2020年03月18日

『収容所のプルースト』ジョゼフ・チャプスキー

外国人が多く住むパリには、外国語(つまりフランス語以外)の本を専門にした書店がいくつかある。そんななかでも、僕が好きなのが、サン=ジェルマン大通り123番の「ポーランド書店」だ。重い扉を押して、細長い店内に入ると、ポーランド関連のフランス語書籍が、背の高い本棚にぎっしりと並べられている。鉄製の狭い螺旋階段を上ると、ポーランド語の書籍を並べた隠し部屋のような二階に上がれる。僕はポーランド語は読めないが、ものすごく「文化」を感じる場所で、つい訪れたくなる。



この書店の母体は、帝政ロシアに対する11月蜂起(1830年)に失敗した亡命知識人が、1833年に創立したポーランド文芸協会である。フレデリック・ショパンは、同協会の初代運営委員だった。書店の方は、当初はヴォルテール河畔に店を構え、ショパンはよく立ち寄っては、ミツキェヴィッチなど、同郷の文学者と議論したという。1925年に、書店は現在の住所に移転。ここでかつて入手した『プルースト、堕落に抗してProust contre la déchéance』という本を、今回紹介したい。

著者のジョゼフ・チャプスキー(Joseph Czapski, 1896-1993. ポーランド語読みではユゼフJózef)は貴族出身で、1920年代に「カピスト派」の画家として出発した。パリに出てきた彼らは、幸運にも、同郷のミシア・セールMisia Sertの庇護を受けた。その美貌と教養で、マラルメからフォーレまで、パリの芸術家たちを虜にしたミシアは、ミューズとして名高い人物である。彼女の援助のおかげで、チャプスキーはパリの画壇へ入ることができた。

しかし、1939年に、独ソ不可侵条約の秘密条項に基づいて両国による東西からのポーランド侵攻が始まると、ポーランド軍の将校に任じられていたチャプスキーはソ連軍に捕えられ、グリャゾヴェツ捕虜収容所に送られてしまう。同房者の大半は後に、ソ連軍による将校の処刑、いわゆる「カティンの虐殺」の犠牲者となった(詳しくはアンジェイ・ワイダ監督の映画『カティンの森』をご覧いただきたい)。

チャプスキーは、同房の仲間たちと「連続講演会」を企画した。すなわち、自分が得意な分野について、毎晩誰かが話すというものだ。そこで彼が選んだのが、1924年の入院中に読んだプルーストだった。彼の「講義」は、まず『失われた時を求めて』の文学史的背景である自然主義と象徴主義の並行関係を指摘し、その代表として画家ドガを挙げる。プルーストは科学的なまでに正確な描写と分析を展開する一方、連想と比喩による喚起力において象徴主義的な作風をもつ作家であり、ドガとの接点がある、とチャプスキーは考えた。

また、『失われた時を求めて』をポーランド語に訳したボイ=ツェレンスキーが、「読み易いプルースト」を作り上げたことを批判した。パスティッシュの得意なプルーストが、あらゆる文体を駆使できるにもかかわらず、あのような文体を選んだことには、作家としての責任を見るべきである、と言うのだ。また、『失われた時を求めて』は、社交界や美や恋愛の空しさを語る点において、パスカルに比すべき作品と見なされる。さらに、フェルメールの絵の前でのベルゴットの死は、晩年のプルーストが「死に対してもはや無関心」な芸術家の境地に至ったことを示している、と考えた。

こうした評価は、通常のプルースト批評からは大きく外れている。しかし、これは収容所にあって、チャプスキーがプルーストのなかに見出した慰めだったに違いない。いつ殺されるか分からない状況にあって、画家は、生の空しさを直視し、死を間近に感じながらも仕事に没頭した作家像を、半ば理想化しつつ、描き出す。本書に見出されるのは、プルーストの「快楽」を語りがちな平和な批評家には見えない、死を前にした厳しいモラリストとしてのプルースト像である。

チャプスキーは、生き残った。しかし、終戦後は共産主義に転じた祖国を離れ、フランスに定住し、亡命ポーランド人の仲間とともに『クルトゥーラKultura』という雑誌を創刊した。この雑誌は、2000年までに637巻が刊行され、ユネスコの「世界の記憶」に登録されている。もちろん、パリのポーランド書店でも販売された。パリ郊外にあるメゾン・ラフィットのチャプスキー邸は、雑誌の編集部でもあった。彼の厳しくも温かい人柄は、ジル・シルヴァーシュタインの感動的な回想に詳しい。

『プルースト、堕落に抗して』は、獄中のメモと記憶をもとに、1943年にフランス語でタイプ原稿が作られ、1948年にポーランド語訳が『クルトゥーラ』に発表された。僕が入手したフランス語版は、1987年にNoir sur blanc社から刊行された。この出版社は、ポーランド語やロシア語の書籍のフランス語訳と、各国語の書籍のポーランド語訳の両方を刊行しており、パリのポーランド書店も拠点の一つである。本書はその後、文庫版も刊行されている。

晩年のチャプスキーの姿は、デヴィッド・リンチやゴダールなど、5人の監督が参加したオムニバス映画『パリ・ストーリー』(1988)に収録されている短篇映画「プルースト、わが救い」(アンジェイ・ワイダ監督)で見ることができる。この本の刊行の翌年に取材したもので、陰影のある室内の風景のなかで、しわがれた声の老人が、プルーストに支えられた捕虜収容所での生活を振り返っている。極限状態にあって、外国文学が精神の「堕落」への抵抗の根拠となったことは、驚くべきことである。しかし、あり得ないことでもない。外国語の読書が、それほどまでに深く受容されることもあるのだということを、この「戦場のプルースト」のエピソードは示唆している。

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posted by cyberbloom at 14:58 | パリ ☁ | Comment(0) | 書評−文学・芸術・思想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2020年03月16日

『パリは燃えているか?』ドミニク・ラピエール&ラリー・コリンズ

パリ解放−と聞くと、思い浮かぶのがモノクロのニュースフィルムの映像。満面の笑みをうかべたパリ市民。美しいパリジェンヌ達の大歓迎を受ける陽気なアメリカの兵士達。フランスの地を再び踏んだド・ゴール将軍。つらい時代が終わった良き日、お祭り騒ぎの日、という漠然とした印象を持たれるのではないでしょうか。



この歴史的な日にいたるまでのプロセスに焦点をあてたのが、今回ご紹介するノンフィクション。「パリを失うのはフランスを失うのと同じ」と考えるヒトラーの厳命によりパリを爆破する準備を着々と進めるドイツ占領軍と、ド・ゴールの執念に押される形でようやくパリへ進路を向けた連合国軍の2つの勢力の動きを丹念に追い、パリが「あの日」を迎えることができたのは必然ではなく奇跡に近いことであったことをを教えてくれます。また、パリは無傷で解放の日を迎えたわけではないことも明かされます。連合軍を待ちきれず蜂起した市民とドイツ軍との間で血が流され、連合軍入市後も抵抗するドイツ軍との間で戦闘が行われたのです。解放後のフランスを巡るド・ゴールのフランス臨時政府とレジスタンスの共産党グループの思惑とかけひきも書き込まれていて、きれいごとで終わらせないのもこの本を深いものにしています。

しかしこのノンフィクションが数多ある歴史秘話本の一冊とならず、今なお血の通った名作として読み継がれているのは、パリ破壊の最終指令を下せなかった占領軍トップ、コルテッツ将軍をはじめとした歴史上の有名人を登場人物とする大きな物語を追うだけでなく、その場その時を生きた名もなき人々の数知れぬ小さな物語も徹底的に拾いあつめているからでしょう。解放までの1944年8月の数週間の一日一日が、こうした人々の取ったてんでばらばらな行動と発言をモザイクのように組みあげて再現されています。ワンカット、ワンシーンの積み重ねが1本の映画になるように、一人一人が何をし何を話したかが積み重ねられ、この本を作っているのです。軍人、レジスタンス、刑務所から強制収容所へ列車で移送される人々と、その列車に乗っている夫を自転車でどこまでも追いかける妻。ドイツ兵と逢い引きするパリジェンヌ。市内に潜伏するアメリカ兵。解放後の大もうけを狙ってパリで興行を準備するサーカス団長。劇的なことも、ユーモラスな話も、雑多な一コマ一場面が、ごく簡潔な言葉で鮮やかに描写されています。ひきしまったいい映画の印象的な場面を見るかのように。

こちらが思うよりはるかに多くの人が、レジスタンス運動に関わっていたのにも驚かされます。当時のフランス人の誰もがレジスタンスだったわけではないのは事実ですが、それでもあらゆる階層の数知れない人々が、細分化された任務を秘かに果たしていたのです。人をかくまったり、自転車で情報を運ぶ等日常生活の一部を活動に捧げた人、「煙草を買いにいってくる」と言い残して、自由フランス軍に加わるため北アフリカへ向かった人。貢献の仕方はそれぞれです。が、その行動に「愛国心」といった大きなスローガンが見えないのが印象的でした。誰のためでもない、ただ今の状態を受け入れることが私の信義に背く事だから、動く。そうした一個人の決断が結果として歴史を動かしたのです。

名著と言われつつも長らく絶版でしたが、この度ついに復刊されました。上下巻ある長い本ですが、ぜひ腰を据えて、頁をめくってみて下さい。(この本を原作にしたオールスターキャストの映画を見たからいいやと思っているあなたにはぜひ。本当におもしろいところを知らずにいるなんてもったいない!)読み終わった後、パリの街が違った目で見えてくるでしょう。時を告げる教会の鐘の音も、特別な思いで聞くはずです。


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posted by cyberbloom at 14:43 | パリ ☁ | Comment(0) | 書評−フランス小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2020年03月03日

『ルイーズ・ブルジョワ 糸とクモの彫刻家』 エイミー・ノヴェスキー

子供向けの伝記、というのは立派な業績の持ち主についてのものだとばかり思っていた。遠い昔買い与えられたその手の本は野口英世にリンカーン(おぼろげながら記憶に残っているのはたわいもないことばかり―結婚前は毎日同じメニューを外食していたとか木の葉を詰めたおふとんとか)。だから、ルイーズ・ブルジョワの人生についての絵本があると知ってたいそうびっくりした。



現代アートの人である。その作品の多くはわかりやすい美とかけ離れている。どう見ても男性のナニであるオブジェを小脇に抱え、婉然と微笑むメープルソープ撮影のポートレートで知られるあのアーティストがどんな風に描かれるのだろうか。

第一次世界大戦が勃発する数年前、1911年のクリスマスにルイーズ・ブルジョワは生まれた(戦前の古き良きフランス文化を知る世代の人なのである)。タペストリーの修復を手がける工房の娘として、時代を超えて生き残った精緻な手仕事をごく身近なものとして育った。パリ郊外の川辺のみずみずしい自然と芸術的な空気が共存する世界で過ごした子供時代を描いた頁は、とても魅力的だ。こういう色鮮やかな記憶があのアーティストの深奥にあったのかと少なからず驚いた。

自分とその周囲の世界への探求が創造と深く結びついているブルジョワにとって、その作品の背景として欠かすことのできない存在である両親も登場する。優しくもの静かで、休むことなく手を動かしすり減ったタペストリーを蘇らせていた、心の友でもあるお母さん。工房と顧客とをつなぐ仕事のため不在がちでどこか遠い人だったお父さん。ブルジョワの70年を超える活動において常に影響を与え続けたこの二人のことも、対称的なトーンできちんと描きわけられている(若きルイーズの自殺未遂の原因ともなった、父と身近な女性との不貞についてはさすがに言及がないが)。 

ブルジョワの代表作である金属と石でできたいかつい巨大なクモの彫刻がなぜ「ママン」と名付けられるようになったのかという種明かしもされていて、それはそれで興味深い。が、作品の読み解きよりもルイーズ・ブルジョワのクリエイターとしてのあり方にひきつけられた。この本が焦点を当てた晩年の作品群、ファブリック・ワークスについての頁では、製作の様子がはずむようにいきいきと描かれている。子供の頃から捨てられなくて手元に置いてきた服、ハンカチ、リネンといった雑多な布の山を素材とし、様々なコンセプト、形態の作品が誕生するのだが、布に触れ切り刻み縫い合わせる、忙しく動くブルジョワの手のイメージが浮かんでくる。

広く知られた「功成り遂げた老アーティスト」のブルジョワを描いた絵はこの本には一枚もない。本の創り手たちが伝えたかったのは有名芸術家のストーリーではなく、90才を超えた晩年まで活発であり続けたブルジョワの芸術家のたましいとでもいうべきものなのかもしれない。自分の中へと分け入り、見つけたものを他人の目にも見える表現へと昇華させてきた、真摯なエネルギー。手が止まる日は確実にやってくるが、私の中で鳴りひびくものを止めることはできない。ひたすら糸をはき、思いがけない所に予期せぬ形の巣を作り続けるクモにも通じるところがある。

ブルジョワの作品の他の側面、例えば生理を逆撫でするような感覚、怪しいエロティシズムや凝縮したナイトメアのような怖さ、は登場しない。評伝としては正しくない本かもしれない。しかし創り手が共感したに違いないブルジョワのアーティストとしての「美しい」存在感は確かに読む側に伝わる。晩年のブルジョワの作品のモチーフや「かわいい」色彩感覚を巧みにアレンジして絵の中に忍ばせた、透明感あふれる水彩によるイラストレーションの果たした役割はとても大きいと思う。

子供のための本ではあるけれど、むしろ大人にこそ多くのものが届くのではないだろうか。今年のしめくくる一冊として、自分のために選びたい本だ。


posted by GOYAAKOD


posted by cyberbloom at 14:27 | パリ ☁ | Comment(0) | 書評−文学・芸術・思想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする