2009年09月11日

「どうしてなぜ日本女性は子どもを作らないのか?」につっこむ

9月5日の記事で、「どうしてなぜ日本女性は子どもを作らないのか?」という「フィガロ」誌に掲載されたインタビュー記事を紹介した。日仏交流に貢献した人に贈られる「渋沢クローデル賞」を受賞したフランス人ジャーナリストが雑誌のインタビューに答えるという形式をとっている。日本人からすれば、もっともらしく日本のイメージが作られているという気がするが、今の日本を捉える重要な問題も含まれているので、ちょっとつっこんでみたい。

―夫たちは仕事に疲れているというのですが、私によればそれは両性間の無理解と、夫婦のコミュニケーションの問題だと思うのです。感情を交えずにすむという理由から性産業は活況を呈しているのに、この話題はカップルのあいだではタブーになっています。

セックスレス亡国論 (朝日新書)1970年代あたりから、日本では終身雇用と年功序列を基本とする企業社会が成立した。それは「男は外/女は内」という性別役割分業制を採り、それが高度経済成長を支えるには効率的なことと信じられていた。また国は企業に福利厚生を丸投げしたことで、男はパブリックもプライべートも企業にべったり依存することになる。そこに男だけのホモソーシャルな共同体が形成され、「男だけの話」が流通する。性産業はそこと密接に結びついていたのだろう。最近ではネット上の2次元の世界で自足してしまう傾向もしばしば指摘される。欲望を細かくえり分けてピンポイントで満たすための分業が徹底されているのもポストモダン日本の特徴なのだろう。愛と性が乖離して、性が単に性処理と化してしまっているのは確かに深刻な病理なのかもしれない(そういえば、フランス文学者が「セックスレス亡国論 」という本を出している)。

一方で、こういう男性の態度が女性の行動や選択を決定するという言い方は、女性をつねに男性のネガとして描くことになってしまう。日本ではとかくこういう思考に陥りがちだ。それじゃ、女性はそれに対してどう思っているのかという問題が見えにくい。そういう意味で下で紹介した『モダンガール論』は面白かった。かつての企業モデルの崩壊で男が会社から解放されると思いきや(解放が解雇だったら全く意味がない)、今度は不況による経済的な要因が男女を結びつけにくくしているようだ(そういえば選挙中、麻生総理の「金が無いなら結婚するな」発言もあった)。

結婚しても愛を楽しむフランスの女たち結婚したら愛を忘れる日本の女たち結婚しても愛を楽しむフランスの女たち、結婚したら愛を忘れる日本の女たち』というクリシェが流通しているように、結婚したら愛を忘れざるをえない日本の女たちに対して、フランス人は恋愛を楽しむ人たちとして知られている。知り合いのフランス人のカップルを見ていると、確かに子供が生まれても意識的にふたりの時間を作り、楽しもうとしている。バカンスもまたそれが優先される時間のようだ。子育てを支える制度が充実していれば、夫婦の関係にも時間的、心理的な余裕を与えることは容易に想像できる。それに加えて、子供に異性をつねに意識させるということも意図的にやっているように見える。恋愛の作法を小さいころから学ばせるということか。

―このことを西洋の観点から判断してはいけません。日本では主婦に悪いイメージはないし、むしろ逆なのです。

確かに主婦という選択は、高度成長期の男女分業制(会社/家庭)においてはリーズナブルなことだったかもしれない。終身雇用制と年功序列賃金で保障された生活をもたらしてくれる相手との結婚は、まさに永久就職だった。さらに高性能な家電製品の普及によって家事が軽減され、主婦は消費の担い手として脚光を浴びるようになる。

日本男性のコミュニケーション下手は、社会的な役割分担の中で、男性の女性への依存関係ができ上がってしまったことに原因があるのかもしれない。この場合の依存とは男性が女性に身の回りの世話をされるという関係で、その役割は母親から妻へと受け継がれる。一方で、女性は男性に経済的に依存し、両者が互いに all or nothing の極端な関係に陥ったことが問題なのだろう。つまり経済的自立と生活的自立のバランスが悪すぎたのだ。その中で自立した人格として女性に働きかけるチャンスが失われ、コミュニケーションが貧困なものになっていくのは当然の成り行きと言える。

モダンガール論 (文春文庫)しかし、状況は大きく変わってしまった。斉藤美奈子が『モダンガール論』の「文庫版のためのちょっとした補足」の中で専業主婦の現在を的確に示している。ちょっと長いが引用しておく。

「かつて専業主婦は平凡の代名詞でした。しかし、そんな時代もそろそろ終わりに近づいています。戦前の社会と同様に、専業主婦は贅沢品だからです。家庭の中に家事専用従事者を置いておけるのは、よっぽど経済的にゆとりのあるお金持ちだけ。現にいまでも、二人が働いてようやく家計がまかなえる家庭は少なくありません。したがって、もしも専業主婦を目指すなら、甲斐性のある男を確実にゲットしなくてはなりません。これもビジネスエリートを目指すのと同じくらい、厳しい戦いです。エリートの数が少なければ、結婚市場における争奪戦も当然厳しくなるからです。さらにまた、専業主婦は以前よりずっとリスキーな選択といえます。終身雇用制と年功序列賃金に守られていた時代ともちがい、いつなんどき夫が失業しないとも限りませんし、妻に定収入がなければ離婚だってむずかしい。が、それでも優雅なマダムを夢見る人はいるでしょう。その場合は、結婚が「永久就職」と同義だった時代とはちがうのだ、という認識をもち、確信犯的に専業主婦の道を目指すことです」

―薬に対して著しい不安をもつこの国では、よその国にくらべて避妊手段があまり利用されていません。そしてリスクを避けるために自制するのです。

パリの女は産んでいる―“恋愛大国フランス”に子供が増えた理由 (ポプラ文庫)薬というのは、つまりピルのことで、ヨーロッパではピルの服用が当然のこととみなされている。それはピルの服用が女性の "reproductive health / rights" 「性と生殖に関する健康と権利」と結びついていて、女性の "reproductive health / rights" を確保するために有効な手段のひとつと考えられているからだ。フランスのピルの普及に関しては、『パリの女は産んでいる―“恋愛大国フランス”に子供が増えた理由』に著者自身のリアルなエピソードが紹介されていたので参考になるかもしれない。日本の女性が「薬に対して不安を感じている」というよりは、従来の家族規範にとらわれ保守派の政治家が、性病がひろがるとか男女関係が乱れるとか言ってピルの普及に反対してるおかげで、保険がきかないし、処方の体制が整っていないから避妊手段として普及しないのだろう。

今出てきた、reproductive health / rightsという用語を説明しておこう。reproductive healthの方は「女性が生涯にわたって身体的、精神的、社会的に良好な状態である」ことを指す。そしてこれを享受する権利をreproductive rightsと言い、妊娠中絶・受胎調節など、性と生殖に関して女性が自己決定できる権利のことである。女性はとかく国家・男性・医師・宗教などの規制や社会的圧力を受けやすいので、女性が選択できる権利、女性の再生産の権利を保障しようということである。内閣府や地方自治体の男女共同参画の部署のHP見ると、よく引用・紹介されている。ちょっと頭の隅に入れておくといいかもしれない。

「日本人の考えでは、性的関係をもつというのは行くところまで行くこと、つまり妊娠が付きものなのです」と言われると、日本人が非常にモラリスティックで、セックスは自然の摂理にもとづき、遊びや楽しみのためのセックスはしないと言っているように聞こえる。まるでアメリカのキリスト教右派ではないか。日本の場合、モラルや家族規範が行動を規制しているのではなく、面倒くさいとか、楽しむための作法やコミュニケーション能力が欠けていることが原因と言われているわけだけど。





cyberbloom(thanks to bellevoile)

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posted by cyberbloom at 20:22 | パリ ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 子育て+少子化対策 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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