2009年02月15日

週刊フランス情報 9 - 15 FEVRIER 前編

映画狂のバイブル、仏カイエ・デュ・シネマ誌が英アート出版社に売却
cahiers.jpg■芸術映画の権威ある批評誌で、1960年代には寄稿した若手批評家からジャン=リュック・ゴダール、フランソワ・トリュフォー、クロード・シャブロルといった“ヌーベルバーグ”の映画作家たちを生んだ、フランスのカイエ・デュ・シネマ誌が、イギリスのアート系出版社ファイドン・プレスに売却されることになった。
■月刊誌カイエ・デュ・シネマ(“映画の手帖”の意)は、1951年創刊。初代編集長アンドレ・パザンが提唱した“作家主義”を標榜し、ジャン・ルノワール、アルフレッド・ヒッチコック、ハワード・ホークスらを再評価した世界的な映画誌である。70年代には、クリント・イーストウッドの作家性に注目したことでも知られ、過去の記念号ではゴダール(300号)、ビム・ベンダース(400号)、マーティン・スコセッシ(500号)、北野武(600号)らが責任編集を務めた。
■同誌は03年より仏ル・モンド紙の傘下となったが、最近は発行部数2万部と低迷。昨年末から誌名が売りに出されていた。一方のファイドン・プレスは、独タッシェン、米リッツォーリなどと並び、アート、建築、写真、デザイン関連のビジュアル本を数多く編集・出版する世界的な出版社。1923年にオーストリア・ウィーンで設立されたが、第2次大戦中にドイツ軍占領下になると、英国に拠点を移した。ファイドン・プレス社広報によると、来年からカイエ誌で初めて英語版を出版する予定だという。
(2月13日、eiga.com)
□関連エントリー「カイエ・デュ・シネマのトップ10」(by exquise)

ウィーン美術史美術館所蔵、静物画の秘密展
■ウィーン美術史美術館は「ヨーロッパ最大の貴族」ハプスブルク家の400年にわたる遺産をもとに1891年に開館した美術館です。そのコレクションは、ハプスブルク家と関わりに深かったオランダ・フランドル地方、スペインをはじめとしてヨーロッパ各地から収集され、世界屈指の質・量を誇ります。そして、2009年は、「日本オーストリア交流年」。この記念すべき年の幕開けに、神戸にウィーンの誇る珠玉の作品がやってきます。
■静物画の黄金期である17世紀の作品を中心に、さまざまな静物画、そして静物が重要な役割を果たしている風俗画や肖像画を展示します。ヤン・ブリューゲル(父)の花、コルネーリス・デ・ヘームの食卓、バスケニスの楽器…美術の歴史に残る静物画の名手たちに出会えます。また、ヤン・ステーンのにぎやかな風俗画における雑多な家庭風景や、物の質感を表現するヘーラルト・ダウの超絶技巧をはじめとして、様々な絵画の中で静物の放つ魅力を堪能していただけます。知る人ぞ知る名作・ペレダの《静物:虚栄(ヴァニタス)》も見逃せません。
■本展覧会ではあまりにも有名なベラスケスの《薔薇色の衣裳のマルガリータ王女》が日本初公開されます。ハプスブルク家の華麗な歴史を彩った王女の可憐な姿をご覧頂く稀有な機会です。 
(兵庫県立美術館2009/01/06〜2009/03/29)

ダーウィンから「社会ダーウィン主義」へ、進化論わい曲の歴史
■英国の自然科学者チャールズ・ダーウィン(Charles Darwin)の生誕から12日で200年を迎えるが、彼の唱えた進化論は、それまで考えられていた自然界における人間の位置付けを大きく覆すと同時に、社会的・人種的不平等の非合理的な正当化を勢いづける結果にもなった。そうした正当化の最たるものが、心身が弱いとみなされた人びとに避妊処置を施したり、集団的な殺害さえも含めた「間引き」を行い、「人類という種のクオリティを強化」すべきだとした「優生学」という思想を擁護する際、「社会ダーウィン主義」と呼ばれる理論が引き合いに出された例だ。
■しかし、キリスト教徒であり、英19世紀ビクトリア朝のリベラルな進歩主義者であり、奴隷制に反対していたダーウィン自身は、こうした「社会ダーウィン主義」的な考えを、科学的合理性からも、倫理的な信念からも否定した。それでも、こうした考えは形を変えて広まり、今日まで生き残っている。
■皮肉にも、最初に優生学の理論を形成したのは、ダーウィンのまたいとこに当たるフランシス・ゴルトン(Francis Galton)だった。彼や当時の科学者たちは、遺伝子の影響についてまったく知らないまま、生存中に獲得された特性は、子どもに受け継がれると信じた。またゴルトンは人種間に優劣があると唱え、欧州系の白人を進化の最頂点とする人種差別思想に安住の地を与えた。19世紀末には、顔のつくりと頭蓋骨の容積が知性に比例するとした「人体計測学」という疑似科学が、ゴルトンの主張の支持にまわった。
■さらに過激な理論に至ったのが「犯罪者は生まれながらにして犯罪者(生来性犯罪者)だ」と主張したイタリアの犯罪人類学者チェザーレ・ロンブローゾ(Cesare Lombroso)だ。ロンブローゾは、俗語を使用するといった精神活動や、頭蓋骨が狭い、足指が大きいといった類人猿により近い身体的特徴などは、そうした特徴を持つ人物が人類の亜種である証拠だとし「彼らが未開人のように話すのは、輝けるヨーロッパ文明のただ中にあって、彼らが真の野蛮人だからだ」と書き残した。
■しかし、社会ダーウィン主義という概念を創造したのは、英国の社会学者ハーバート・スペンサー(Herbert Spencer)だ。スペンサーは、ダーウィンが示した進化における自然淘汰と同じ力が人間社会にも当てはまる、あるいは人間社会にも「当てはめるべきだ」と主張した。スペンサーは、後にダーウィン自身も使ったある言葉に彼の思想を一言でまとめた。その後数十年を経て、リバタリアン(自由至上主義者)から自由競争主義者までの一斉の合言葉となった言葉、「適者生存」だ。自由市場システムでの勝者が「経済の現状を、自分たちが人生を戦い抜いた結果として正当化する際、彼らはダーウィンをただのスローガンとして使っている」と批判するのは、フランス国立自然史博物館(Musee National d'Histoire Naturelle)のギローム・ルコントル(Guillaume Lecointre)教授だ。19世紀末、多くの思想家たちがさまざまな社会的・経済的階層の存在を正当化しようと、自然に関するダーウィンの洞察に依拠した。ルコントル教授は「自然界ではあらゆるものを見いだすことができる。民主主義や独裁制、自由主義世界まであらゆるものの鏡像がある」と指摘する。
■加えて遺伝に関する理解度の低さに、誤解を生みやすいIQテストなどによって拍車がかかり、例えば1924年、米国では東欧および南欧と非欧州系の移民を厳しく制限する法律が制定される際に根拠とされた。さらに最近では、愛情や友情といった人の最も親密な部分での「心の選択」においてさえも、遺伝的必然性に基づいて行われているとする主張を進化心理学者らが唱え、論争に火をつけている。こうしたダーウィン理論の歴史的な曲解に対する警戒によって、理にかなった科学的研究にさえ敵対的な反応が生じる悪影響も出ている。「人間の行為はおおかた遺伝的資質で決定されている」と考えた米国の生物学者エドワード・O・ウィルソン(Edward O. Wilson)が、1970年代半ばに社会生物学という分野を創始した時、「文化は遺伝子の首ひもだ」と述べ、論争に巻き込まれることになった。
(2月9日、AFP)




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posted by cyberbloom at 16:45 | パリ | Comment(0) | TrackBack(0) | 週刊フランス情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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