2009年11月20日

My Ever Changing Moods バブル世代のテーマソング

weller01.JPGデパートの服売場をブラブラ歩いていると、どこかで見たことのあるシルエットに目が留まった。それが誰のものか気がついたとき、すでに頭の中には、My Ever Changing Moods のイントロが流れ出していた。タケオキクチがスタイル・カウンシル Style Council とコラボTシャツを作ったらしい。衝動買いしちゃったよ。

次に馴染みの輸入モノの古着屋に寄ると、お店のお姉さんが、ブルーの色合いと襟の感じが「これしかない」と思わせるラルフ・ローレンの半袖のシャツを出してくれた。サイズもぴったりだし、さっきのTシャツにも合いそう。シャツはリサイクル、リユースで十分。古着は趣味だけでなく、実需の問題になりつつある。すでにシャツに何万も出すのがバカバカしい時代になってしまった。このメンタリティーは百貨店の売り上げが落ち続け、ユニクロばかりが儲かるデフレ状況とも共振しているのだろう。1000円を切るジーンズが登場したり、衣料品の値段の水準が切り下がっていることで、古着も売れなくなっていると聴く。

ところで、ポール・ウェラー Paul Weller はバンドの絶頂期にあったパンクバンド、ジャム The Jam を解散し、ミック・タルボット Mick Talbot らとスタイル・カウンシルを結成した。「マイ・エヴァ・チェンジング・ムーズ My Ever Changing Moods 」がヒットしたのは1984年のことだ。

My Ever Changing Moods - THE STYLE COUNCIL

スタイル・カウンシルは80年代のイギリスの顔みたいなグループだったが、当時のイギリスは製造業が衰退し、景気の良い時期ではなかった(ブレア政権下の2000年あたりから金融産業で復活するも、それがサブプライムで裏目に出てデフォルトに陥るとも言われていた)。一方日本はバブル突入前夜。まさに日本は「シャウト・トゥ・ザ・トップ(Shout to the Top)」(この曲はTVのテーマ曲やCMによく使われていた)という状態にあり、スタイル・カウンシルは本国イギリスよりも日本で高い人気を誇ることになった。時代の気分にぴったりはまっていたのだろう。一方、当時の友だちの大半は決まりきったようにユーミンかサザンのファンだった(ユーミンとサザンはミリオンセラーアーティストとして離陸を開始した頃だ)。

Shout to the Top - THE STYLE COUNCIL

Our Favourite Shopザ・スタイル・カウンシル・グレイテスト・ヒッツ

スタイル・カウンシルは、ソウル、ファンク、ボサノバ、ジャズなど様々な音楽のスタイルを取り入れたスキゾフレニックな音楽だった。それはジャムの枠に納まりきらなかったポール・ウェラーの多彩な趣味を反映していて、その確信犯的な節操のなさがカッコよかった。特にこの代表曲はムードが変わり続ける(ever changing)という彼らのスタイルを高らかに宣言しているようだ。めくるめく商品、めくるめくトレンド、いろんなものに目移りしながら軽やかに街を歩く感覚に満ちていた。

久しぶりにクローゼットの奥からベストアルバムを引っ張り出してiPodに入れたら、ここ一週間のヘビーローテーションになってしまった。しかし、バブルはとっくに吹き飛んでいて、脳天気なバブル世代も冷水をぶっかけられるような時代に突入してしまった。

「おひとり様」で知られる社会学者の上野千鶴子が対談本『ポスト消費社会のゆくえ』の中で次のように書いている。「私たち団塊世代は、自分の成長期と日本社会の成長期が歴史的に重なった世代です。それは歴史の偶然にすぎませんが、幸運だったと思います。私たちの世代は、時間が経てば事態は今よりも良くなるだろうという、身体化された根拠なき楽観をもっていました。ところが今の若者は、91年からの長きにわたる不況のもとで、思春期を過ごしてきて、時間が経てば現状よりも悪くなると感じながら大人になってきた世代です。生命体として成長するさなかに、そういう後退の感覚を身体化していきます」

こういう決定論は傲慢に聞こえるし、言われた方は救いようのない気持ちになるだろう。社会学どころか生物学的な決定論はさらに救いようがない。こう断言してしまうところが、恵まれた世代が若い世代の現状を理解するのはいかに難しいかを物語っている。バブル世代は「身体化された根拠なき楽観」を持てた最後の世代なのだろう。確かにそういうものに支えられている実感はある。しかし団塊世代のように逃げ切れる保障は全くない中途半端な世代でもある。それにバブルは所詮バブルで、コアになるような中身のある経験をしたわけでもない。

しばしば上の世代からばら撒かれる、いかにも信憑性のありそうな物語に乗ってはいけない。そんなものを間違っても内面化してはいけない。それは多くの場合、彼らの自己正当化であり、下の世代の自己責任化を促している。高度成長期には日本人として同じ時代を歩んでいるという一体感はあったかもしれないが、私の世代あたりから時代性が希薄になり、その空隙にサブカルチャーが侵入し、しばらくして今度はサイバースペースが充填された。良くも悪くも同質な、時代の刻印のない世代なのだ。

所詮根拠がないオプティミズムならば、どこからか調達すればいい。オプティミズムの作られた方も変わってしまったのだ。それが身体化され得ない脆弱なものだとしても、ありあわせのオプティミズムで自分の物語を支え、彼らの優勢な物語に対峙させるしかない。ブルーな自分を笑うユーモアや、自分を奮い立たせるカラ元気もときには必要だ。音楽もまたそういう役割を果たしてくれるだろう。スタイル・カウンシルがそういう音楽だというわけじゃなく、それぞれが自分を勇気付ける自分だけの音楽を持っているという意味で。音楽は直接的な世界像を与えてくれるし、移ろいゆく音は自由の象徴のようなものだ。

最後に他人のフンドシを借りて、フランスに落とそう。スタイル・カウンシルはポール・ウェラーのビジュアルにも多くを負っていたが、彼のファッションはフランスとは無縁ではない。次のキャベ男さんの一節はイギリスとフランスの微妙な関係をうまく言い表している。

「ジャケットはコートをまとったポール・ウェラーとミック・タルボット。カッコ良すぎる。インナー・スリーブではパリ8区フランソワ1世通りのカフェを前に、ほぼ同じスタイルの二人の姿を捉えた写真があるが、ジャケットの写真もこのパリ8区での撮影なのだろうか?ちなみに裏ジャケットには、ロベスピエール、ダントンと並びフランス革命において中心的役割を果たしたマラーの言葉が引用されている。それにしてもこの二人のファッション、イギリス人が意識したフレンチ・カジュアルなのかもしれないが、パンツはくるぶしの上5センチでカットされており実にイギリス的。そして、録音も当然ロンドン。写真はパリ、アルバム・タイトルをフランス語にしてもイギリス人がパリなんかでロックのレコードを録音できるはずがない」(by キャベツ頭の男)


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posted by cyberbloom at 22:18 | パリ | Comment(0) | TrackBack(0) | Musique pour…のための音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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