2008年11月15日

「千と千尋の神隠し」宮崎駿インタビュー(3)

sansvisage01.jpg崖の上のポニョ」は何よりもあの脱力系の主題歌によって世界を席巻した。息子の通う保育園でもみんなが口ずさんでいたが、子供だけでなく大人に対してもオブセッショナルな力があった。ベルリン映画祭であのヴィム・ベンダースまでが大好きだと告白したくらいだ。今回は「ポニョ」ではなく、「千と千尋の神隠し-宮崎駿インタビュー」の第3弾!


インタビュアー:少なくとも「紅の豚」以来、あなたは豚にとても興味をお持ちですね。「千と千尋」では、千尋の両親は誰もいない街に着いてすぐに豚に変えられてしまいます。
宮崎駿:はい、なぜならば、豚はすべてを食べつくす貪欲な生き物だからです。それは今日の日本を象徴しています!

インタビュアー:ところで、すべてを飲み込んでしまうカオナシはどこから来ているのですか?またこの映画には、カオナシ、坊、千尋の両親など、過食の強迫観念があることに気がつきます。
宮崎駿:そうです。これらの登場人物たちは性格的に欠陥だらけです。私はこの映画を私の友人たちの2人の娘のために作りました。2人は千尋と同じ10歳です。私は「善と悪の戦い」のようなものを見せたかったのではありません。世界の真実を見せたかったのです。少女たちはあまりに単純な善と悪の二元論的状況ではなく、あるがままの世界を発見しなければなりません。過食といえば、私はだいぶ前に「バベットの晩餐」を見ました。とても美しい大好きな映画です。その映画でも登場人物たちはたくさん食べます。

インタビュアー:あなたは、千尋/千のような子供が大人たちを救い、超常的な世界をサバイバルできる純粋さを持つとお考えなのですか?
宮崎駿:私は千尋が彼女の両親を救ってはいないと思います。最終的に人間の姿を取り戻したときでさえ、千尋の両親は本当には変わっていないのです。こういうタイプの親は日本にゴロゴロしています。日本でこの映画を見た2千万人の観客の中には子供だけでなく、多くの親=豚がいたはずです!子供たちは失敗してもやり直すことができます。あらゆる純粋さを失ってしまった大人たちとは反対に、決して遅すぎるということはないのです。しかし子供たちがこの純粋さを必ずしも持っているとは限りません。千尋は特別かわいいわけではありません。千尋は日本の何百万の少女たちと同じなのです。しかし、千尋が他の少女たちと違うのは特別な冒険をしたことです。

インタビュアー:楢山節考」の今村昌平が言うように、現代日本は幻想にすぎないのでしょうか?
宮崎駿:彼の映画は見たことがありません。本当のことを言うと私はほとんど映画を見ないのです。ましてや日本映画なんてもっと見ません。私は本当の日本がどうなのかということを子供たちに見せたかったのではありません。2時間内で、現在の世界を表現することはできないし、それは私の意図するところではありません。千は公衆浴場で働かなければならなかった。仕事をもらわなければ、自分が消えてしまうことをわかっていました。これは今の日本の少女たちの運命そのものと言えるかもしれません。サバイバルするには多くの勇気が必要です。




千と千尋の神隠し (通常版)千尋の両親がガツガツ食べながら意識を失い、豚になり、知らないうちに意識が戻ったとすれば、彼らが自分たちの行動を省みるきっかけはない。宮崎は千尋の両親だけでなく、「千と千尋」を見た観客の中に多くの「親=豚(parent-cochon)」いると手厳しい。確かに日本人はああいう状況に出くわした場合、同じような行動をとるかもしれない。屋台の料理を断りもなく勝手に食い散らかして、後でお金を払えばいいと考えるかもしれない。千尋の両親はありふれた日本人である。父親はいかにも体育会系って感じで、アウディに乗っている。千尋は甘やかされ、少しだらしのない感じのする一人っ子である。宮崎が言うように特に可愛いわけでもない。

宮崎のアニメには美少女キャラが「私、どうしたらいいかわからないの」と泣くシーンがよく出てくる。「オマエが撒いた種だろうが」とつっこみたくなるが、宮崎オジサンは少女にそう言われる(言わせる)のが好きなようだ。千尋にはそういうのがない。もっとも、ベストなタイミングで彼女を助ける周囲の好意は常に存在するのだが。

「みんなの中にカオナシがいる」とは宮崎駿本人の言葉。カオナシは金で人の関心を買うことしかできない。それ以外に人の心をつなぎとめるすべをしらない。カオナシが何も欲しがらない千尋にいらだち、「欲しがれ」と言う(この台詞はフランス語では Prends! 取れと訳され、うまくニュアンスを伝えていない)。これは資本主義の至上命令でもある。カオナシの出す金に群がる同僚たちにとは裏腹に、ほとんど悟りの境地に達し、凛とした強ささえ感じられる千尋は、金も食べ物も欲しくない。ハクを救うことしか頭にない。カオナシにきっぱりと、「あなたは私が欲しいものを出せない」と言う。

現実に世界に戻ったとき、銭婆にもらった髪留めがキラリと光る。全く変わっていない両親とは裏腹に、千尋が確実に成長したことを物語っている。千尋は「仕事をもらわなければ消えてしまう」運命にあった。これは「仕事がないと自分もない」、つまり「仕事を通して自己実現せよ」というメッセージである。実際、千尋は仕事で認められ、両親を助けることができた。しかし、このメッセージはネオリベラリズムがもたらす格差社会では非常にシビアに聞こえる。ネオリベは仕事での自己実現を煽る一方で、人間を熾烈な競争にさらし、仲間どうしで足の引っ張り合いをさせる。宮崎はそこまでの世界を想定していただろうか。仕事で自己実現できる人間なんてわずかしかいないし、仕事の中で信頼できる人間関係をはぐくみ、大切なことに気がつくことも稀なことだ。それ以前に多くの若者がそういう仕事=冒険のチャンスからも見放されている。

宮崎が次の「千と千尋」を書くとすれば、競争から降りよう、別の自己実現を目指そうという話を書いた方が今の若者たちにアピールするかもしれない。「千と千尋」にはすでに「欲しがらない」という重要なテーマが出てきている。「欲しがらない」ことは「欲しがれ」と命令し続ける社会からのひとつの降り方なのだから。

「千と千尋の神隠し-宮崎駿インタビュー(2)」




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posted by cyberbloom at 01:09| パリ 霧| Comment(0) | TrackBack(0) | マンガ+アニメ+BD | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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