2020年11月14日

Oh Mon Johnny…! 門外漢から見たジョニー・アリディの「謎」

初めてジョニー・アリディと接したのは、主演俳優として出演していた香港ノワール、ジョニー・トーの『冷たい雨に撃て、約束の銃弾を』でだった。シルヴィ・ヴァルタンの元夫で、フランスのエルヴィスと呼ばれているらしい。まず目を奪われたのはその風貌だ。手を入れすぎた果てとでも言おうか。洒脱でスムースなフランス美男とはほど遠い。が、この映画にはしっくりきた。言葉の通じない異国で右往左往しつつ復讐を遂げる、記憶障害を患う初老の元殺し屋のフラジャイルな不器用さを体現し、映画に深みを与えていた。トー監督はアラン・ドロンを念頭に映画を企画したらしいが、アリディをキャスティングして大正解だった。いい役者だという印象を胸に映画館を出た後、特に接点はなかった。



が、昇天してからこのかたの大騒ぎである。一体どうなっているのか。遅ればせながらニュースで知ったジョニー・アリディはこういう人だった。1943年生まれの歌手で俳優。本名ジャン−フィリップ・スメット。肺ガンにより74才で死亡。57年にも及ぶ芸能生活の間人気は衰えず、なんのかんのと4世代ものフランス人に愛された唯一のポップスター。スタジアム級の会場を常に満杯にするライブパフォーマーで、187回ものツアー、3,000回を超えるコンサートをこなし、レコード売り上げ総数は1億枚以上!。5度結婚するなど私生活も華やかで、パリマッチ誌の表紙を最も多く飾ったセレブ。その死を伝えるため妻が深夜2時にマクロン大統領に電話をしても許される特別な存在。

なるほど、確かにビッグな人だったのだ。しかしなぜこれほどまでにフランスが身も世もなく嘆き悲しむのかわからない。外国メディアも困惑しているようで、この驚くべき状況を何とか説明しようとしているのでまとめてみた。

どうしてジョニー・アリディはこんなにフランス人に愛されているのか?それは…

(1) 60年代に登場した、アメリカ文化を素直に享受する若い世代を代表するアイコンだったから。
エルヴィス・プレスリーに衝撃を受け、アメリカ風の名前ジョニー・アリディ(いとこの夫のアメリカ人の名前Hallidayを間違えて拝借した)を名乗ってデビューした1960年代。それは高度経済成長で暮らしが上向き続ける中、第二次世界大戦も戦前のフランスすらも知らずアメリカ文化を浴びて成長した若者たち、「黄金の30年間」の世代が台頭してきた時期だった。15才で「ELLE」誌のカバーを飾ったブリジット・バルドーしかり、17才でいきなり国際ベストセラー作家となったフランソワーズ・サガンしかり。メイド・イン・アメリカを抵抗なく楽しみ伝統を顧みないこうした軽佻浮薄な若者たちとそんな若者たちを苦々しく思う古い世代の大人達との軋轢の狭間に、金髪のリーゼントヘアでアメリカ丸出しの歌を腰振って歌うジョニーはいた。旧世代最大のアイコンであるド・ゴールからは目の敵にされ、大人達の偏見のせいでたくさん理不尽な目にあった(フランス全土のナイトクラブはジョニーを出入り禁止にした)。

でも、ジョニーはめげるどころかスターダムにとどまり続け、最後まで「やんちゃなレベル」の空気を漂わせ続けた。あの頃を体現する「我らのジョニー」として、アリディは同世代のフランス人の側にいた。

(2) アメリカ・イギリスのポップ・ミュージックを持ち込み、フランス化させた「功労者」だったから。
1960年代のどの国の若者もしていたように、ジョニーもどしどしアメリカ、イギリスのポップ・ミュージックを持ち込んだ―それもかなり身も蓋もないやりかたで。当時の日本のカバーソングが多少なりともオリジナルに敬意を払い、苦心して歌詞を日本語に落とし込んでみせたりしていたのに、ジョニーの場合はアレンジも含め丸々コピー。フランス語の歌詞すらオリジナルと無関係なんてことも少なくなかった。アメリカやイギリスのヒットチャートにいい曲が登場すれば、数週間でジョニー版をフランスでリリース、ヒットさせるという状況がしばらく続いた。オリジナルの存在を知っていた人は少数派に過ぎず、多くはそれらをジョニーの歌として受け止めた。

そっくり直輸入した新鮮なサウンドに俺流のホットなフィーリングをこめてフランス語で歌いあげるジョニーを通じて、フランスの若者たちは自分たちにとってしっくりする音楽を選択し、シャンソンとはまた違うフランス独自の大衆音楽を育てていった。

カバーソング量産を卒業しオリジナルソングを歌うようになってからもアメリカ・イギリスの音の動向を意識し続けたが、フランスの作詞家、コンポーザーの手による楽曲はフランスの聴衆に向き合ったものとなり、ジョニーはフランスの歌手としてゆるぎない地位を築いてゆく。

(3) 真のワーキングクラス・ヒーローだったから。
飲んだくれの軽業師であるベルギー人の父と、ランバンなどの高級ドレスメーカーでのモデル仕事にかまけてばかりの母に赤ん坊のころ「捨てられた」ジョニーは、父の姉である叔母に育てられた。キャバレーの舞台に立ってパンをを稼いでいた叔母の一家とともに、フランス国内外を転々とする。叔母はジョニーを学校に行かせたがらなかった。夫が対独協力者だったことが知れたらジョニーが報復されると信じていたからだ。

親もおカネもコネもなくまともに勉強もしていないジョニーは、芸能界に飛び込むことで成功し、エリート中のエリートの証であるレジオン・ドヌール勲章も手にした。お友達だったシラク大統領の力によるところもあるのかもしれないが、何のかんのいって階級社会であるフランスでは、大変なことだ。

成功の影にはジョニーの強いショーマンシップとファンへの献身があった。

「今日のコンサートはよかった」と言われるのが最高の褒め言葉と言い切るジョニーは、ファンを楽しませるために何でもやった。視覚効果満載のコンサートの演出はその最たるものだろう。上空高くホバリングするヘリコプターからステージへ降りてくるなんてスタントまがいのこともやってのけた。

何でそこまでやる?ジョニー本人が自分のスターとしての魅力をわかっていなかったからではないかという意見がある。お手本であるプレスリーはファンへアピールする方法をよく知っていて、自分の見せ方も心得ていたと。何がよくてファンが自分をこんなに求めてくれているのかわからない―だからとにかく常にベストを尽くすしかない。こうした気構えがパフォーマンスの熱量を上げ続け、ファンを喜ばせ続けたのかもしれない。

(4) 昔からずーっと変わらない「いい奴」だったから。
60年近くスターであり続けたにも関わらず、一貫して飾らない、素直な人であったようだ。若い頃ろくすっぽ税金を払っていなかったせいで、25年間、57才になるまでフランス政府への「借金」返済に追いまくられた、という信じ難い逸話の持ち主だ。計算高さとは無縁だったらしい。

フランスを代表するアイコンであるにも関わらず、晩年の自宅はアメリカ、ハリウッドにあった(お隣はトム・ハンクス)。顔さすことなくエルヴィス好きなおじさんとしてハーレー・ダヴィッドソンを自由に乗り回すことができ、快適な日々だったらしい。

音楽的に全く認知されていないイギリスで、あのロイヤル・アルバートホールでコンサートを開くという無謀なことも、やりたいからやってしまう(ドーバーを超えて詰めかけたファンのおかげでソールドアウトだったが。)

「エルヴィスのことは大好きだけど、晩年のあんなにでっぷりした姿を見るとやっぱり運動しなきゃなと思うよ、食べものにも気をつけて…。」なんてぽろっとこぼしてしまう。これがロックの人の発言だろうか!それがジョニーなのだ。

(5) 自分の弱さを隠さない人だったから。
ジョニーは一度自殺未遂騒ぎを起こしている。シルヴィ・ヴァルタンとの間に初めての子供が生まれたころだ。両親から捨てられたという事実は彼につきまとい、影を落とし続けた。ひどい気分の落ち込みを振り払うために酒やコカインにたよらざるをえないときもあった。そうしたカッコよくない自分も世間にさらし、時にはル・モンド紙のインタビューでオープンに語ったのがジョニーだった。

以上、書き連ねてみたが、フランスが寄せるジョニーへの想いはどれも説明できていないように思う。こうした要素が渾然一体となり、一人一人の持つ思い入れがさらに重なって、あの現象は起こったのかもしれない。謎は謎のままにしておいたほうがよさそうだ。

個人的には、バラード歌いとしてのジョニーにフランスを強く感じる。ロック風味ではあるものの、フランスのオーソドックスな歌手が表現してきた泣かせどころ、せつなさがたっぷりある。ここがフランス人の琴線に触れたのではないだろうか。フィガロ紙がジョニーの歌をプルーストのマドレーヌに喩えていた。果たしてそうなのかはわかりようがないが、少なくとも彼の歌はフランスの人々が安心して戻って来れる場所になっていたのかもしれない。


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2020年11月08日

20年後のLove letter 〜アレクサンドル・タローのバルバラへのトリビュート盤

トリビュートと銘打ったアルバムが苦手だ。敬意をこめてとうたっているが参加者のためのにわか仕立てのお祭り的にぎやかさが漂い、「彼の人」の作品は派手な衣装とメイクで別物に変身。素顔の方がよかったのに。が、クラシックピアニストのアレクサンドル・タロー(Alexandre Tharaud)がこの秋リリースしたトリビュート盤は、そんな偏見をあっさり突き崩してくれた。なにせ20年の歳月を経て、とうとう形になったアルバムなのだ。



1997年の晩秋。孤高の自作自演の歌手バルバラの死から3日後。墓の前につどったたくさんのファンのなかに、コンサート・レコーディングピアニストとしてキャリアをスタートさせていたタローはいた。どこかで誰かがバルバラの歌を口ずさみ、声が重なり、自然発生的な合唱になった。雑多な声が入り交じり、時に音程があやしくなったりする歌声は、途切れなかった。みんなやめたくなかったのだ。そして彼は思ったのだそうだ。バルバラは生きている、彼女の歌を歌う私たちの声の中に。いつかきっと、バルバラのためのアルバムを作ろう。

時間がかかったのは無理もないこと。そもそも、お固いクラシック部門のレコード会社の人間が、所属する若手アーティストからの「ジャンル違いのアーティストに捧げるアルバムを作りたい」というリクエストにすんなり耳を傾けるだろうか?今でこそジャズやポップスとの本気なクロスオーバーが賞賛されるようになったけれども、20年前なら全く相手にしてもらえなかったのではないか。また、バルバラがあの声、あのテンションで残したレコーディングの完成度が高すぎて、一部の大ヒット曲を除いてはカバー曲を録音することすらおいそれとしにくい状況があった。しかしあれからもう20年。違った視点で歌いなおし、新たな色を加えることが必要だ―メジャーレーベルで何枚ものアルバムを発表し、コンサートピアニストとして世界を旅する立場となったタローは、夢の実現に乗り出した。

レコーディングにあたり、タローは曲によってアプローチを変えている。シンガーを招き、新たに歌いなおす。役者に歌詞を朗読してもらう。そして、歌詞抜き、音楽のみで表現する。ほとんど全曲を自らが手がけた編曲は、びっくりするほど地味だ。電気系の楽器は極力はずし、ほぼアコースティックな楽器のみの編成。バルバラと一緒に長く仕事をした「身内」のミュージシャンにも参加してもらい、バルバラが気に入っていた音空間をつくることをまず目指した。スコア的にも冒険はしない。音数を押さえ、とにかく歌が際立つようにしている。

新しい視点と色を加えることを任されたのは、慎重にセレクトされたと思われるシンガー達だ。特に印象的なのが、20年の時が経つうちに登場した、様々なバックグラウンドを持つユニークな声。マリ出身のロキア・トラオレ、ベルベル人のインディ・ザーラ、アルジェリア系のカメリア・ジョルダナ(タレント発掘番組ヌーヴェル・スター出身)、インディ・ロックトリオのレディオ・エルヴィス(オリジナルが秘めていたビートを強調し疾走感溢れるバルバラを実現)。最年少の参加者、若干22才のティム・ダップには思い切ってバルバラの代表曲を歌わせている。どれもバルバラから離れがたく結びついているように思われた歌達が、シンガーの個性と歌心によってふわりと浮かび上がり、思いがけないきらめきを見せる。肩肘はらずリラックスして聴けてしまうのはこの試みが上手くいった証拠だろう。

20年前はまだ歌わせてもらいにくかった人たちも参加している。ロリータというあだ名がまだくっついていたジェーン・バーキン。ジョニー・デップだけのベイビーであることに忙しかったヴァネッサ・パラディ。二人とも気負うことなく自然体で歌に取り組み、オリジナルとはまた違う景色を見せてくれる。

朗読の試みも上手くいった。歌詞の素晴らしさでも知られているバルバラだが、タローは多くの人のフェイバリット・ソングである「ウィーン」を敢えてジュリエット・ビノシュに朗読させた。ウィーンから恋人へ綴る手紙の形式をとる詞だけに、演じられる言葉の息づかいがとてもリアルで迫るものがある。メロディに支えられなくとも成立するバルバラの世界をタローは見せたかったのかもしれない。

そして、インストゥルメンタル。バルバラといえばあれ、と名前があがる歌をあえてノー・ヴォーカルとする選択をしたタローは、ピアニストとしてできる全てを使ってバルバラの作った音楽を奏でている。多くがクラリネットやアコーディオンに主旋律を任せたアンサンブルで彼の参加は歌伴的なものになるのだけれど、一音一音がとても美しい。これしかないという気迫で自在に鳴らされる迷いのない音色を聞くと、ピアニストとして歩んできた彼自身の20年の重みを思わずにはいられない。奥底にずっと沈めていた想いを解き放ったかのように、彼はピアノで歌っている。待った甲斐があったのではないか。このアルバムは、20年の時を経てようやく書き上げることができたLove Letterなのかもしれない。

収録曲のうちYoutubeで聴けるもので、とりわけ印象深い2曲を選んでみた。一つはバルバラが亡くなったときはまだ子供だった世代のシンガー、カメリア・ジョルダナの歌うお別れの歌、「9月」。ジャズっぽい歌にぴったりはまるビロードのハスキーヴォイスが耳元で囁く甘い吐息のように歌うこの曲は、びっくりするほどかわいらしくてセクシーだ。音数を絞ったタローのピアノとしっくりと絡み合い、インティメイトな温もりが心地よい。こういうバルバラは想像できなかった。



ヴァネッサ・パラディがバルバラを歌えるのか、あの声はチャーミングだけれどミスマッチではないのかと正直不安だったのだけれど、彼女の自然にロックする感性が歌のほこりを払い、蘇らせてくれた。こんなに鮮やかに展開するメロディでしたが、と、どきどきしてしまう。もっといろいろな人に歌われるべき。シャンソンの中に閉じ込めておいてはもったいない。メロディメイカー、バルバラを改めて意識した。




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Dig Deeper―『枯葉』を聴きなおす

フランスの歌、といえば誰もがその名前をあげるだろう『枯葉』。シャンソンの代名詞であるばかりでなく、国境もジャンルも軽く超え様々な言語の衣装をまとって歌われ、無数のアレンジで演奏されている。特にジャズの世界では、カッコいいフレーズが湧き出てくるインプロビゼーションの泉としてスタンダードナンバーとなり、フランスを脱ぎ捨てた旋律は幾世代ものジェネレーションに引継がれ今も美しい変容を続けている。 あまりにも身近で、あまりにも使い倒されていて…だからこそ、その素顔を知りたくなる。ほんとうはどんな歌だった?



そもそも、歌うために作られたものではない。踊るためのものだった。作曲家ジョゼフ・コスマがコリオグラファーのローラン・プティのためにつくったバレエ音楽『ランデヴー』に組み込まれた旋律にすぎなかった(ルグリとゲランが踊ったパ・ド・ドゥの中で流れていたのを耳にとめられた方も多いかと思う)。

歌としてお披露目されたのは、第2次世界大戦後の人間模様を描いたマルセル・カルネ監督の映画『夜の門』。(この曲をヒットさせたイヴ・モンタンの主演作であるものの、映画の中で歌ったのは女性歌手。)脚本に携わった詩人ジャック・プレヴェールが後づけした詞はどんなものだったのか。最近岩波文庫の一冊に加わった『ジャック・プレヴェール詩集』に特別待遇で収録されているので読んでみる。

まず、季節についてことさらふれていないのに驚く。(アメリカの名作詞家ジョニー・マーサーによる英語詞や日本語詞を彩っていた感傷的な晩秋の印象や移り変わる季節の情景への言及は、タイトルやあの旋律から喚起された詩的創作だ。)プレヴェールの詞にあるのは、飾りを排したビタースウィートな嘆息。あれだけ幸せな豊かな時間を共にした二人だったのに、それでも別れてしまったというなんとも言えなさをまだ抱えている。時が経っても私の中につもっている「あの頃」の残滓の象徴として登場するのが、掃き捨てられる枯葉の山(ひらひら舞い落ちはしない)。この歌が使われた映画自体ハッピーとはとてもいえない作品であったことも影響はしているのだろうが、想像していた以上に噛み締める詞があった。

が、いざ歌われると、歌は顔つきを変える。多くの歌い手たちはのあの強い旋律に引きずられうっとりし、いかに美しく歌うかに腐心するところで止まってしまう。旋律への思い入れのおかげで、詞までなんだかこってり化粧されてしまったようだ。素顔の歌を感じさせてくれるものはないかとyoutubeに相談してみたら、見つけたのがこの2曲。

フランソワーズ・アルディ



この歌と相容れない個性の人であると思う。歌った時はまだお若かったご本人もそれを意識しているのか、あっさり、そっけなく歌っている。その思いの薄さ加減が、歌の持つ微妙なニュアンスが息をする場を作ってくれているような気がする。ラテンの香りのする音にシフトするアレンジもお洒落。

アンネ・ソフィ・フォン・オッター
https://youtu.be/b5RlYr2ejHM

スウェーデンの名メゾソプラノの、フランスの歌を集めた2枚組アルバムより。母語ではない言葉で歌う緊張感と、声楽家ならではの音や言葉への繊細で精緻な目配り、楽曲を読み解く感受性、そして徹底したヴォーカル・コントロールでもってこの歌を洗いにかけ、見事に蘇らせてしまった。メロディの美しさはそのままに、詞が孕んでいたいわく言いがたいほろ苦さがすみずみににじんでいる。

また、この曲が多くのジャズの名演により歌の枠を超えて愛されてきたことをさりげなくしのばせる作りにもなってる。一カ所だけ、オッターはメロディを崩してみせるのだが、原曲から離れふっと身軽に浮かんでみせる身のこなしに、歌手とは違うアプローチでこの歌を愛した数知れないジャズミュージシャンへのオマージュを感じる。


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