2009年01月27日

カナダ各地のフランス系の人々

カナダのサスカチュワン州の州都Saskatoonから170キロ北のJack fish湖畔のMeota村に住む友人Trudy Iversonは、フランス語を話す。

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聖職者であった父方の祖父の兄Paul Esquirol(1867~1925)は、南フランスAveyron県のLicou村から、海を渡り1906年にサスカチュワン州の、この辺りに自らの教会を開いた。フランスから運ばれた教会の鐘は現存する。Paulの二人の弟、Martin(Trudyの祖父:1872~1935)とHenri(1887~1967)は、翌年Paulを頼って入植し、それぞれ道路工事や賄いに従事しながら、土地を買い、納屋代わりの小屋を建て、石ころだらけで頑強な雑草のはびこる土地を牛馬で延々と耕し、僅かづつ麦を植えた。フランスから妻を迎え、農場には乳牛、鶏、豚を飼った。冬の嵐、積雪には、人も家畜も薪ストーブで耐えた。入植当時はフランス系同士で助け合い、やがて、イギリス系の親切な入植者からは英語を習得した。Trudyの祖父母Martin & Maria Esquirolが、雨風に強い、ペンキで塗られた、家具もある、虫よけの網戸もある住宅を建て、自動車を手に入れたのは、1928年頃である。Henriの末娘(Trudyの叔母)のEmilienne(1928~)が、一家のことを書いている。
 
一方、Trudyの母方の先祖Gagné家は、もっと古くにフランスから渡ったと察せられる。教会の台帳によると、Prudent Gagné(1815~?)は、ケベックのセントローレンス河のクードル島で生まれ、シャルルボワで結婚した。漁業に従事していたとみられる。妻のElénoreの父親Duchèsneは、イギリス軍との戦争の舞台であったアブラハム平原の土地を所有していたAbraham Martinの子孫である。Prudentの息子(Trudyの曽祖父)Zacharie (1852~?)の妻Denice Guitéの先祖は、1670年ごろにアイルランドから沿海のアカディ植民地に渡って来た。Zacharieの息子で Trudyの祖父、Edmond Gagné(1887~1944)は、ケベック州のガスペ半島のマリアで生まれた。製材業に従事した後、太平洋横断鉄道敷設の募集を知り1909年にアルバータ州に移動、さらにサスカチュワン州に移り、郷里のマリアで教師であったRébecca(1892~1944)と結婚、Jackfish湖畔Meotaに農場を開いた。写真(下)は1912年の結婚式の時のもの。Edmondの息子(Trudyの母の弟)のVictor(1915~)が、父親から伝え聞いた、20エーカーの農地と4頭の農耕馬でスタートした貧しいながらも楽しかった日々のことや、家族の消息、自らの生活について書いている。
 
Esquiro.jpg

現在、Trudyの父親Elie(96歳)のフランスのEsquirol家の故郷では、いとこ一家が、築400年の石造りの家に200年前から住み、Gaillacワインの葡萄畑を耕し、Roquefort用の羊brebrisを育てて暮らしている。Trudyと両親は、1975,1986,2000年に訪れ交流を深めている。Trudyは、うろこ状の屋根の石板を一枚もらって帰って、それに触れてみるのが、ルーツに思いをはせる時だと言う。また、母親Estelle(90歳)のGagné家のフランス語を話すいとこが付近に住み、思い出話をする時間も彼女にとっては貴重である。カナダの平原3州のひとつ、どこまでも畑の広がるサスカチュワン州、Jack Fish湖畔は、開拓者の人々の夢を映して、豊かに実る畑がある。彼らを訪ねた日、辺りは、菜種油用のカノーラの黄色一色に彩られていた(写真上)。’08年7月Meotaにて。




Sophie

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posted by cyberbloom at 07:42 | パリ ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | フランスの外のフランス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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