2009年10月28日

フランス文化の死(2) 過去の遺産と現代の文化

アメリカの雑誌「タイム」のヨーロッパ版に掲載された「フランス文化の死」の続き。



time1107.jpg文化的な衰退は評価しにくい問題である。一部の保守的なフランス人は伝統的に19世紀と20世紀初めの厳密な階級社会に対してノスタルジアを抱く。逆説的に、その堅苦しい時代が反動的にその後のフランスの文化に活力を与えたのである。多くのフランスの芸術家たちは教育制度に反抗することによって生まれた。ロマン主義、印象派、モダニストの芸術家たちは当時のアカデミックな基準に対する反逆者だった。しかし、その基準は極めて高く、それに反抗する芸術家たちの質をも高めることに貢献した。

もちろん、文化の質はそれを見るもの視点にかかっている。まさにそれが文化の意味なのだ。文化(=culture)はもともと農業などでモノが育つことを指していた。その後、現代になって、文化人類学者や社会学者が、大衆が熱狂する低級な文化を含む言葉として文化の意味を広げたのである。

フランス政府は幅広い文化活動をサポートするのにGDPの1・5%を支出している(ドイツは0・7%、イギリス0・5%、アメリカ0・3%)。文化省は11200人の公務員を擁し、美術館、オペラ座、演劇祭などの主要なハイカルチャーに気前良く金を出す。しかし、文化省はまた1980年代にアングロサクソンに対する競争力を高めるためにロックンロール大臣を任命したこともある(成功しなかったが)。同じように国会は2005年にフォワグラを国の文化的な遺産に指定することを決めた。

文化助成金はフランスに偏在している。映画の制作者は非ポルノ映画であれば前払いで受け取ることができる。フランスの主要な有料チャンネルであるCANAL PLUS(カナル・プリュス)は収入の20%をフランス映画の権利を買い取るのに使わなければならない。40%のテレビのショーとラジオの音楽はフランス語であることが法律で決まっている。時間帯の割り当ても決まっていて、フランスの番組が深夜に追いやられることはない。またフリーランスのパフォーミング・アーティストとして働く場合は、政府から特別の手当が支給される。画家や彫刻家は補助を受けたスタジオが与えられる。また外務省も他の主要国の文化活動までも援助している。フランスは飛行機一杯分のアーティストやパフォーマーを外国に送り出し、148の文化グループ、26の研究所、176の海外の発掘調査に助成金を出している。

これらの有利な条件にも関わらず、なぜフランス文化は外国で成功しないのだろうか。ひとつの問題は多くのものがフランス語で書かれているからである。しかし、フランス語は今や世界で12番目の言語にすぎない(1番は中国語、2番は英語)。1940年代50年代フランスは芸術シーンの中心で、「注目されたかったらフランスに行け」だったが、今はニューヨークに行かなければならない。

もうひとつの問題は助成金だろう。アメリカは政府の助成金なしで多くの質の高いハイカルチャーを生み出している。助成金は個人や民間(そして個人や民間のお金)が文化的な空間に参入するのを妨げていると批判する者もいる。

他の批評家は次のように警告する。文化産業を保護することはそれらの魅力を狭めることになると。割り当てと言語の壁に守られた国内市場では、フランスの制作者は海外で売らなくても繁盛できる。フランスの映画は5本のうち1本しかアメリカに輸出されない。もしフランス人が何がアートで何がアートでないかを決めることができる唯一の国民だとすれば、フランスのアーティストたちはうまくやっていけるだろう。しかし、プレイヤーはフランス人だけではない。フランス人も外を見なければならない。

フランスの国民性もその原因のひとつだろう。抽象と理論が長い間フランスの知的な生活で称揚され、フランスの学派で強調されてきた。その傾向はフランスの小説に顕著である。フランスの小説は、内省的な1950年代のヌーボーロマンの運動の影響に今も苦しんでいる。今日最も批評家に崇拝される小説家の多くは優雅だがどうでもよい小説を書き、それはあまり売れない。オートフィクション autofiction と呼ばれる小説を書く小説家もいるが、それは深い自己耽溺の中で表現することを前面に出した自叙伝のようなものである。アメリカの作家はハードに仕事をし、成功することを望む。しかし、フランスの作家は知的でなくてはと考えるのだ。

逆に当のフランスでは外国の小説、特に時事的な、リアリズムの小説がよく売れている。フランスでは文学は依然まじめなものとみなされている。しかし、アメリカの小説を見ると、それは何らかの方法でアメリカの状況を描いている。フランスの作家たちも面白いものを書いてはいるが、彼らはフランス自身を見ていない。

フランス映画もヌーボーロマン・コンプレックスに苛まれてきたが、今では「アメリ」のような巧みで、商業的にも成功する映画を作ることができるようになった。しかし、多くの外国人にとってフランス映画の冗長さの汚名は消えていない。

(翻訳部分はここまで。長いのでまだまだ続く)



相変わらずパリは世界の旅行者が最も訪れたい都市のナンバー1の地位をキープしている。パリは今年の日本の卒業旅行の目的地のNo.1にもなり、その魅力は美術館が充実していることにあるようだ。中央集権国家であるフランスは、昔から文化に対しても国家的にコントロールしようという欲望が強く、文化は国家的な権威と密接に結びついてきた。それはパリの都市計画にも反映されていて、文化の殿堂や歴史的なモニュメントが主要ポイントに配置されている。今のパリの街並みの土台は19世紀の半ばにオスマンが築いたものだが、1980年代にも大規模な都市改造があり、ルーブルのピラミッド、オルセー美術館、アラブ世界研究所、新凱旋門(郊外のデファンス地区)などが付け加えられた。パリほど文化を国家の威信と重ね合わせて感じることができる場所はない。

一方で、フランス文化の担い手は誰なのかということを考える場合、少なくともアーティストたちがフランス文化の振興ということを絶えず自覚しながら活動することなんてありえない。彼らは自分のやりたいことを、やりたいようにやるだけだ。自分の作品を多くの人々に知らしめるために言語や表現方法を選ぶだけだ。今ではフランス絵画の重要な流派とみなされている印象派は、タイムの記者が書いているように、当時のアカデミズムに対する反逆者であり、マネもルノワールも最初のうちは全く理解されず、酷評されていた。しかし、今や国立美術館という国家の文化制度に不可欠なものになっている。国はいつもあとから囲い込むのである。

インターステラ5555-The 5tory of the 5ecret 5tar 5ystem- [DVD]しかし、過去の遺産をうまくコントロールできても、今の文化に対してはさすがに分が悪いようだ。ダフト・パンク Daft Punk の「ディスカヴァリー」が世界的にヒットしたとき、ル・モンド紙が文化蘭一面を使って彼らをフランス発の世界的な成功者として紹介した。しかし、彼らは英語で歌っていたし、そのアルバムで日本のアニメクリエーター、松本零士と、CDのジャケットやビデオをクリップ(「インターステラ5555-The 5tory of the 5ecret 5tar 5ystem-」として結実し、カンヌにも出品)を共同で制作した。彼らは日本のアニメを見て育った世代で、「日本は第2の故郷だ」とまで言っている(実はフランスは日本やアメリカに対抗するために国内産アニメの育成にも助成を惜しまない)。それは全くフランスの伝統文化の痕跡を見つけようがない、グローバリゼーションの象徴的な産物だった。この傾向はフレンチ・タッチ(エレクトロ)と呼ばれるジャンルに顕著で、今年、「D.A.N.C.E.」が流行ったジャスティス Justice はフランス発だと全く意識されずに聴かれている(FRANCE 24も2007年の回顧の中で最も若者に支持された音楽として取り上げていた)。

また、1994年に当時の文化大臣、ジャック・トゥーボンが国民議会の演説でMCソラーの名を挙げたのは有名なエピソードだ。「みなさん、MC Solaarをお聞きください。以前にはボビー・ラポワントやボリス・ヴィアンがやろうとしていたことを、今度は彼がフランス語でやるのを聴くことになるでしょう!」と、伝統的なフランスの詩人と同じくらい巧みにフランス語を操るセネガル生まれのフレンチ・ラッパーを褒め称えた。移民系のミュージシャンによって、フランス語の顕揚とナショナリズムが担われるというのも全く皮肉な話である。

Qui Seme le Vent Recolte le Tempoまた「フランスのラジオで流す曲の40%をフランス語にしなければならない」という法律が、フレンチ・ラップの隆盛に寄与したという話がある。ラジオを聴くのは(つまりCDを買えない)移民の若者が多かったからだ。いくらフランス語で歌われているとはいえ、ヒップホップというニューヨークのダウンタウン発祥の音楽形式を移民の若者が支持するという構図は政府がこの法律によって望んだことなのだろうか。

タイムの記事によると、フランス政府はロックロール大臣を任命したことがあるようだが、これはジャック・ラングのことだろうか。元文化相のジャック・ラングと言えば、ロック大好き大臣として知られ、ロック・フェスティバルをよく企画していた。しかし、彼が理解できなかったテクノは冷遇されたようだ。その後のフレンチ・エレクトロの盛り上がりを見ると、彼には全く見る目(=聴く耳)がなかったということになる。

しかし、国家がロックとかテクノとか言い出すことほど胡散臭いことはない。とりあえず、影響力のありそうなものに片っ端からフランス国家のお墨付きを与える、文化を国家の名のもとに取り込もうとする行為にしか見えない。結局は、フランス文化という実体があるのではなく、国家と文化を結びつけるディスクール(=語り、物語)があるだけなのだ。それに説得力がなくなり、信用されなくなってきたということなのだろう。時代遅れの文化保護はフレンチラップの盛り上がりのように、望んだものとは違う結果をもたらす。またジャック・トゥーボンのように意識せずに矛盾したことを言う羽目になる。今の文化は国家がコントロールするにはあまりに狡猾で、したたかなのだ。

それに加え、インターネットの到来によって文化は新しい局面に入っている。何よりも人と文化の関わり方が大きく変わってしまった。文化は既成の作品や価値として上から与えられるのではなく、個人が編集し、加工するものに変わりつつある。
(続く)

「フランス文化の死(3) 復活への処方箋」

★このエントリーは main blog で2007年12月16日に掲載






cyberbloom

rankingbanner_03.gif
↑ライターたちの励みになりますので、ぜひ1票=クリックお願いします!

FBN22.png
posted by cyberbloom at 08:01 | パリ | Comment(0) | TrackBack(0) | フランスの現在 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック