2009年01月10日

パリの Cabinet des Curiosités その消失と再生

2008年2月。パリ。ブティックや花・雑貨を扱う上品な店が立ち並ぶバック通りで、電気系統の故障による失火により、一軒の店が焼け落ちました。19世紀から続く老舗を襲った災難のニュースを聞きつけ、多くの人が焼け跡を訪れましたが、火事見舞いの人々に混じって、一風変わった顔ぶれがいました。現代美術のアンセルム・キーファー、ミゲル・バルセロ、ホアン・ヨン・ピン。写真家のナン・ゴールディン、ソフィー・コール。一体何がこのそうそうたるメンバーを火事の現場に引き寄せたのでしょう。それは、店が扱う「商品」のせいでした。
  
Deyrolle.jpgその店、デロール Deyrolle は、世界最大の剥製・標本専門店。昆虫学者として有名だったデロール氏が剥製の製作・販売する店をオープンしたのは1831年。象のような大型動物の剥製を作り高い技術で名を成す一方、教育用の動植物の精緻な図版(理科室によく飾ってある例のポスターですね)や理科の実験用具の製作・販売でも財をなしました。自然の素晴らしさを世に伝えたいという創業者の精神から、お子様を始め一見の客も歓迎する姿勢を貫き、自然科学愛好家だけでなくクリエイターのインスピレーションをくすぐる、みんなの Cabinet des Curiosités として長年愛されてきました。

2000年12月にフランスの名門貴族の一員で、ガーデニング愛好家としても有名なルイ・アルベール・ド・ブロジー公(自邸で栽培する600種を超えるトマトについての著作もあり)がオーナーになってからは、デロールはよい意味で変わりました。まず大胆に手が加えられたのが店の内装。重厚な木のキャビネットを設置、創業当時のインテリアが再現されました。らしからぬ瀟洒な室内に剥製や標本が並べられた光景は、商店というより個人の密かな楽しみの部屋に迷い込んだような演出効果を生みました。商売柄、互いに相容れない関係にある自然保護運動にも歩み寄ったのも変化の一つ。希少動物保護を目的とするワシントン条約の遵守はもちろん、剥製にする生物の死亡状況に問題がないか確認するなど、剥製につきまとう「アンチ自然保護」のイメージ払拭のために、地道な取り組みが行われました。また、ショーウインドウのデコレーションに剥製を貸し出すなどのレンタルするなど、新しいビジネスの模索も始まっていました。現代と共存する剥製商を目指し努力が重ねられていた、そんな矢先に、悲劇は起こったのです。
 
剥製の製作用に可燃性の薬品を扱っていたことも災いし、火は内装の90パーセントを焼き尽くしました。焼失を免れた標本や剥製は、軍の協力を得て軍の倉庫に一時保管されることになりましたが、焼け残った剥製を運び出す作業は、ちょっとした見物となりました。古き良き時代の面影を残す街路に面した焼け跡から、エスニックそのものな野生動物の剥製がパリ石畳の街路をしずしずと運びだされる光景は、「ノアの箱船」めいた風変わりなページェント。芸術家にとって、目撃せずにはおられない、刺激的なスペクタルだったのです。
 
パリの隠れ名所を襲った悲劇は世界中に伝えられ、再建のために各方面から手が差し伸べられました。フランス政府はもちろんのこと、エルメスは限定版のスカーフを売り出し、売り上げをデロールのために寄付するプロジェクトを始めました。また、クリスティーは、再建資金集めのためこの11月に特別オークションを行うことを決定。デロールからインスピレーションを得てきたアーティストが作品を提供するそうです。
 
deyrolle1.jpgデロールの魅力は、博物館の学術的展示とは縁のない、無茶な展示方法にあります。淡いエメラルドグリーンや赤に塗られた壁の室内、古めかしい木製キャビネットの中と、いたるところに実に無造作に並べられた、大小さまざまな元生き物達。大きな熊の前に愛らしい子羊達がちょこんと座っていたり、ホッキョクグマの横にニワトリがいたり。ライオンの横で、トラが飛びかかる寸前の状態でフリーズしていたり。まさに、シュールレアリストの夢そのもの。住む場所も生態も全く異なる元生物が、上品な居間を思わせる室内で、今にも動き出しそうな様子でごっちゃに共存しているこの不思議は、デロールでしか味わえないものといえるでしょう。剥製・標本を一緒に商うため必然的にこういう空間が生まれたのかもしれませんが、学問や自然保護の視点から解き放たれ、生き物のフォルムの見事さや美しさを素直に楽しみ、自然界ではありえない取り合わせの妙とむき出しのエキゾティズムを愛でることを許される場所は、ここにしかないのではないでしょうか。人が抱く、美しいもの、愛らしいものへのピュアな愛情と静かな情熱が、ネガティブな要素を全て排除し静かに形になったもの、それがデロールの部屋なのかもしれません。
 
完全復旧したとはいえませんが、既に店の一部は営業を始めています。機会があれば、立ち寄られては?


□「Vanity Fair 2008年9月号」を参照。

デロールのウェブサイト:店内の美麗な写真が満載。わくわくすること間違いなし。エルメスのチャリティ・スカーフもチェックできます。

□デロールを紹介した本としては、「月刊たくさんのふしぎ 2003年12月号好奇心の部屋 デロール」(今森光彦著、福音館書店刊)がおすすめ。自然科学系写真家の視点で捉えたデロールの魅力が、多数の図版とともに紹介されています。品切れのようですので、図書館でご覧ください。





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posted by cyberbloom at 01:13 | パリ ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | ART+DESIGN | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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