2009年03月20日

エルメス HERMES

Main‐d’or―アトリエ・エルメスエルメスは近年のブランドブームに逆行するように、自社の職人技術に基づいた品質を強調し、ブランド、マーケティングの存在を徹底して否定している。広告に依存する比率も低い。これはコングロマリット化を進めるLVMHが、よりファッション性やモード感、大規模な店舗展開や広告を行っているのとは対照的である。とくに品質に関して手ごろな価格を標榜するルイ・ヴィトンが若者を中心に日常化する中で、販売数を限ることでいっそう憧れの度合いを高めている。

その代表がエルメスの「バーキン」であろうか。飛行機で偶然ジェーン・バーキンと隣り合わせになったデュマ・エルメスが彼女の籐のバッグがあふれていたのを見かね、荷物がたくさん入る実用的なバッグを作ることを彼女に約束した。その後、法外な価格と希少価値によって成功した女性の証となった。

日本はエルメスの重要な顧客であり続けているわけだが、それが可能だったのは円高のおかげで購買力が上がったせいであり、日本の経済成長を切り離して考えられない。それまで庶民は手が出ない舶来品だったものが、必須アイテムとして日常化していったのである。1977年に最初のヴィトン・ブームがあり、パリの本店にはブランド品の買占めとして問題化するほどの日本人の長い行列ができた。その背景には急激に円高が進んだことがある(加えて内外価格差が大きかった)。その年、ドル円相場は1ドル=200円を、さらに1978年末頃には一時1ドル=180円を突破した。

エルメスの日本進出は丸の内に直営店を開いた1979年にさかのぼる。その芸術性に富んだウィンドウ・ディスプレイは日本ではまだ見られず、丸の内のOLたちの憧れの的となり、他のデパートもこぞって取り入れたのだった。エルメス・ジャポンは1983年に西武との折半出資で設立されたが、他国にはない独自の戦略を展開した。それがスカーフの結び方講習会の開催であり、結び方を提案した小冊子の配布だった。それは日本で絶大な効果を発揮することになった。この方法はパリの本社へ逆輸入され、さらに世界各国で行われ、スカーフの売上が爆発的に伸びた。このようにエルメスの世界的なスカーフ人気に関しては、日本が火付け役になった。

どのブランドにとっても生き残っていくためには、伝統の中にも革新的なもの、先端的なものを織り込んでいくことが必要だが、その中で日本が意外に重要な役割を果たしてきた。それはデザインとインスピレーションの源泉としての日本である。

日本の家紋のようなデザインのルイ・ヴィトンのモノグラムは1896年に発表されたが、当時流行していたジャポニスム(日本趣味)の影響を受けている。ダミエ(市松模様)も日本の意匠が起源と言われている。日本でのヴィトン人気は、単にフランスのブランドへの憧れだけではなく、そこに自分自身の文化を発見しているからだとも考えられる。エルメスのスカーフもジャポニスムを積極的に取り入れ、刀のつばや鞘、盆栽、印籠などがモチーフになった。1986年にはそのような傾向の先駆けとなるバッグ「スマック」、通称「スモウバッグ」が発表された。ずんぐりした形と、中心分の丸いポケットが力士のお腹や土俵の円形を思わせるデザインだ。

エルメスの道さらに興味深いのは21世紀に入ってからの動向である。エルメスと言えば、1997年(21世紀の少し手前だが)、マンガによる社史の作成に竹宮恵子を起用したことでも知られている。当時すでにフランスには日本のマンガブームが到来していたが、「馬に乗れる人、馬が描ける人」というデュマ・エルメスが提示した条件に竹宮恵子が合致し、「エルメスの道」はエルメスが公刊した唯一の社史となった。サムライや日本庭園といった伝統的なジャポニスムだけでなく、日本の先端のテクノロジーやポップカルチャーも重要な対象になったのである。2001年に銀座に完成したエルメスの旗艦店「メゾン・エルメス」の開店の際には、ソニービルとのお隣になることを記念して、ソニー製の犬型ロボット、アイボ専用のキャリーバッグが作られた。日本製の精巧なロボット、これもまた欧米人の日本幻想をかきたてるのである。

ジェラール・クラブジック監督の「WASABI」(2002年)を見ると、各シーンの中に日本の先端と伝統の対比が極めて意図的にわかりやすく表現され、フランス人が日本に何を見たがっているのかよくわかる。ケータイを使いこなし、デパートで買い物をしまくる、いまどきの少女が日本の伝統的な意匠を背景に動き回る。クラブジックはDVDに収録されたインタビューで東京は「ブレードランナー」の街だと言っているが、これはアナクロニズムではなく、それが現実化してきたということなのだろう。

2003年の春夏コレクションでは、ルイ・ヴィトンがポップ・アーティスト、村上隆とモノグラムにポップな桜模様を散らしたカラフルな作品を発表した。日本の少女たちのあいだで厚底の靴が流行っていたこの時期(「WASABI」で広末涼子も履いている)、多くのデザイナーが来日していた。LVMHのアルノー会長も「日本の10代の女の子のファションを見てくるといい。彼女たちのファションは非常に進んでいて、ブームよりも先に、トレンドを生み出す。彼女たちを観察するだけで感性を磨ける」と周囲に勧めていたという。彼らの日本滞在記(ジョン・ガリアーノは京都の俵屋旅館がお気に入り)やお買い物リストは女性誌の格好の題材となったが、主役はむしろ日本の女性たちだったのだ。

日本の女性たちはただ単にブランドを買い漁ってきたわけではない。その過程でブランドに対する目を肥やしてきた。鑑識眼のある洗練された、成熟した消費者になっていったのである。日本では多くの女性が消費によって自己実現するしかなかったという事情もあるかもしれない。また日本は総中流社会で、消費行動が階層化していないことが特徴的だが、ひとりの消費者がエルメスとユニクロを使い分けるという型にはまらない多様な行動をとることで、様々なスタイルやパターンを学習し、習得できたこともあるのだろう。

モノが氾濫するなかで育った日本の少女たちは世界の消費文化の中でも特異な存在である。彼女たちは階層的なアイテムだったヴィトンやエルメスを日常的に使いまわす。ブランド世代の母親たちが「上がり」として手に入れたブランドと、その過程で獲得した鑑識眼は彼女たちにとっては出発点に過ぎない。もはや憧れではなく、モノとしての機能性やデザイン、イメージに徹底的にこだわる。

ブランド側にしても、一方的にすべてを仕掛け、コントロールできない事態になっている。すでに伝統や職人気質だけが売りになることはありえない。消費者と折り合い、消費者に学ぶことが重要なのである。すでに消費者はただの消費者ではない。彼女たちは洗練された眼で選択し、使いこなす。それによって新しい意味を付け加え、新しい組み合わせを提案し、さらにはそれを発信していく生産者なのだ。これが、アルノーが日本の少女たちの中に見出したものであり、21世紀に入ってからの本質的な変化と言えるだろう。


□このエントリーは下記の戸谷理衣奈著『エルメス』を参照


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posted by cyberbloom at 18:13 | パリ | Comment(2) | TrackBack(0) | ファッション+モード | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
エルメスのバーキンが出来たいきさつはテレビで見たことがありました。バーキンさん本人も出演していたのですが、そのときのバーキンの中が整理できていないのを見ておかしかったのを覚えています。
Posted by YM at 2009年04月26日 12:25
こんにちわ
エルメスのバーキンが出たのはテレビで見たことがありました。
ん〜エルメスよりヴィトン派かな。
Posted by ダミエ好きのあやか at 2009年05月19日 16:46
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