキー、あるいは迷宮としてのパリ〜懐かしの70年代の名優たち(10)

2009年9月、映画監督ロマン・ポランスキーが滞在先のスイスで身柄を拘束されたというニュースが流れた。このブログでも以前に触れた、32年前のアメリカでの暴行容疑の為である。マーチン・スコセッシら世界の映画人たちが彼を支援する声明を発していたが、どうやら釈放される見通しである。新作の完成も控えているということで、気になるニュースであった。さて、ここではクリント・イーストウッドと同様に、フランスで最も愛されている映画作家の一人、ロマン・ポランスキーについて語ってみよう。

戦場のピアニスト [DVD]最近のポランスキーといえば『戦場のピアニスト』(2002年)が米国アカデミー監督賞を受賞したり(しかしもちろん授賞式には出席していない)、ディケンズ原作の文芸大作『オリバー・ツイスト』(2005年)を世に出したりと、妙に巨匠じみた振る舞いをし、またそのような扱いをされているのが目につく。しかし、昔からのポランスキー愛好者は最近の作品には到底満足していないだろう。ポランスキーの真骨頂は彼の60年代後半から70年代の活動にこそあるのだから。

むろん、『マクベス』(1971年)がシェークスピアの史劇をおどろおどろしい恐怖映画に変貌させたとか、『テス』(1979年)が女優ナスターシャ・キンスキーを世に送り出し、トマス・ハーディの原作を映画史に残る傑作に仕上げてしまった、という程度の話ではない。これらの作品でもまだポランスキーらしさが完全に発揮されているとは言えないのだ。むしろポランスキー自身が役者として出演する作品にこそ、彼の映画の真髄があるのではないだろうか。例えば『吸血鬼』(1967年)。このオカルトなのかコメディなのか分類不能の映画の中で、頼りない生真面目な青年を嬉々として演じているポランスキーは実に素晴らしい。そして『チャイナタウン』(1974年)。ジャック・ニコルソン主演のこのフィルム・ノワール史上に残る傑作の中で、突然、主人公にナイフで切りかかる男として登場するポランスキーは自分の映画が孕む衝撃を完全に掌握しているという印象を与える。この頃の彼の映画が持つ強度を我々は忘れることが出来ないであろう。

しかし私が一番問題にしたいのは、日本では未公開の『下宿人』(1976年)という映画だ(『テナント/恐怖を借りた男』という邦題でビデオ発売あり)。この作品こそ、その後のポランスキーの世界を決定付ける作品になったといっても過言ではない。パリに住む会社員の男(ポランスキー)が、あるアパートに引っ越す。若い恋人(イザベル・アジャーニ)も出来て、新しい生活が始まろうとする。だが、どうやらその部屋の以前の住人に何か悲惨な出来事があったらしいのだが、詳しいことを知ることが出来ない。しかし、ことあるごとに以前の住人の影が男のそばにしのびより、次から次へと男の身辺に奇怪な出来事が起こり始める。男は精神的に追い詰められていく。これは現実なのか、それとも男の単なる妄想に過ぎないのか…。

こういう人物を演じるとき、ポランスキーは実に巧みな俳優となる。これはポランスキーがパリに住み始めたころの作品だが、まるで彼自身がパリという都市の中で彷徨っている様を捉えたかのようにも思えてくる。この作品はこの年老いた都市に住む魔物、その迷宮的感覚を見事に捉えた傑作であると思う。魔術的幻惑を生み出すことに長けたポランスキーの映画術にかかればパリがこのように不気味な街に変わってしまうのかと誰もが唸らされるのではないだろうか。

フランティック [DVD]実際、このあとのポランスキーの映画はこの『下宿人』を反復しているのではないかと思える。例えば、『フランティック』(1988年)では学会の為にパリに滞在しに来た医師(ハリソン・フォード)のもとから妻が忽然と姿を消す。彼女を探していくうちに理由の分からぬ犯罪の中に巻き込まれ、男はパリという見知らぬ都市の中で彷徨い続けることを余儀なくされる…。また、『赤い航路』(1992年)では謎めいた美女の魅力に憑かれた初老の作家がパリの街で果てしなく転落していく様が描かれる。そして、『ナインスゲート』(1999年)では廃墟に残された古文書の解読を任された探偵(ジョニー・デップ)が、行く先々のパリの街角で奇怪な殺人事件に巻き込まれ、いつのまにか狂信的組織の犯罪に絡め取られていく…。まさに、『下宿人』のテーマをポランスキーは繰り返し映像化しているのだ(主人公を幻惑の中に誘う女が常にエマニュエル・セニエというポランスキーの妻でもある女優によって演じられることも興味深い)。

ポランスキーにとってパリは常に自身のアイデンティティーを揺るがされる迷宮に他ならない。自分が信じていたものが消え去り、自分が確かだと思っていたものの根拠が瞬く間に失われていく場所。いかなる人物もそこで安息を得ることは出来ない場所。それこそがポランスキーにとってのパリなのだ。彼はそれ以外の形でパリを捉えることはできないし、そうする気はさらさらないであろう。

このようなポランスキーの映像感覚は彼がポーランドという地図上から三度姿を消した国の出身であることと無関係ではあるまい。国家ほど彼にとって不確実であるものはこの世にはないのだ。いつ自分の住む場所を奪われるのか。いつ自分が自分であることを否定されるのか。これこそがポランスキーが常変わることなく持ち続けている感覚なのだ。こうした感覚は彼がどのような名声を得たとしても変わることはないだろう。そしてこれは一人ポランスキーだけのものではなく、実は誰もが感じてもおかしくない普遍的な感覚なのではないだろうか。





不知火検校

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posted by cyberbloom at 14:27 | パリ | Comment(0) | TrackBack(0) | 日本と世界の映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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