2009年01月07日

「西洋音楽史 - クラシックの黄昏」(2)

先回、フランツ・リストが三拍子そろった音楽家だったと書いたが、3つの要素のバランスが崩れ、いずれかが突出するようになると、たちまち批判の対象になる。前衛作曲家のように作曲上の実験にこだわりすぎると、「公衆を置き去りにしたひとりよがり」と言われ、クラシックのレパートリーばかり演奏していると、「過去にしがみつくだけの聖遺物崇拝」と言われる。そして一般受けを狙い、人気が出ると「公衆との妥協」とか「商品としての音楽」と言われる。しかし、これらは19世紀になって花開いた音楽の可能性がもたらした結果なのである。音楽家はパトロンの好みに束縛されることなく、自分の好きなように音楽を書き、過去の音楽を次々に発掘することでレパートリーが著しく拡大し、楽譜の普及や演奏会制度の発達によって多くの人々が音楽を自由に演奏し、音楽と接点を持つことができるようになったのである。



「現代(前衛)音楽がサブカルチャーに徹すること」のは難しいだろうが、いわゆる「過去のレパートリーを再演するクラッシク」も一種のサブカルチャー化によって生き延びようとしている。「のだめカンタービレ」もJ-Classicも、サブカルチャー化による生き残り戦術である。J-Classicは、日本人演奏家によるクラシック音楽、特に伝統的な枠を超えた新しい試みに積極的な若手アーティストたちによるクラシック音楽のことだが、まさに「名曲のレパートリーの決定版がほとんど出尽くし、巨匠の時代も去り、ネタ枯れの気配が濃厚」な状況で、レコード会社が仕掛けたものだった。J-Classicはアイドル歌手のように演奏家のヴィジュアルを前面に出す戦術で知られているが、それは明らかにポピュラー音楽からの流用である。

しかし、すでに20世紀の前半にすでにテオドール・アドルノが「クラシックをヒット曲のように、指揮者をスターのように扱う」と商品化したクラシックの堕落を嘆いている。著者は、ポピュラー音楽の大半は、特に旋律構造や和声や楽器の点において19世紀ロマン派の音楽を踏襲し、宗教なき時代に「市民に夢と感動を与える」というロマン派的美学を引き継いでいるというが、一方でクラシックは明らかにポピュラー音楽の資本主義との親和的な側面を取り込んできたのである。従来のクラシックを聴く重々しい身振りは失われていくかもしれないが、それによって新しい聴衆にとっかかりを与えてきたのも事実である。

この問題を文学で考えるとき、ハーバーマスが公共性のモデルと考えた「文芸的公共圏」が思い出される。印刷技術と資本主義の発達によって、文学作品のラインアップが廉価版でそろい、多くの人々が文学に親しめるようになった。そして文学は議論を通して、より多くの人々をつなぐ重要な媒体として機能していたのである。一方で音楽家がパトロンから自立できたように、小説家は、新聞や雑誌などのメディアを利用し、自分の小説を売ることで自活できるようにもなった。

20世紀に入ると、そういうモダンな公共性に反旗を翻す形で小説的な実験が進む。そしてヌーボー・ロマンやメタ文学のようにひとりよがりな表現の隘路にはまり、ごく一部の言論空間でしか理解されないものになる。現状はどうだろう。大学の文学研究は相変わらず「過去の聖遺物」だけを対象にしているし、若い小説家たちは新しいかもしれないが、多くの人には共有されない個別的な状況を描く。一方でケータイを活用したケータイ小説や、アニメから派生した萌え系の新しい文学が生まれている。それらには相互的な接点や関心の共有もなく、島宇宙化している印象を受ける。幅広い関心の共有や共通感覚の媒体になりうるのは、今は文学よりも映画なのかもしれない。

「生活世界の再帰的構成に必要な価値合意は、ハーバーマスの考えるような理性的な討議によってあたえられるのではなく、芸術やサブカルチャーなどの表現を通じて滋養されるコモンセンス=共通感覚に基づく。そのことは未だに古典的主題を反復するフランスやイタリアの小説や映画を見ているとよくわかる」(宮台真司、「ネット社会の未来像」より)

宮台真司は「芸術やサブカルチャー」と言っているが、とりわけそれは映画である。宮台は古典的主題を反復する映画監督として、フランスのフランソワ・オゾン監督を持ち上げる。彼の作品は「表層的な見せかけに右往左往せずに、真の心を見極めろという伝統的なモチーフ」の変奏だと言うが、不知火検校さんが偶然にもクリント・イーストウッドについて、こんなことを書いてくれている。

「決して一作でそのテーマを解決させることはなく、飽きることなく繰り返しながら、イーストウッドはその問題に挑み続けているのではないだろうか。「本質的な思想家は唯一つの問題にだけ立ち向かう」とはハイデガーの言葉だが、まさにイーストウッドの新作映画は常に一つの「思想」として観客の前に到来してくる。このような映画が商業映画として大劇場で上映されているという事態は、100年を超える映画史の上でも奇跡的なことではないだろうか」(「パリで観るクリント・イーストウッド」)

まさにクリント・イーストウッドはフランツ・リストのような3拍子揃った映画監督なのである。古典的なモチーフを反復しながらも、新しい映画であり続け、同時に商業映画として多くの人々を動員するという離れ業をやってのけているのだ。

再び音楽の話に戻るが、「現代音楽(前衛音楽)がサブカルチャーに徹する」以前に、すでにロックが現代音楽のサブカル化の役割を果たしてきた。「ロックはスポンジのようなものだ」と言ったのは、現代音楽と接点を持つ環境音楽の創始者、ブライアン・イーノだった。ロックは表現として柔軟性を持つと同時に、メディアとの親和性が高く、特に若い世代への伝染力が大きい。音楽テクノロジーの進歩を真っ先に取り込んでしまうのもこの分野である。ロックが現代音楽的な実験を取り込みながら、ポピュラリティーを獲得することに成功した例として、70年代のプログレッシブ・ロック、80年代のノイズ・ミュージック、90年代の音響派が挙げられる。ミニマル・ミュージックの大御所、スティーブ・ライヒなんかは、ダンス・ミュージックのコンテクストで再評価されている。

以前、「サントリーローヤルCM-ランボー編」でセゾングループが果たした80年代の文化的な役割について触れた。80年代のパルコ=セゾン文化は企業家=詩人であった堤清二によって仕掛けられたわけだが、「大衆消費社会を批判する前衛文化を、大衆消費社会の担い手である流通産業が積極的にフィーチャーしてみせる」という「矛盾を孕んだ文化戦略」と浅田彰がセゾングループの功罪を評している。浅田は矛盾と言っているが、企業家と詩人は共存しえたのである。

それと併走していた音楽シーンを挙げるなら、80年代には豊穣なインディーズシーンがあり、メジャーシーンでは「BGM」をリリースし、実験色を強めたYMO(イエロー・マジック・オーケストラ)だろうか。何よりも坂本龍一が象徴的な存在だった。YMOが共振させたものは音楽にとどまらず、ファッションやアート、そしてマイナー文学や現代思想にまで及ぶ。音楽の前衛的な実験が、資本主義と決して矛盾することなく、むしろそれを逆手にとるように親和的に進められ、他のジャンルに波及しながら多くの若者の支持を集めたのである。先回言及したモダン・ジャズには及ばないが、これも3つの要素が奇跡的にかみ合った時代の偶発事と言えるかもしれない。浅田の言う「大衆消費社会を批判する前衛文化」とは先のアドルノの思想そのものだが、堤清二は「消費を通じての啓蒙」を実践した。同じ左翼系でも全くベクトルが逆だったのである。

□関連エントリー「西洋音楽史 - クラシックの黄昏(1)


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posted by cyberbloom at 21:18 | パリ | Comment(0) | TrackBack(0) | 書評−文学・芸術・思想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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