2018年11月16日

エルヴェ・ギベール『ぼくの命を救ってくれなかった友へ』(1992)

今回課題本となった『ぼくの命を救ってくれなかった友へ』の翻訳原本は、1990年に発表されたエルヴェ・ギベールの自伝的作品 A l’ami qui ne m’a pas sauvé la vie である。自らのエイズ患者としての体験、自分にエイズの最新の治療法を受けさせてやると約束していたのにそれを反故にした「友人」ビルの裏切り、やはり「友人」であったミシェル・フーコーのエイズによる死、イザベル・アジャーニの気まぐれな心変わりによって頓挫した映画の企画話などが主に語られている。これらのスキャンダル的要素と自らの病気の進行を詳細に書き記したドキュメンタリー的価値によって、本書は世界各国の言語に翻訳され一躍ギベールの名は知られるようになった。



エイズという言葉を初めて耳にしたのは、石橋楽器のポスターで日本でも有名になった宇宙人のような風貌のクラウス・ノミが、1983年に「エイズで真っ先に亡くなった有名人」として亡くなった時であったと記憶している。そして次の年1984年にミシェル・フーコーが亡くなった時も表立ってそうとは言われなかったがエイズによる死と囁かれていた。しかし1986年に公開された『汚れた血』で「愛の無いセックスで感染する病」という明らかにエイズに触発されたモチーフが描かれ、そしてそのモチーフに若かった私がロマンティシズムを感じていたことを鑑みるに、「エイズ」という言葉にはまだ物語が介在する余地があったのだと思う。

さて『ぼくの命を救ってくれなかった友へ』では、映画製作を巡ってのアジャーニとのいざこざが大きく扱われている。若い頃よりギベールは映画監督になるという志望を一貫して持ち続けていたそうなので、アジャーニの裏切りは許し難いものであったのであろう。彼はすでにジャーナリストとして映画・写真に関する記事を書き、同時に写真家としても活動しており、ミニュイ社、ガリマール社を中心にコンスタントに文学作品を発表し続けてもいたが、本格的に彼が注目されたのはやはりこの作品によるところが大きい。その証拠に『ぼくの命を救ってくれなかった友へ』の出版後、1990年3月に彼はベルナール・ピボが司会を務め、認められた作家だけが出演することのできる書評番組『アポストロフ』に出演することになるのだから*。

https://youtu.be/en9OWEvf_Cw

ギベールの作品はもともとどれも自伝的要素が強いようだが、この番組の中で彼が強調していたのは、『ぼくの命を救ってくれなかった友へ』はエイズをテーマとした文学作品であるということである。フーコーが自分の死因について秘密にしていたにも関わらずそれを暴露したことを非難されていることに関しても、フーコーの死と苦しみは誰のものでもなく、自分は多くのエイズによる死の証人であり、「いまや、ぼくたちが友情のほかに共通の死の運命によって結ばれている」のだから、結局は自分自身の死がモチーフなのだと語っている。彼にとって体験は「フィクションを生みだすためのベース」であって、「書くという行為は悪魔祓いの試みと祈り」であり(*)、「書いてあることは全て真実であるが、同時に入念に構築されたロマン(小説)」なのである。

*スーザン・ソンタグは『エイズとその隠喩』の中で「病人にとって、書くこととは、想像力をかきたてることではなく、鎮めることだ」と述べている。

また彼は番組内で、この作品が自分を裏切った友人を「象徴的に」殺す道具なのだとも言っている。「針をもっていって、ビルが席を立ったすきに、傷つけた指を赤ワインのグラスのうえでぎゅっとしぼって」やればよかったのに、と友人のジュールに言わせている場面について、ガリマール社の校正係のマダムが、「ギベールさん、意地悪かもしれませんが、私だったらやってましたよ」と言っていたと、笑いながら語っているギベールを見ていると、彼がエイズで番組出演後、91年末に亡くなるのだという事実が不思議に思えてくる。

時間がない差し迫った状況の中での、かつて愛した、そして今も愛する友人たちとの「愛」の物語。少なくともエイズという病がそうした関係性を描かせたことは確かである。自分の「仲間」がエイズで次々と亡くなっていき、そして自分もまたこの病に侵されていく中で、助かるかもしれないという希望と絶望の間を描き出したこと、初めてエイズを文学的題材にしたという意義は大きい。ギベールは、次作『哀れみの処方箋』において、書くことを通じて、衰弱し朽ち果てていく肉体に美を見出していく。

ところで今回の読書会で、是枝裕和が映画監督デビューする前年の1994年に、平田豊さんというエイズ患者のドキュメンタリー『彼のいない八月が』を撮っていたことをExquiseさんに教えてもらった。作品の終わりの方で、病状が悪化し、目が見えなくなり、寝たきりで酸素吸入を受けながら、支援者の人に平田さんは言う。「もう来なくていい、もう来なくていいよ、恐ろしいから」「二日前にね、前の人がなくなったの、そいでその声が夜中に聞こえるの、その亡くなるまでの・・・怖かった・・・それでね、とても怖かった、全部聞こえるの・・・」「・・・あそこまでね、苦しまないで人が死ねないのか」

『彼のいない八月が』も、エイズという特殊性を離れて、すべての人の死という普遍性を獲得しているのだが、ただ『ぼくの命を救ってくれなかった友へ』と異なり、映像はあまりに生々しすぎて、もはや物語を介在させる余地を奪ってしまうのではないだろうか。

ギベールは自らの肉体が衰えていく様を映像化(*)しているのだが、私たちはここから何を読み取るのだろう?

*例えば、『慎み、あるいは慎みのなさ』La Pudeur ou l’Impudeur (1991)



noisette




posted by cyberbloom at 00:05 | パリ 🌁 | Comment(0) | 書評−フランス小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする