2008年09月25日

「フランス-アメリカ この危険な関係」

フランス-アメリカ-この〈危険な関係〉「イラク戦争反対を表明して以来、フランスはアメリカに対するアンチテーゼを体現しているようなイメージが定着しつつあるが、じつはこれほどアメリカと縁の深い国も少ない。イラク戦争に反対され、アメリカ人がヒステリックにフランス産のワインボトルを割っていた頃も、フランス人は黙々とビッグマックを頬張っていた」

これはbird dog さんが書いてくれた「コカコーラ・レッスン」の一節である。さらに戦後の1946年にフランスが、莫大な借金を帳消しにしてもらう代わりに、ハリウッド映画の全面的受け入れを認めた ブルム‐バーンズ Blum-Byrnes 協定についても触れている。文化的降伏と揶揄され、フランス映画を緩慢な死へと追いやったと張本人と呼ばれる協定のおかげで、戦後のフランス人は浴びるように黄金期のハリウッド映画を見ることになった。

「ブルジョワ的教養によるのではない、即物的な豊かさが、当時はかっこよかった。カウボーイが履いているジーンズは機能的だし、ボトルからラッパ飲みするコーラは、カフェテラスのエスプレッソよりも軽快な飲み物だった」

それらはマーシャル・プラン(トルーマン大統領下の国務長官ジョージ・マーシャルの名に因む)と呼ばれた第2次世界大戦後のヨーロッパ復興計画によってもたらされたのだった。大戦で甚大な被害を受けたヨーロッパ諸国をアメリカが経済的に支援したのである。フランスは総額28億ドルの援助を受け、そのうちの85%は無償供与だった。

マーシャル・プランの目的は疲弊した各国の経済振興だけでなく、 made in USA 製品の新市場獲得のためでもあり、さらには american way of life を輸出することでもあった。フランスにはチョコレートやタバコ、コンビーフの缶詰が流れ込み、ル・アーブル港(セーヌ川の河口に位置する)にはトラクター、ミシン、冷蔵庫、掃除機などが次々と到着した。それ以来、フランス人の生活も次第にアメリカ化されていく。中でもやはり、コカコーラは象徴的で、1944年のパリ解放時にシャンゼリゼを凱旋行進したアメリカ軍の戦車にはすでにコカコーラの瓶用のケースも装備されていたという。

そんなアメリカの文化と経済が一体となった攻勢の中でフランスの知識人たちは必死に抵抗の論陣を張るのである。

「こと精神、文明、文化に対しては、フランスは誰からも忠告を受けない。こちらがそれを施すものなのだ!」(当時のパリのオペラ座の舞台監督の発言)

「ラブレー、モンテーニュ、ヴォルテール、ディドロ、ユゴー、ランボー、アナトール・フランスの国であるフランスが、今や人間の中の最も卑しいものをあおる輸入文学や、その愚かさが人間精神の侮辱となるいくつかのアメリカの雑誌によって埋没されている」

Boris Vian 死刑台のエレベーター[完全版]

いくらアメリカからの文化流入が著しかったとはいえ、こちらも十分に傲慢な発言である。このような妄想を主導していたのは、傘下に多数の知識人や芸術家を集めていたフランス共産党だった。伝統的にフランスのインテリはアメリカ嫌いだが、彼らはイデオロギー闘争の意味からもフランス文化の擁護者を名乗り出たのだった。1949年に共産党はコカコーラの禁止法案まで提出している!しかし、そのような危機感は一般の人々とはあまり共有されていなかったようだ。

第2次大戦直後の混乱したフランスでは、まずは生きることが最優先で、多くのフランス人は経済的な恩恵をもたらしたアメリカに好意的だった。フランスは戦勝国側に属していたにもかかわらず、ナチスドイツに踏みにじられ、実は戦後の日本と同じような立場にあったのである。アメリカの進駐軍によって日本に大量のチョコレートがもたらされたように、フランス人もGIのチョコレートやチューインガムに憧れた。

もちろん物質的なものだけではなかった。フランス文学者たちはスタインベックやフォークナーに魅了され、大きな影響を受ける。さらにパリジャンたちは、自分たちの街の解放とともにやってきた軽快なジャズのリズムに酔いしれ、パリはニューオーリンズ(もとはといえばフランス統治下のヌベル・オルレアン)に並ぶジャズの聖地となるのである。ボリス・ヴィアンがコルネットを吹いていたアバディ楽団は、パリにやってきた本場のジャスを知るアメリカのGIたちを踊らせることに成功する。1949年、弱冠23歳のマイルス・デイヴィスがパリで開かれた国際ジャズ祭に招かれ、ジャズが芸術音楽として高く評価されていることを実感する。そしてジュリエット・グレコと恋に落ち、アメリカに帰りたくなくなるのだ。

フランスの知識人たちのあいだで「フランス精神はアメリカに占領され、植民地化されつつある」という危機意識が生まれたのは、フランスが経済的に衰退し、外交の舞台でも脇役に追いやられ、自らのアイデンティティーの最後の砦を自国の文化に求めるしかなかったからである。しかし、フランス人の文化的な自尊心とアメリカの文化的な貧困という対立もひとつの神話にすぎないし、最高の芸術は常にヨーロッパにあり、アメリカ人は金を持っているが、文化と歴史を持たないというのも、ねじれたヨーロッパ的な優越感の現われにすぎない。

何よりも、津波のように押し寄せたアメリカの大衆文化をフランスの知識人は理解できなかった。ブルジョワ的な教養という枠組みしか知らなかった彼らは、それが俗悪なサーカスか、あるいは帝国主義的なプロパガンダにしか見えなかったのである。フランクフルト学派のホルクハイマーとアドルノは第2次世界大戦中にアメリカに亡命しているが、それを目の当たりにしたことが、彼らの「文化産業論」に決定的な影響を与えている。そのベースには文化領域に市場価値が浸透することへの憤慨があり、「その結果人々も商品のように画一化してしまう」と今ではクリシェになってしまったエリート主義的な嘆きがある。

いまだにフランス人は「自分たちと最も似ていない国民」としてアメリカ人を挙げる。ほとんど同じ諸制度の中を生き、政治的、道徳的価値観が近く、物質的生活様式が共有されていても、そう言うのである。とりわけフランスの若者はヒップホップを聴き、ナイキのシューズを履きながら、その55%が「アメリカの文化的影響は過大だ」と答える。内面化された「文化のマジノ線」は簡単に消えない。ナイキのシューズを履くことと、アメリカをバカにすることは別のことなのだ。フランスでのマクドナルドの売上はアメリカ以上に好調である。シャンゼリゼのマクドナルド(写真)で、トレイにビッグマックをいくつも積み上げ、まるでそれがステータスであるかのように誇らしげに食べているフランス人をよく見かけたが。

そして今度はアメリカの大衆文化の先鋭形とも言える日本のサブカルチャーがフランスを席巻し、一方、新しいフランスの大統領はイラク戦争で入った亀裂を修復するために「アメリカを愛している」とまで言った。


□このエントリーは宇京頼三著「フランス-アメリカ-この〈危険な関係〉」を参照した。コロンブスのアメリカ大陸発見から現在に至るフランスとアメリカの関係を検証している。著者は仏文学者だが、フランスに肩入れすることもなく公正な視線が感じられる。ありそうでなかった視点だ。それこそ多くの仏文学者はアメリカ嫌いを内面化しているので(イラク戦争反対でフランスは正義を貫いたという声もよく聞いた)、論じる必要もないと思われていたのかもしれない。




cyberbloom

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posted by cyberbloom at 20:51 | パリ ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 書評−文学・芸術・思想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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