2008年10月15日

エレーヌ・グリモー HELENE GRIMAUD

2008年の関西地方は春から初夏にかけ、興味深い演奏会が数多く開かれた。そのうちの幾つかをリポートしてみよう。

ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番「皇帝」(初回生産限定盤)(DVD付)まず、何といっても圧倒的だったのはパーヴォ・ヤルヴィ指揮フランクフルト放送交響楽団演奏会である(5月31日、フェスティヴァル・ホール、大阪)。このコンサートは1958年から始まった大阪国際フェスティヴァルの第50回目を彩る20ほどのプログラムの一つであり、後半のメインといえるものだった。フェスティヴァル・ホールは本年12月から改装されるため、この音楽祭自体も休止されるという。最期にもう一度、このホールの音響を確かめておきたかったという聴衆も多かったのではないだろうか。実際、数多くの熱い音楽ファンが詰め掛けているように感じられた。

プログラムはベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番変ホ長調op.73「皇帝」とブラームスの交響曲第2番ニ長調op.73というオーソドックスな組み合わせ。いずれも心地よい、溌剌とした演奏であったが、特に今をときめくエレーヌ・グリモーをソリストに迎えた前者は極めて水準の高いものであった。それはひとえにソリストの実力ゆえとも言えるが、それを引き出した指揮と管弦楽の演奏にも端倪すべからざるものを感じる。

エレーヌ・グリモーはいまや飛ぶ鳥を落とす勢いのピアニストである。エクサン・プロヴァンス生まれのフランス人であるが、ドイツ音楽を好み、ベートーヴェンやブラームスの協奏曲をプログラムに選ぶことが多い。実はこういうフランス人はかつてもいた。ブラームスのヴァイオリン協奏曲の伝説的ライブ録音(伴奏はハンス=シュミット・イッセルシュテット指揮北ドイツ放送交響楽団)を残したのち、不慮の事故のため僅か30歳で帰らぬ人となった天才ヴァイオリニスト、ジネット・ヌブーである。楽器の違いがあるとはいえ、私はグリモーの現在の活躍ぶりに往年のヌブーの姿を重ねてしまうのである。

野生のしらべグリモーはまた、狼と共に暮らすという生活ぶりでも話題になっている。幼い頃から周囲と溶け込めず、自閉症に近い性格を持っていた彼女を変えたのが狼との出会いであった。20歳からアメリカに移り住んで動物生態学を学び始めた彼女は、狼との交流を通して世界に向かって心を開き始める。と同時に、彼女の音楽家としての魂は目覚しく成長を遂げたという。詳しくは翻訳も出ている彼女の自伝『野生のしらべ』(ランダムハウス講談社)を参照されたい。

実際、グリモーの奏でるピアノの音は素晴らしかった。弱音から強音まで、迷いのあるタッチは一切なく、曲を完全に手中に収めている。「皇帝」は数々の名演があるピアノ協奏曲であるが、グリモーはその演奏史に新たな一ページを付け加えるのではないだろうか。煌びやかでありながら、決して派手ではない。そして、その軽やかな音には紛れもなく揺るぎのない芯のようなものがある。これは本物のベートーヴェン弾きである。ありふれた言い方で恐縮だが、私は「皇帝」が世界で始めて演奏される瞬間に立ち会ったかのような新鮮さを感じた。何はともあれ、これからもグリモーの演奏会には必ず駆けつけなければならないと心に決めた演奏会であった。

その他、アンサンブル・ウイーン=ベルリンの演奏会も素晴らしいものだった(5月18日、兵庫県立芸術文化センター、西宮)。これはウィーン・フィル、ベルリン・フィルの首席奏者を中心に25年ほど前に結成された管楽器だけの5人編成のグループ。憂慮されたのはリーダー格のフルート奏者ウォルフガング・シュルツが急病で来日不可能になり、プログラムが大幅に変更されたことだった。しかし、代わりに演奏に加わったピアニストの菊池洋子が素晴らしい演奏を披露し、メンバーとも抜群の相性の良さを見せてくれた。特にモーツァルト作曲ピアノと木管のための五重奏曲変ホ長調K.452はそのまま録音しても良いと思えるほどの高度な演奏であったのではないだろうか。観客も大満足であったようだ。

特に創立メンバーの二人、ハンス=イエルク・シェレンベルガー(オーボエ)とミラン・トゥルコヴィッチ(ファゴット)の演奏は神業とも言える水準。かねてから一度は生で聴いておきたいと思っていた二人の演奏であるが、期待を裏切らなかった。既にオーケストラの首席奏者の位置からは退き、後進を指導する立場にいる二人だが、その演奏の質は現役バリバリで他の追随を全く許さない。彼らの黄金時代は恐らくあとしばらくは続くのではないだろうか。その様なことを感じてしまうほど、その日の彼らの演奏には圧倒されてしまった。

さて、この夏は一体どのような音楽が聴けるだろうか。


□初出 main blog 2008年7月4日




不知火検校

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posted by cyberbloom at 10:23 | パリ ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | JAZZ+ROCK+CLASSIC | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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