2006年02月15日

ブランショ『政治論集 1958-1993』

ブランショ政治論集 1958-1993』が月曜社から翻訳刊行されました。

フランス国民による欧州憲法批准拒否という歴史的出来事を予告し、またそれと呼応するかのように、この訳書が日本で出版されたのはもちろん偶然にすぎないわけですが、「共同体」をさまざまな角度から思考し、思考し直すべき今日、ブランショが書き綴った政治論集を手にとり、じっくりと読み込む意義は大きいのではないでしょうか。

2003年2月20日、95歳で亡くなったモーリス・ブランショ。現在なお続くフランス第五共和制に生きながら、アルジェリア独立戦争、68年5月といった大きな政治的問題、あるいは80年代以降の「記憶」をめぐる問いに対し、文学という場を保持しつつ、いや、まさにそれを保持するために –、さまざまな政治的な状況を自身の問題、そして文学の問いそれ自体として生きぬいた批評家の姿がここに初めてかいま見ることができます。

訳者あとがきに書かれているように、ブランショ30年代の政治時評は残念ながら収録されていないとはいえ、『ブランショ政治論集 1958-1993』翻訳が今この時代に持ち、今後未来において持ち得るその価値に変わりはありません。

それどころか、その30年代ブランショの政治的言説の欠落を補うかのように、若い3人の訳者たちはこの日本語版のために、ブランショの「政治論集」として収められるべき重要な二つの論文「忘れないでください!」と「沈黙に捧げられたエクリチュール」を追録してくれています。
 
安原氏、西山氏、郷原氏がそれぞれの立場からこの書物に与えたいと考える重要性は、3人の共通理解というオブラートで包みながら解説をひとつ巻末に掲げるのではなく、それぞれが執筆した訳者改題に、訳者の、そして研究者としての意気とともに表れているように思えました。『ブランショ政治論集 1958-1993』はフランスの出版社 Galilée の本作りを意識しているのではないでしょうか。穏やかなクリーム色のこの本の肌触りを楽しみながら、ブランショの思考の跡を留めたページにまなざしを注ぎながら、ブランショが時代と共に歩んだ透徹した思考を追体験したいと思わせてくれる本に仕上がっています。

僕は『踏みはずし』『火の部分』といったブランショ40年代の著作、『文学空間』『来るべき書物』という50年代の仕事を中心に齧り読みしたあと、ブランショからは離れてしまっていたのですが、僕自身の問題とともに、この訳書を脇に抱え、あらためてブランショを読みなおす機が熟しつつあるのを感じています。

ブランショの名前をはじめて聞いたという方に。

多様な輝きを発するまでになったひとつの思考を理解しようとするとき、ただ忍耐強くその言葉に耳を傾け、また自身も他の多くの声に耳を澄ます必要があるかもしれません。

ブランショの名前をすでに知っておられる方に。

言わずもがなのことですが、彼の著作のなかにすでに仄見えていた「政治的な」表情を真摯に受け止めましょう。適切な引用かどうかはわかりませんが、ブランショの言葉を。

「文学が政治的ないし社会的活動に真摯に結びつくことによっておのれの無償性を忘れさせようとする際、この参加は、離脱という形で成就される。そしてこの活動が文学となるのだ」

最後に、ここに、唐突に、「友愛」amitié という言葉を書きつけておきたいと思います。

ブランショの、つい先ごろやはり亡くなった哲学者ジャック・デリダの、そして『ブランショ政治論集 1958-1993』訳者のひとり、友人である彼の... さまざまな「友愛」。


Pst@フランス文学・思想
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ブランショ政治論集―1958‐1993
モーリス ブランショ Maurice Blanchot
安原 伸一朗 郷原 佳以 西山 雄二
月曜社 (2005/06)
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posted by cyberbloom at 11:02 | パリ ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | 書評−文学・芸術・思想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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