2016年06月18日

フランス語の綴りが変わる?

「フランス語の綴りが変わる」というニュースが飛び込んできた。実はこの綴り改革は1990年にすでに承認されていたのものだというが、仏紙リベラシオンの記事「Réforme de l'orthographe : ce qui change vraiment 綴り改革:本当に変わるもの」に沿い、改めて一体に何が変わるのか見てみよう。



1990年にアカデミーフランセーズによって承認された綴り改革は、来学期の教科書でより目に見える形にしなくてはならないだろう。アクサンシルコンフレクスは本当に脅かされているのか?解読してみよう。

この改革は1990年にアカデミーフランセーズによって承認されたが、ほとんど適用されてはいなかった。綴り字改革は、次の新学期から新しくなる、学校の教科書に自動的に採用されるだろう。「綴り字教育は1990年12月6日の官報に記載された、修正された綴り字に準拠する」と2015年12月26日発行の国民教育の官報に示されており、水曜にいくつものメディアに指標とされた。フランス語の上級評議会の勧告はアカデミーフランセーズによって有効とされ、2000以上の単語に関わるもので、今後2種類の綴りを持つことになる。2つ書記法が受け入れられ、現在の綴り字は慣用として残るだろう。5つの質問によって解読してみる。

― どの単語の綴り字が変わることになるかもしれないの?

この改革によってまず変わるのは、しばしば私たちの言語が進化する過程で消えた「S」の名残であるアクサン・シルコンフレクスである。CP(cours préparatoire、小学校の準備科、小学校1年生)たちを悩ませているこの「帽子」はもう i や u の文字の上に載せる必要がなくなる。ただしそれが動詞の語尾(「qu’il fût」単純過去)を示していたり、固有名詞だったり、意味の区別をもたらす時を除いて。例えば「mûr 熟した」は、「mur 壁」と混同しないようにアクサンを残す。一方動詞「s’entraîner」はアクサンなしのただの i だけで書かれ、もう誤りとは見なされない。

さらにアカデミーの照準は、トレデュニオンと「ph」の綴りに向けられる。「chauvesouris」「millepatte」「portemonnaie」「weekend」は一語で書いてよいことになる(week-end → weekend)。アカデミー会員たちがまた、直感的に一致しない綴りを簡素化し(「oignon」の代わりに「ognon」、「nenuphar」よりも「nenufar」)、同族の単語の不規則を修正したり一貫性を持たせる(例えば「souffler」と「boursoufler」では、後者は「f」を二つにしてよい)。

他に変わる点として:いくつかのアクサン(「cèleri」「crèmerie」「règlementaire」「sècheresse」)、さらに動詞「laisser」に不定詞が続く場合、過去分詞が不変化になりうる(elle s’est laissé mourir、ils se sont laissé faire)。

全部で、2400の単語、フランス語の語彙のおよそ4パーセントが刷新(リフティング)される。

― 誰がこの改革の影響を受けるの?

安心してください、基本的にあなたが、見直され、修正されたプルーストの改訂版に出会うということはないはずです。改革の修正は、学校図書にのみ適用されます。この綴りの変更の採用を決めたのは、教科書出版社、特に Belin 社です。来学期から配布される、それらの新しい綴りと文法の図書には、先生や親御さんをあまり驚かさないように、「新しい綴り」と記されたマカロン(=丸い印)がついています。

ー どうして新しい綴りを実際に適用するのに、こんなに長く待たされたの?

改革は2016年の新学期から学校教科書において、より存在感のあるものになるが、実は1990年以来適用されていると見なされている。アカデミーフランセーズの勧告はこの日から有効だったのだが、どちらかといえば注目されてこなかった。というのもこれらは義務では全くないからだ。2種類の綴りは受け入れられているし、教師もすべての公務員もどちらも使ってよいのだ。もっともいくつかの過去に出版された教科書、特に Hatier 社の物は、すでにこの新しい綴りを組み込んできた。

来学期の一般化は文部省とは何の関係もないと大臣ははっきり言っており、出版社によって決定されたものだ。フランスの学校プログラムは、そもそも2008年からこの綴り字の修正を採用したのだが、当時の資料が示すように(ここでオンラインでアクセス可)、もっと目立たない形だった。

― アカデミーフランセーズの言い分は?

修正はフランス語の進化に沿ったもので、生徒たちの習得を容易にするものと見なされている。「17世紀から常になされてきたように、また大多数の近隣諸国でなされているように、その使用をより確実なものとし、一貫性があり熟慮された修正を綴りにもたらし続けること」が重要である、とアカデミーフランセーズは1990年の文面で説明していた。アクサンシルコンフレクスの場合、今見てきたように、特に注意を払う対象となったが、アカデミーはそれが「フランス語の綴り字の大きな障害となっており」、「その一貫性のない恣意的な使用」が、「教育のある人々」にまで問題をもたらしていると見なしている。そしてこのアクサンの使用が見直され得ることが正当化されるいくつかの例を挙げる:同族の単語の中での(icône, iconoclaste ; jeûner, dejeuner ; grâce, gracieux)、あるいは発音の点で(bateau, château ; clone, aumône)、一貫性のない使用。

― どうしてこの綴り字改革が批判の対象になるの?

フランス語の改革とその習得に言及すると、しばしばフランス語が貧弱になり、最低に合わせた均等化が起こるのではという人々がいる。「覚えるのが簡単ではないという口実で、フランスの歴史上の日付をなかったことにするだろうか?いいえ。病人を手当てするより、体温計を壊す方が簡単だ。そこでこの際、今日の生徒たちが認める綴りの難しさを手当てするより、体温計を壊すことにした」、ニュースを知り、TF1 にインタヴューされた古典文学の教授はこのように嘆く。別の教授の説明では、改革のせいで、生徒たちに2種類の綴りを教えなくてはならなくなる、なぜなら新しい書記法は今のところ日常生活にまだ入り込んでおらず、後にフランス語の間違いと解釈される恐れがあるということだ。水曜の晩、ネットユーザーたちは、教授たちがアクサンシルコンフレクスが完全に消えると誤って解釈したことに激しく抗議し、ハッシュタグ#JeSuisCirconflexe を投下するほどだった。

Réforme de l'orthographe : ce qui change vraiment
Par Juliette Deborde
4 février 2016
Libération



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posted by cyberbloom at 17:45 | パリ ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | フランスの現在 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2016年06月13日

ジャック・リヴェット追悼

ヌーヴェル・ヴァーグの映画作家ジャック・リヴェットが87歳で亡くなったというニュースは、ごくわずかのフランス映画マニアしか驚かせない類の話かもしれない。リヴェットの映画には、確かにゴダールのような強烈なインパクトもなければ、トリュフォーのような親しみ易さもない。ロメールのような分かり易さもなければ、シャブロルにおける「サスペンス」のように特定のジャンルに括られることもない。しかし、彼が失われたことはフランス映画の「最良の部分」が消え去ったことを意味する。その点では、リヴェットの死は「ひとつの時代の終焉」と言っても良いほどの出来事であろう。

とかく、リヴェット作品は「難解」との烙印を押されることが多かった。『カイエ・デュ・シネマ』誌の元編集長。鋭利な批評家として名を馳せていた彼自身が熱狂的映画ファンであり、「毎日のように映画を観続けていた」という伝説から察するに、「普通の映画」などは何があっても撮ることは出来なかったのであろう。トリュフォー、ゴダール、シャブロル、ロメールが映画作家として快調な滑り出しを見せ、やがて映画界の巨匠への道を進む中、リヴェットだけは12時間以上も上映時間がかかる難解な映画(『アウトワン』)を平然と撮る「呪われた作家」として、孤高の獅子のように映画界に屹立し続けていた。自分の作品が普通に読まれるまで「100年以上かかるだろう」と言ったニーチェと同様に、受け入れられるまでに一体どれくらいの歳月がかかるのかとリヴェット本人も思っていたに違いない。

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リヴェットはそのキャリアの最初から「演劇」と「陰謀」というテーマに憑りつかれた作家だった。長編デビュー作『パリはわれらのもの』では劇団員の活動とその背後に蠢く陰謀がテーマとなるが、1970年代から80年代の作品群―『アウトワン』(1971)、『セリーヌとジュリーは船で行く』(1974)、『北の橋』(1981)、『地に堕ちた愛』(1984)―においても、そのテーマが陰に陽に現れては繰り返され、その中で、ビュル・オジエ、ジェーン・バーキン、ジェラルディン・チャップリンといったお気に入りの女優たちが不可思議な冒険を展開する。それが最も洗練された形で結実するのは『彼女たちの舞台』(1989)であり、日本においてもこれ以降、彼の作品がコンスタントに公開されるようになっていく。

1990年代以降のリヴェットは、1970年代の「カルト作家」扱いがまるで嘘であったかのように、次々に話題作を撮る映画作家へと変貌する。エマニュエル・ベアールを主演に据えた『美しき諍い女』(1991)ではカンヌ映画祭審査員特別グランプリを受賞。続く『ジャンヌ・ダルク』二部作(1994)では、ドライヤーやブレッソンによる映画史上の名作に挑みかかるように独自の救世主像を提示。さらに『パリでかくれんぼ』(1995)ではミュージカルに挑戦、ゴダールの妻だったアンナ・カリーナまでスクリーンに呼び戻し、自由で溌剌とした作品を産み出す。その勢いは2000年代になっても止まらず、『恋ごころ』(2001)や『ランジェ公爵夫人』(2007)でも多くの観客を唸らせた。

このように、時代によってその扱いがガラリと変わったリヴェットだったが、彼自身は基本的には何も変わっていなかったように思われる。フランスのドキュメンタリー番組『現代の映画作家』シリーズのリヴェット編(クレール・ド二監督)では、夭折した批評家セルジュ・ダネイを相手に滔々と語るリヴェットの姿が鮮やかに映し出されているが、自分の人生や撮影技法、創造の秘密について語る彼の様子はひたすら陽気で驚かされるほどだ。それは、韜晦なことを語って相手を煙に巻くタイプの芸術家とは対極的な姿勢であり、笑みを絶やさない彼の顔からは純朴な人柄が窺われ、多くの役者を惹きつける魅力が彼に間違いなく備わっていたことがはっきりと分かる。

リヴェットの死に際し、女優アンナ・カリーナは「フランス映画はもっとも自由で創造的な映画作家の一人を失った」と追悼の言葉を述べたが、まさにその通りであろう――カリーナ主演で撮影されたディドロ原作の『修道女』(1966)はカトリックを批判した作品であるが、リヴェットは宗教界から敵視され、この作品は上映禁止処分を受けたことがある――。実際、リヴェットはいかなるイデオロギーにも党派にも思想にも縛られることはなく、只々、自分自身にだけ忠実な映画作家だったと言えよう。ここまでやりたいことをやり切った映画作家というのは、映画史を見渡してもそうはいないのではないだろうか。しかし、いまそのような映画作家が世界に何人いるだろう。その意味で、彼の死は作家の自由な想像力=創造力がどこまでも許された「ひとつの時代の終焉」なのであろう。


不知火検校

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posted by cyberbloom at 15:15 | パリ ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | フランス映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする