2021年09月09日

『汚れた血』Mauvais Sang

第6回となるFBN読書会は、いつもと趣向を変え、我々の世代のフランス好きにとって伝説ともいえる『汚れた血』を課題映画としました!夏めいた日差しが降り注ぐ中、阪急六甲駅に集合したのち、80年代洋楽を代表する名前の一人、スティングの声が漂う静かな空間(六甲茶房店主(み)さんの気遣いでしょうか)で、『汚れた血』を皮切りに、映画についてのおしゃべりを存分に楽しみました。

1986年に発表されたレオス・カラックスの『汚れた血』は、当時のフランス大好き人間たちに衝撃を与え、80年代から90年代にかけて圧倒的な人気を誇ったリセエンヌ・ファッション誌オリーブを愛読されていた Exquise さんをして「新しいフランス映画に開眼させてくれた作品のひとつ」「当時の私にとってはいろんな意味でバイブルのような存在」と言わしめています。次の作品『ポン・ヌフの恋人たち』(1991)の公開後には、パリのポン・ヌフ橋の袂で憂鬱そうに佇む日本人が続出しました。

私たちのおしゃべりがきっかけとなって、2019年に改めて観ても古さを感じさせなかった『汚れた血』を(もう)一度観てみようと思われたら幸いです!



Nevers (以下 Ne):初めて見ましたが大変楽しめました(先に見たカラックス監督の作品『ポーラ・X』の沼のような暗さが後を引いてこれまで見るのをためらっていました)。かっこよすぎ、です。若干26歳の青年が、詩的なだけでなくエンターテイメントの要素もしっかり入れ込み、ストーリーもセリフも背景も音楽も練り上げた映画を作り上げたのはやはりすごいこと。全編を貫いている疾走感に魅了されました。
Noisette(以下No):カラックス監督と同世代です。今回観返していて、望月峯太郎の漫画作品『バタ足金魚』を思い出しました。どちらも同じ頃の作品なのですが、今では顰蹙を買いかねない「好きだー!!」という純な衝動が社会に溢れていた事実に驚きます。公開時から年月が経って、ぐるり360度回って戻ってきた今だからこそ、作品の青さもひっくるめ更に楽しめたと同時に、あのころ自分がどれだけロマンティシズムに浸っていたかということ、そして今は「愛」がもはや無条件に信じられない時代になってしまったのだということに気づき愕然としました。たとえその行為に愛があったとしても、今だったらストーカーになってしまいますからね。
Exquise(以下Ex):公開当時は大変影響を受けました。意味深な台詞からアンナの着ている赤いカーディガンまで(似たものがないか探しました)。今見ると作り込んだ台詞からして随分とロマンティックな映画だなという印象を持ちました。過去の映画へのオマージュが全編にちりばめられているのもよくわかります。親の世代の視点から「若者の映画」を楽しみました。
Goyaakod(以下Go):色遣いの美しさが印象的でした。この映画の人や物の捉え方、撮り方に大いに影響を受け、今仕事をしている映像関係者は多数いるのでは。この映画は地べたを離れた「夢」のようなもの。「夢」に乗れるかどうかで映画への評価、思いが変わってくるのではないでしょうか(エイズとの関連性を言われる架空の感染症“STBO”も、それを巡る犯罪も所詮「書き割り」に過ぎない)。また、これだけ時が経っても今なお「青春のエネルギー」を発している映画でもあると思います。

*父の世代と子供の世代*
No: 今回見て、父と子の世代の対立を感じました。製薬会社でのSTBOの血清奪取後姿を消したアレックスに対し、マルクがひどい悪態をついてましたが、アンナはそれを諌めますね。アレックスはそんな人間じゃないと。しかしアンナがなぜおじさんのマルクに惹かれるのかちょっとわからない。
Ne: アレックスの疾走も印象的でしたが、アンナも走りますよね。最後の飛行場でのシーンで。血で顔を汚して。それをマルクが走って追いかける。結局途中でやめてしまうわけですが。心臓も悪いのに。「走るのやめたほうがいいって」と見ながら思ってしまいました。
No: この時マルクを演じたミシェル・ピコリは61才。それなら今は…。
Ex: 93 才ですね。
Ex: 映画の設定ではアンナは30才ですが、演じたビノシュの年齢は22才だったんです。
No: アレックスとアンナの関係は、コクトーの『恐るべき子供たち』の姉と弟をちょっと彷彿させるところがありますね。
Go: シェービングクリームまみれになってのお戯れのシーンも、男と女というより姉弟同士で遊んでいるようなところがある。
No: アレックスって、やたらタバコをふかす一方で牛乳も飲むんですよ。ワインじゃなく。ちょっとお子様的ですね。やはり学生時代ハマった『時計じかけのオレンジ』(1971)を思い出しました。

*アレックスの存在感*
Ne: アレックスはいわゆるボー・ギャルソンではないですね。昔読み聞かせた絵本の中にでてきた「あまのじゃく」にそっくりだなと思いました。“小鬼”系ですね(笑)。
(一同爆笑)
Go: いやーわかります。まさしくその通り。
Ne: しかしリーズのようなぴかぴかした女の子をガールフレンドにして、追いかけ回されるわけです。アンナとも絡むし。
Ex: カラックスは自分と背格好が似通った役者を探して、ドニ・ラヴァンを見出したそうです。
Go: カラックスの本名は”Alex Oscar”なんだそう。アメリカのレビューではこの映画のアレックスはカラックスの分身だと述べていました
No: トリュフォーにとってのアントワーヌ・ドワネルのような関係でしょうか?
Ex: トリュフォーと少年から青年まで一貫してドワネルを演じたジャン・ピエール・レオーとはプライベートでも親密でしたけど、カラックスとラヴァンは違うそうです。ご飯を一緒に食べたことが一度もないとか。
Ne: 分身と一緒にいると落ち着かないんじゃないんですか。

*過去の映画へのオマージュ*
Go: アメリカのレビューによると、この映画には過去の名作映画へのほのめかし、言及がたくさんあるとのことでした。例えば犯罪者の情婦であるアンナのヘアスタイル。あの唐突なボブは、ルイーズ・ブルックスが演じたルルのスタイルであると。
Ex: その間にゴダールが挟まっていますね。アンナ・カリーナのヘアスタイル。役名もまんまアンナですし。スクリーン上に表示される文字の使い方なんかもゴダールですね。
Go: セルジュ・レジアニが飛行場で突然現れたのにびっくりしましたが、レジア二といえばジャン=ピエール・メルヴィルのフィルム・ノワールのヒーローとくるわけです。
Ex: 何故か犬を抱いて(笑)。
No: ミシェル・ピコリの起用もオマージュと関係がある?
Ex: ゴダールの『軽蔑』に主演していますね。ブリジット・バルドーにひたすら嫌われるという役で。ビノシュもデルピーも子役としてゴダールの映画に出演しています。
Ne: マルクたちと絡む犯罪グループの親玉でアメリカ人と呼ばれる女ボスも、いかにも犯罪映画にでてきそうなキャラクターでしたね。
Ex: カラックス作品以外にはこれといった作品に出ていない女優さんのようですが。フランス語を喋る時のアクセントの感じが、『勝手にしやがれ』のジーン・セバーグを彷彿とさせます。
Ne: あのシーンはこの映画のこことリンクしている、と観た人同士であれこれ話がはずむだろうことを計算にいれて作っているんでしょうね。
Ex: 後日ジュリー・デルピーが語っていたんですけれど、演出方法や撮り方についてカラックスに意見すると、「あの監督はこの手法でやった。この監督はこうやっていた」と言うばかりだったそうです。自分の意見、というのは聞かせてもらえなかったと。そういう先人の仕事への傾倒ぶりが、この作品以後のカラックスの意外に地味なフィルモグラフィの理由の一つなのかもしれません。過去の作家たちの作品に囚われたまま、前へ進めないというか。次の作品となった『ポンヌフの恋人』も今回一緒に見返したのですが、本作のお金のかかった焼き直し?という印象を持ちました。最も新しい作品である『ホーリー・モーターズ』はこれまでの作品とはかなり異なる奇抜な内容ですが、過去の映画作品への憧憬という根本は変わっていないように思います。

*疾走するアレックス*
Ne: アレックスがデビッド・ボウイの”Modern Love”が流れる中、全身ではじけてパリの通りを疾走するシーンは特に好きでした。あのシーンで、主人公をドニ・ラヴァンが演じることに納得がいきました。
No: 今夜はマルクが寝室で待っている2階には行かないで、とアンナに懇願したら聞き入れられて、すっかりはしゃいじゃって。いかにも男の子な直情的な行動ですよね。
Go: アメリカのレビューには「『雨に唄えば』の雨に濡れるのも構わず通りで歌い踊るジーン・ケリーの場面に比肩する」というのがありましたけど、それはちょっと褒め過ぎかなと。
Ex: この場面には公開当時からちょっと抵抗があるんです。ロック少女の屈折といいますか(笑)。この映画が公開される前、デビッド・ボウイはナイル・ロジャースと組んで“Let’s Dance”というダンスチューンをリリース。世界的な大ヒットになります。それまで奇抜な衣装に化粧は当たり前だったのに、プロモーション・ビデオではリーゼント風にきめたヘアスタイルにイタリアのスーツ姿で小綺麗に登場しちゃって。前作の“Scary Monsters”が彼のキャリアの中でもとりわけ難解かつ繊細な作品だったのにどうしてこう来るわけ!こんなの歌謡曲じゃない!とファンとしては憤慨しました。だからこういうボウイの曲の使い方がベタに思えてちょっと許せなかった。
No: 『戦場のメリークリスマス』への出演も、このポップなスターとして大人気だったころだったでしょうか。
Go: 玖保キリコのマンガ『シニカル・ヒステリー・アワー』を思い出しました。小学生のツネコちゃんとキリコちゃんが、怪我して動けない親戚のお姉さんからチケットもらって”Let’s Dance”を引っさげて来日したボウイのコンサートに行く話。周りの客の大盛り上がりをよそに途中で持参のおにぎり食べたりして。
Ex: そのコンサートツアー、行ったんです。高校生でしたが。はるか遠くの豆粒サイズのボウイを眺めただけでしたけれども。校則で「夜間の外出は親同伴でなければならない」というのがありまして、友人のお父さんに会場まで一緒に来てもらいました。コンサート会場の側で終わるのを待っててくださって。
Go: いいお話。
Ex: でもクラシックの使い方に関しては、カラックスはいいセンスをしていると思います。例えば、プロコフィエフのバレエ音楽『ロミオとジュリエット』からの選曲。今ではソフトバンクのCMのおかげですっかり有名になりましたが、当時はバレエファンかかなりクラシックに明るい人しか知らなかったと思います。CMで使われるまで私的には、あのメロディーは『汚れた血』の音楽、とカテゴライズされていました。

*タイトルを巡って*
Go: フランス語の原題は”Mauvais Sang”。邦題は『汚れた血』、アメリカでは”Bad Blood”と訳されていますが。
Ex: このタイトルはアルチュール・ランボーの詩から引かれています。日本語にすれば、悪い血筋、という感じでしょうか。
Go: アメリカのDVDのカバーやポスターのイラストが日本のそれ(頰を血で汚し走るアンナの姿)とは違い、懐かしの犯罪映画風なのが納得いきました。
Ex: 父から子へと流れる犯罪者の血脈。でもそれだけでもなさそうです。映画に出てくる感染症、STBOのことも意識してのネーミングではないでしょうか。
No: ランボーといえば、商売をしにアフリカへ行きましたね。「自分の生活を立て直したい」と言って。「金を手に入れたら、人生をやりなおしたい」と語っていたアレックスに通じるところがありますね。話は飛びますが、この映画のDVDを某レンタルショップで借りたんですが、「ヨ」のコーナーを探しても探してもなくて。もしやと思って「ケ」のコーナーを見たらありました。たしかに、ケガレタとも読める。この映画を見たことないスタッフなら置きかねないですね。

*パラシュート降下のシーン*
Go: 本筋に関係なく唐突に挟み込まれたアンナとアレックスのパラシュート降下のシーン。こういうシーンをどーんとやってしまうところ、実に詩的な映画だと思います。
Ne: あの場面はよかったですね。飛び降りるところを横からだけでなく、上空からも撮影してましたね。
No: メイキング映像を見たら、俳優の乗る飛行機の近くに気球を飛ばして撮影してました。
Ne: 好ましく思う女性が失神したところを男性が助けようとする。よくあるシチュエーションで、男性が騎士でも王子でも誰であってもバナルな感じしかしないんですが、これを空中でやられてしまうとなかなかぐっときますね。

こんな風に話は尽きず、ロメールの映画にも話は及び、あっという間に過ぎた午後のひとときでした。






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2021年08月21日

『水曜日のアニメが待ち遠しい』 – アニメと移民の意外な関係

よくあるアニメ本かと思っていたが、読んでみたら意外に骨のある内容だった。特に面白かったのは、フランスに日本のアニメが浸透していった時期と、フランスにもともと住む中間層と他国からやってきた移民を混ぜ合わせるような都市政策が一種の社会実験としてフランスで進められていた時期が重なり合っていたという、日本からは見えにくい事実だ。



著者のトリスタン・ブルネは日本のアニメのことを思い出すと、当時住んでいたトルシーという郊外の町(Torcy パリの東約30キロ、RER A線上にある)の風景が一緒に思い出されるという。トルシーは1970年代に造られた、パリに働きに行く人々のベッドタウンで、『未来世紀ブラジル』のロケ地になったほど人工的に作りこまれたポスモダンな外観を持っていた。トルシーにはフランスとは文化圏が大きく異なるアフリカ系と東南アジア系の移民が多く、文化的な軋轢を生みやすかった。この軋轢が日本のサブカルチャーの受容を考える上で重要で、それが文化の異なる子供たちの軋轢を緩和する重要な媒介になっていた、という指摘は目からウロコ だった。

しかし、トルシーの社会実験は次第に行き詰っていった。プチブルたちは犯罪率が高いという差別的な意識によって、その町を離れていき、移民系の人々だけが残された。トルシーは街の未来的な佇まいとは裏腹に、経済的に貧しくなっていった。町は左翼的な政策によって造られたにもかかわらず、左翼的な人間に限って自分の子供たちを地元の公立ではなく私立の学校に通わせていたと、著者はその偽善性を暴いている。

トルシーの話を読んで思い出したのが、マチュー・カソヴィッツの『憎しみ』(1995年)のワンシーンだ。団地のコンクリートの壁に、19世紀の詩人、ボードレールの肖像がグラフィック調に描かれていて、それを背景にアラブ系の青年サイードがアメリカのコミック・ヒーロー、バットマンの話をしている。この組み合わせは「解剖台の上のミシンとこうもり傘の出会い」どころではない。パリという国際的な観光都市が、凱旋門やエッフェル塔などのように、歴史と密接に結びついたモニュメントに彩られているのは対照的に、移民の若者たちの現実は世界の大都市にどこにでもあるようなスラム化した高層住宅団地で、娯楽としてアクセスしやすいのは、バットマンが象徴するグローバルなポップカルチャーなのだろう。彼らのルーツ(イスラムやアフリカ)から来るものでもない、彼らのホスト国、フランスの伝統でもない、彼らの第3の文化的な選択だ。

「水曜日が待ち遠しい」のは、フランスの小学校は水曜日が休みで、その日に日本のアニメが集中して放送されていたからだ。そして、日本のアニメは移民の子供たちとのギスギスした関係の緩衝材になっていた。出身や人種の差異が否応なしに意識される状況で、国営放送で流されていたアニメだけがそれを意識せずに友だちと語り合える話題になった。フランスは昔からのフランス人と移民の人々を都市計画によって融合することには失敗したが、図らずも子供たちのレベルでは、日本のアニメが文化的な差異を問わない関係を作る、第3者的な共有物の役割を果たしていたわけだ。

さらに、著者の遮断機の体験が興味深い。初めて日本に来て、町を歩いていたとき、遮断機の音が耳に飛び込んできて、その瞬間、とても懐かしい感覚に襲われ、頭が混乱したと書いている。フランスに遮断機が存在するわけがなく、それは日本のアニメを通して植えつけられた記憶だった。1980年代にテレビで浴びるようにアニメを見た、いわゆる80年代世代 Generation 80 は、友だちとの会話もアニメが中心で、日常がアニメ化し、アニメを通して世界を見ていたと言っても過言ではなかったようだ。日本で遮断機に反応したことも、特別な体験ではなく、著者の同世代の多くのフランス人が経験しうることだった。

フランスで初めて放映された日本のアニメが「Goldorak=UFOロボ・グレンダイザー」であることは有名だが、SF的な作品は共感も抽象的だった。しかし、日本の日常生活が舞台の作品が入って来るようになって、現代日本の都市風景にだけでなく、制服、部活、先輩など、日本の独特な学校文化にもフランスの子供たちは親しみを感じ、それらはまるで自分自身のリアルな経験のように意識に浸透していった。部活の帰りの夕暮れどきにメランコリックに響く遮断機もその中に含まれていたわけだ。

2001年に松本零士とのコラボで『ディスカバリー』を発表したダフトパンクのふたり(彼らもまた著者と同じく1970年代生まれで、「キャプテン・ハーロック」を見て育ったことが松本とのコラボにつながった)がインタビューで「日本は第二の故郷だ」とまで言っていたが、彼らの発言は決してリップサービスではなく、このような執拗に反復された経験と深い実感に裏打ちされたものだと、個人的にもようやく納得できた。

このアニメ論には、個人的な経験が常に反映されている。フランスの日本のアニメ受容という大きな文脈も必要だが、そこにある個人的な側面を捨てないで、むしろ強調しようというのが、著者の方針だ。その視点を捨てないことは、文化を受容することの本質をあぶりだすことにもなるからだ。それは、個人と社会のあいだに生まれる揺らぎと想像力、識別が難しい微妙なあり方や可能性を丁寧に描き出すことによってしか得られないのだから。


cyberbloom


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2020年11月14日

Oh Mon Johnny…! 門外漢から見たジョニー・アリディの「謎」

初めてジョニー・アリディと接したのは、主演俳優として出演していた香港ノワール、ジョニー・トーの『冷たい雨に撃て、約束の銃弾を』でだった。シルヴィ・ヴァルタンの元夫で、フランスのエルヴィスと呼ばれているらしい。まず目を奪われたのはその風貌だ。手を入れすぎた果てとでも言おうか。洒脱でスムースなフランス美男とはほど遠い。が、この映画にはしっくりきた。言葉の通じない異国で右往左往しつつ復讐を遂げる、記憶障害を患う初老の元殺し屋のフラジャイルな不器用さを体現し、映画に深みを与えていた。トー監督はアラン・ドロンを念頭に映画を企画したらしいが、アリディをキャスティングして大正解だった。いい役者だという印象を胸に映画館を出た後、特に接点はなかった。



が、昇天してからこのかたの大騒ぎである。一体どうなっているのか。遅ればせながらニュースで知ったジョニー・アリディはこういう人だった。1943年生まれの歌手で俳優。本名ジャン−フィリップ・スメット。肺ガンにより74才で死亡。57年にも及ぶ芸能生活の間人気は衰えず、なんのかんのと4世代ものフランス人に愛された唯一のポップスター。スタジアム級の会場を常に満杯にするライブパフォーマーで、187回ものツアー、3,000回を超えるコンサートをこなし、レコード売り上げ総数は1億枚以上!。5度結婚するなど私生活も華やかで、パリマッチ誌の表紙を最も多く飾ったセレブ。その死を伝えるため妻が深夜2時にマクロン大統領に電話をしても許される特別な存在。

なるほど、確かにビッグな人だったのだ。しかしなぜこれほどまでにフランスが身も世もなく嘆き悲しむのかわからない。外国メディアも困惑しているようで、この驚くべき状況を何とか説明しようとしているのでまとめてみた。

どうしてジョニー・アリディはこんなにフランス人に愛されているのか?それは…

(1) 60年代に登場した、アメリカ文化を素直に享受する若い世代を代表するアイコンだったから。
エルヴィス・プレスリーに衝撃を受け、アメリカ風の名前ジョニー・アリディ(いとこの夫のアメリカ人の名前Hallidayを間違えて拝借した)を名乗ってデビューした1960年代。それは高度経済成長で暮らしが上向き続ける中、第二次世界大戦も戦前のフランスすらも知らずアメリカ文化を浴びて成長した若者たち、「黄金の30年間」の世代が台頭してきた時期だった。15才で「ELLE」誌のカバーを飾ったブリジット・バルドーしかり、17才でいきなり国際ベストセラー作家となったフランソワーズ・サガンしかり。メイド・イン・アメリカを抵抗なく楽しみ伝統を顧みないこうした軽佻浮薄な若者たちとそんな若者たちを苦々しく思う古い世代の大人達との軋轢の狭間に、金髪のリーゼントヘアでアメリカ丸出しの歌を腰振って歌うジョニーはいた。旧世代最大のアイコンであるド・ゴールからは目の敵にされ、大人達の偏見のせいでたくさん理不尽な目にあった(フランス全土のナイトクラブはジョニーを出入り禁止にした)。

でも、ジョニーはめげるどころかスターダムにとどまり続け、最後まで「やんちゃなレベル」の空気を漂わせ続けた。あの頃を体現する「我らのジョニー」として、アリディは同世代のフランス人の側にいた。

(2) アメリカ・イギリスのポップ・ミュージックを持ち込み、フランス化させた「功労者」だったから。
1960年代のどの国の若者もしていたように、ジョニーもどしどしアメリカ、イギリスのポップ・ミュージックを持ち込んだ―それもかなり身も蓋もないやりかたで。当時の日本のカバーソングが多少なりともオリジナルに敬意を払い、苦心して歌詞を日本語に落とし込んでみせたりしていたのに、ジョニーの場合はアレンジも含め丸々コピー。フランス語の歌詞すらオリジナルと無関係なんてことも少なくなかった。アメリカやイギリスのヒットチャートにいい曲が登場すれば、数週間でジョニー版をフランスでリリース、ヒットさせるという状況がしばらく続いた。オリジナルの存在を知っていた人は少数派に過ぎず、多くはそれらをジョニーの歌として受け止めた。

そっくり直輸入した新鮮なサウンドに俺流のホットなフィーリングをこめてフランス語で歌いあげるジョニーを通じて、フランスの若者たちは自分たちにとってしっくりする音楽を選択し、シャンソンとはまた違うフランス独自の大衆音楽を育てていった。

カバーソング量産を卒業しオリジナルソングを歌うようになってからもアメリカ・イギリスの音の動向を意識し続けたが、フランスの作詞家、コンポーザーの手による楽曲はフランスの聴衆に向き合ったものとなり、ジョニーはフランスの歌手としてゆるぎない地位を築いてゆく。

(3) 真のワーキングクラス・ヒーローだったから。
飲んだくれの軽業師であるベルギー人の父と、ランバンなどの高級ドレスメーカーでのモデル仕事にかまけてばかりの母に赤ん坊のころ「捨てられた」ジョニーは、父の姉である叔母に育てられた。キャバレーの舞台に立ってパンをを稼いでいた叔母の一家とともに、フランス国内外を転々とする。叔母はジョニーを学校に行かせたがらなかった。夫が対独協力者だったことが知れたらジョニーが報復されると信じていたからだ。

親もおカネもコネもなくまともに勉強もしていないジョニーは、芸能界に飛び込むことで成功し、エリート中のエリートの証であるレジオン・ドヌール勲章も手にした。お友達だったシラク大統領の力によるところもあるのかもしれないが、何のかんのいって階級社会であるフランスでは、大変なことだ。

成功の影にはジョニーの強いショーマンシップとファンへの献身があった。

「今日のコンサートはよかった」と言われるのが最高の褒め言葉と言い切るジョニーは、ファンを楽しませるために何でもやった。視覚効果満載のコンサートの演出はその最たるものだろう。上空高くホバリングするヘリコプターからステージへ降りてくるなんてスタントまがいのこともやってのけた。

何でそこまでやる?ジョニー本人が自分のスターとしての魅力をわかっていなかったからではないかという意見がある。お手本であるプレスリーはファンへアピールする方法をよく知っていて、自分の見せ方も心得ていたと。何がよくてファンが自分をこんなに求めてくれているのかわからない―だからとにかく常にベストを尽くすしかない。こうした気構えがパフォーマンスの熱量を上げ続け、ファンを喜ばせ続けたのかもしれない。

(4) 昔からずーっと変わらない「いい奴」だったから。
60年近くスターであり続けたにも関わらず、一貫して飾らない、素直な人であったようだ。若い頃ろくすっぽ税金を払っていなかったせいで、25年間、57才になるまでフランス政府への「借金」返済に追いまくられた、という信じ難い逸話の持ち主だ。計算高さとは無縁だったらしい。

フランスを代表するアイコンであるにも関わらず、晩年の自宅はアメリカ、ハリウッドにあった(お隣はトム・ハンクス)。顔さすことなくエルヴィス好きなおじさんとしてハーレー・ダヴィッドソンを自由に乗り回すことができ、快適な日々だったらしい。

音楽的に全く認知されていないイギリスで、あのロイヤル・アルバートホールでコンサートを開くという無謀なことも、やりたいからやってしまう(ドーバーを超えて詰めかけたファンのおかげでソールドアウトだったが。)

「エルヴィスのことは大好きだけど、晩年のあんなにでっぷりした姿を見るとやっぱり運動しなきゃなと思うよ、食べものにも気をつけて…。」なんてぽろっとこぼしてしまう。これがロックの人の発言だろうか!それがジョニーなのだ。

(5) 自分の弱さを隠さない人だったから。
ジョニーは一度自殺未遂騒ぎを起こしている。シルヴィ・ヴァルタンとの間に初めての子供が生まれたころだ。両親から捨てられたという事実は彼につきまとい、影を落とし続けた。ひどい気分の落ち込みを振り払うために酒やコカインにたよらざるをえないときもあった。そうしたカッコよくない自分も世間にさらし、時にはル・モンド紙のインタビューでオープンに語ったのがジョニーだった。

以上、書き連ねてみたが、フランスが寄せるジョニーへの想いはどれも説明できていないように思う。こうした要素が渾然一体となり、一人一人の持つ思い入れがさらに重なって、あの現象は起こったのかもしれない。謎は謎のままにしておいたほうがよさそうだ。

個人的には、バラード歌いとしてのジョニーにフランスを強く感じる。ロック風味ではあるものの、フランスのオーソドックスな歌手が表現してきた泣かせどころ、せつなさがたっぷりある。ここがフランス人の琴線に触れたのではないだろうか。フィガロ紙がジョニーの歌をプルーストのマドレーヌに喩えていた。果たしてそうなのかはわかりようがないが、少なくとも彼の歌はフランスの人々が安心して戻って来れる場所になっていたのかもしれない。


GOYAAKOD


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2020年11月08日

20年後のLove letter 〜アレクサンドル・タローのバルバラへのトリビュート盤

トリビュートと銘打ったアルバムが苦手だ。敬意をこめてとうたっているが参加者のためのにわか仕立てのお祭り的にぎやかさが漂い、「彼の人」の作品は派手な衣装とメイクで別物に変身。素顔の方がよかったのに。が、クラシックピアニストのアレクサンドル・タロー(Alexandre Tharaud)がこの秋リリースしたトリビュート盤は、そんな偏見をあっさり突き崩してくれた。なにせ20年の歳月を経て、とうとう形になったアルバムなのだ。



1997年の晩秋。孤高の自作自演の歌手バルバラの死から3日後。墓の前につどったたくさんのファンのなかに、コンサート・レコーディングピアニストとしてキャリアをスタートさせていたタローはいた。どこかで誰かがバルバラの歌を口ずさみ、声が重なり、自然発生的な合唱になった。雑多な声が入り交じり、時に音程があやしくなったりする歌声は、途切れなかった。みんなやめたくなかったのだ。そして彼は思ったのだそうだ。バルバラは生きている、彼女の歌を歌う私たちの声の中に。いつかきっと、バルバラのためのアルバムを作ろう。

時間がかかったのは無理もないこと。そもそも、お固いクラシック部門のレコード会社の人間が、所属する若手アーティストからの「ジャンル違いのアーティストに捧げるアルバムを作りたい」というリクエストにすんなり耳を傾けるだろうか?今でこそジャズやポップスとの本気なクロスオーバーが賞賛されるようになったけれども、20年前なら全く相手にしてもらえなかったのではないか。また、バルバラがあの声、あのテンションで残したレコーディングの完成度が高すぎて、一部の大ヒット曲を除いてはカバー曲を録音することすらおいそれとしにくい状況があった。しかしあれからもう20年。違った視点で歌いなおし、新たな色を加えることが必要だ―メジャーレーベルで何枚ものアルバムを発表し、コンサートピアニストとして世界を旅する立場となったタローは、夢の実現に乗り出した。

レコーディングにあたり、タローは曲によってアプローチを変えている。シンガーを招き、新たに歌いなおす。役者に歌詞を朗読してもらう。そして、歌詞抜き、音楽のみで表現する。ほとんど全曲を自らが手がけた編曲は、びっくりするほど地味だ。電気系の楽器は極力はずし、ほぼアコースティックな楽器のみの編成。バルバラと一緒に長く仕事をした「身内」のミュージシャンにも参加してもらい、バルバラが気に入っていた音空間をつくることをまず目指した。スコア的にも冒険はしない。音数を押さえ、とにかく歌が際立つようにしている。

新しい視点と色を加えることを任されたのは、慎重にセレクトされたと思われるシンガー達だ。特に印象的なのが、20年の時が経つうちに登場した、様々なバックグラウンドを持つユニークな声。マリ出身のロキア・トラオレ、ベルベル人のインディ・ザーラ、アルジェリア系のカメリア・ジョルダナ(タレント発掘番組ヌーヴェル・スター出身)、インディ・ロックトリオのレディオ・エルヴィス(オリジナルが秘めていたビートを強調し疾走感溢れるバルバラを実現)。最年少の参加者、若干22才のティム・ダップには思い切ってバルバラの代表曲を歌わせている。どれもバルバラから離れがたく結びついているように思われた歌達が、シンガーの個性と歌心によってふわりと浮かび上がり、思いがけないきらめきを見せる。肩肘はらずリラックスして聴けてしまうのはこの試みが上手くいった証拠だろう。

20年前はまだ歌わせてもらいにくかった人たちも参加している。ロリータというあだ名がまだくっついていたジェーン・バーキン。ジョニー・デップだけのベイビーであることに忙しかったヴァネッサ・パラディ。二人とも気負うことなく自然体で歌に取り組み、オリジナルとはまた違う景色を見せてくれる。

朗読の試みも上手くいった。歌詞の素晴らしさでも知られているバルバラだが、タローは多くの人のフェイバリット・ソングである「ウィーン」を敢えてジュリエット・ビノシュに朗読させた。ウィーンから恋人へ綴る手紙の形式をとる詞だけに、演じられる言葉の息づかいがとてもリアルで迫るものがある。メロディに支えられなくとも成立するバルバラの世界をタローは見せたかったのかもしれない。

そして、インストゥルメンタル。バルバラといえばあれ、と名前があがる歌をあえてノー・ヴォーカルとする選択をしたタローは、ピアニストとしてできる全てを使ってバルバラの作った音楽を奏でている。多くがクラリネットやアコーディオンに主旋律を任せたアンサンブルで彼の参加は歌伴的なものになるのだけれど、一音一音がとても美しい。これしかないという気迫で自在に鳴らされる迷いのない音色を聞くと、ピアニストとして歩んできた彼自身の20年の重みを思わずにはいられない。奥底にずっと沈めていた想いを解き放ったかのように、彼はピアノで歌っている。待った甲斐があったのではないか。このアルバムは、20年の時を経てようやく書き上げることができたLove Letterなのかもしれない。

収録曲のうちYoutubeで聴けるもので、とりわけ印象深い2曲を選んでみた。一つはバルバラが亡くなったときはまだ子供だった世代のシンガー、カメリア・ジョルダナの歌うお別れの歌、「9月」。ジャズっぽい歌にぴったりはまるビロードのハスキーヴォイスが耳元で囁く甘い吐息のように歌うこの曲は、びっくりするほどかわいらしくてセクシーだ。音数を絞ったタローのピアノとしっくりと絡み合い、インティメイトな温もりが心地よい。こういうバルバラは想像できなかった。



ヴァネッサ・パラディがバルバラを歌えるのか、あの声はチャーミングだけれどミスマッチではないのかと正直不安だったのだけれど、彼女の自然にロックする感性が歌のほこりを払い、蘇らせてくれた。こんなに鮮やかに展開するメロディでしたが、と、どきどきしてしまう。もっといろいろな人に歌われるべき。シャンソンの中に閉じ込めておいてはもったいない。メロディメイカー、バルバラを改めて意識した。




GOYAAKOD


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Dig Deeper―『枯葉』を聴きなおす

フランスの歌、といえば誰もがその名前をあげるだろう『枯葉』。シャンソンの代名詞であるばかりでなく、国境もジャンルも軽く超え様々な言語の衣装をまとって歌われ、無数のアレンジで演奏されている。特にジャズの世界では、カッコいいフレーズが湧き出てくるインプロビゼーションの泉としてスタンダードナンバーとなり、フランスを脱ぎ捨てた旋律は幾世代ものジェネレーションに引継がれ今も美しい変容を続けている。 あまりにも身近で、あまりにも使い倒されていて…だからこそ、その素顔を知りたくなる。ほんとうはどんな歌だった?



そもそも、歌うために作られたものではない。踊るためのものだった。作曲家ジョゼフ・コスマがコリオグラファーのローラン・プティのためにつくったバレエ音楽『ランデヴー』に組み込まれた旋律にすぎなかった(ルグリとゲランが踊ったパ・ド・ドゥの中で流れていたのを耳にとめられた方も多いかと思う)。

歌としてお披露目されたのは、第2次世界大戦後の人間模様を描いたマルセル・カルネ監督の映画『夜の門』。(この曲をヒットさせたイヴ・モンタンの主演作であるものの、映画の中で歌ったのは女性歌手。)脚本に携わった詩人ジャック・プレヴェールが後づけした詞はどんなものだったのか。最近岩波文庫の一冊に加わった『ジャック・プレヴェール詩集』に特別待遇で収録されているので読んでみる。

まず、季節についてことさらふれていないのに驚く。(アメリカの名作詞家ジョニー・マーサーによる英語詞や日本語詞を彩っていた感傷的な晩秋の印象や移り変わる季節の情景への言及は、タイトルやあの旋律から喚起された詩的創作だ。)プレヴェールの詞にあるのは、飾りを排したビタースウィートな嘆息。あれだけ幸せな豊かな時間を共にした二人だったのに、それでも別れてしまったというなんとも言えなさをまだ抱えている。時が経っても私の中につもっている「あの頃」の残滓の象徴として登場するのが、掃き捨てられる枯葉の山(ひらひら舞い落ちはしない)。この歌が使われた映画自体ハッピーとはとてもいえない作品であったことも影響はしているのだろうが、想像していた以上に噛み締める詞があった。

が、いざ歌われると、歌は顔つきを変える。多くの歌い手たちはのあの強い旋律に引きずられうっとりし、いかに美しく歌うかに腐心するところで止まってしまう。旋律への思い入れのおかげで、詞までなんだかこってり化粧されてしまったようだ。素顔の歌を感じさせてくれるものはないかとyoutubeに相談してみたら、見つけたのがこの2曲。

フランソワーズ・アルディ



この歌と相容れない個性の人であると思う。歌った時はまだお若かったご本人もそれを意識しているのか、あっさり、そっけなく歌っている。その思いの薄さ加減が、歌の持つ微妙なニュアンスが息をする場を作ってくれているような気がする。ラテンの香りのする音にシフトするアレンジもお洒落。

アンネ・ソフィ・フォン・オッター
https://youtu.be/b5RlYr2ejHM

スウェーデンの名メゾソプラノの、フランスの歌を集めた2枚組アルバムより。母語ではない言葉で歌う緊張感と、声楽家ならではの音や言葉への繊細で精緻な目配り、楽曲を読み解く感受性、そして徹底したヴォーカル・コントロールでもってこの歌を洗いにかけ、見事に蘇らせてしまった。メロディの美しさはそのままに、詞が孕んでいたいわく言いがたいほろ苦さがすみずみににじんでいる。

また、この曲が多くのジャズの名演により歌の枠を超えて愛されてきたことをさりげなくしのばせる作りにもなってる。一カ所だけ、オッターはメロディを崩してみせるのだが、原曲から離れふっと身軽に浮かんでみせる身のこなしに、歌手とは違うアプローチでこの歌を愛した数知れないジャズミュージシャンへのオマージュを感じる。


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2020年10月09日

ジャック・リヴェットは死なず!―不知火検校のパリ探訪2018

2018年3月中旬から下旬にかけて、久しぶりに仕事でフランスを訪れた。2月下旬にヨーロッパを襲った大寒波は既に勢力が衰えていたようだが、パリは思いのほか寒く、雪がちらつくリュクサンブール公園を歩くことになるとは思わなかった。そんな中、カルティエ・ラタンの映画館は相変わらずの活況を呈し、熱気に包まれていたように思う。

1024px-Jacques_Rivette_Dreaming.jpg

今回はこの初春のパリの映画館の状況をリポートしてみよう。

私が何よりも驚かされたのは、映画館Reflet Médicis(シャンポリオン街3番地)でのジャック・リヴェット回顧上映である。リヴェット作品のうち特に上映されることが少ない初期の3作品、Duelle(『デュエル』、1976)、Noroît(『ノロワ(北風)』、1976)、Merry-go-round(『メリー・ゴー・ラウンド』、1981)の3本が特集上映され、それ以外にもLe Pont du Nord(『北の橋』、1981)も通常上映されていた為、『セリーヌとジュリーは舟で行く』(1974)と『地に堕ちた愛』(1984)の間に挟まれた最も謎めいた10年間に作られた作品群が一気に上映されるという趣向になった。

特集上映初日の『デュエル』の上映終了後には、出演した女優エルミーヌ・カラグーズと、多くのリヴェット作品のプロデューサーであったステファヌ・チャルガディエフが舞台挨拶に参加するとの告知があり、それを見届けようと、パリ中のリヴェット信者が映画館に集結した。その数は30名ほどで、若い学生も数名は混じっていたが、多くは60歳代から70歳代だろう。だが、年齢というものを全く感じさせない筋金入りの映画狂(シネフィル)という雰囲気を醸し出していた。舞台挨拶では、リヴェットがいかに自由に映画を撮る人間であったかということをプロデューサーは強調し、集まった人もそれであるが故にリヴェットを敬愛するという感じであった。

笑ってしまったのは、誰かが「ゴダールの場合は…」と発言しそうになると、すかさず、≪ Ne parlons pas de Godard ! ≫「ゴダールについて話すのはやめよう!」という合いの手が入ったことだ。まさにここにいるのはリヴェットと共に映画を発見し、映画を愛した集団であり、ヌーヴェルヴァーグの党派性とはまた異なるセクトであるということが痛感された一瞬であった。それにしても、こういう人たちと混じってリヴェットを見るというのは何という幸福だろう。彼ら、彼女らはゲラゲラ笑いながらリヴェットを見るのだ。そこにあるのは日本での神格化、神秘家されたリヴェットのイメージとはほど遠いものであり、彼らにとって、リヴェットはもっとも自分たちに近い「映画狂いのお兄さん」だったのだろう。

その他、シネマテーク・フランセーズでは「ルイ・マル回顧上映」、「溝口健二回顧上映」の他、「古典作品の見直し」としてデ・シーカやフリッツ・ラングの作品が上映されていた。また、日本ではまずありえない企画だが、文学、音楽、映画の三つの分野を自在に行き来するマルチ・クリエーターF. J. Ossangの回顧上映も行われていた。ちょうど2017年のロカルノ映画祭に出品された6年ぶりの新作 ≪ 9 doigts ≫がグランプリを受賞し、そのパリでの劇場公開に合わせた企画のようである。こういう映画が日本にまったく入ってこないのは不思議である。

さて、明日、パリを離れるという日に何を見ようか迷った末、私が向かった映画館はChampo(エコール街51番地)だった。常に最高のプログラムを組むことで知られるこの映画館で上映中なのは「ヴィム・ヴェンダース初期作品回顧上映」。夕食も済んだ火曜の午後9時20分に上映されたのは『アメリカの友人』(1977)。行ってみればこんな時間でも7割くらいの客の入りである。まことにパリの映画ファンとは時と場所を選ばずにやってくるものだ。ふと思い出してみれば、『アメリカの友人』を初めて見たのは26年前に滞在したニース。なぜかフランスに居ると見てしまう不思議な映画だが、40年前の作品なのに全く古びていないことにも驚かされた。1970年代のヴェンダースは本当に素晴らしいと痛感した一夜だった。

もちろん、フランスでも日本と同じように『トゥームレイダー』等のハリウッド大作が上映されており、それなりの収益を上げている。しかし、フランスではそのような上映形態とは全く異なる上映形態とそれを支える客層(その多くは極めて頻繁に劇場にやって来る)が確実に存在し、それがフランス文化の重要な一翼を担っているということを、今回改めて実感することが出来た。まさに、パリは今日もなお「映画の都」であった。

□TOP PHOTO:Rivette during filming of The Duchess of Langeais in 2006
By Raphael Van Sitteren - Own work, CC BY-SA 4.0,



posted by cyberbloom at 11:41 | パリ ☁ | Comment(0) | フランス映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2020年09月20日

『わたしが「軽さ」を取り戻すまでー“シャルリ・エブド”を生き残って』 カトリーヌ・ムリス

最近読んだマンガに、こんなエピソードがあった。登場人物の一人が、しんどい状況にある二人に彼なりのメッセージとして写真集や画集を送るが、どちらからも見事に拒絶されてしまう。同じやらかしの経験者として、落ち込む「彼」と一緒に反省することしきりだったが、こんな疑問もわいてくるのだった。写真や絵の力に一方的に頼った彼のやり方はたしかにマズかった。しかし、写真や絵画は、芸術は、本質的に人を癒す力があるのだろうか?



そんな大きな問いを自らの人生でもって検証せざるを得なかった人がいる。この本の著者、カトリーヌ・ムリス だ。2015年1月7日に起こったシャルリ・エブド襲撃事件の生き残りの一人である。

男と別れて気が塞いでつい会議に遅刻したおかげで、彼女は辛くも難を逃れた。しかし、シャルリ・エブドのオフィスがある建物の前に到着したとき、まだ事件は終わっていなかった。路上で、逃げ込んだ近所のオフィスの中で、彼女は仲間たちが手にかけられる音をずっと聞かなければならなかった。Tak Tak!という発射音はその後ずっと彼女につきまとう。

それが終わった後、ムリス は生き残りとしての苦しみを生きることになる。事件直後はまともな会話が成立しないほどのダメージを受けていたにもかかわらず、シャルリ・エブドのスタッフとしてテロに対しリアクションをすることが求められたのだ。テロ後に発行された「生存者の号」の編集にも携わった。本書で公開された当時の創作メモは、ムリスの内面のあからさまな記録だ。一言でいうならばカオス。怒り、恨み、ヒステリックな叫び。全く笑えない、事件がらみのユーモア( 後の報道で殺人者もまたいろいろを抱えた人間であったことを知ってしまった「遠くの部外者」には正直ついていけなかった)。きれいごと抜きの赤むくれの彼女がここにいる。

役目を果たしたムリス は抜け殻も同然となる。何も感じない。記憶は飛び、同僚がかけてくれた新年を祝う言葉も思い出せない。大好きなプルーストのゆかりの地を訪れても何の感興も湧かない。このときの心境をムリスは綴っている。「自分が何者なのかわからない。 無の中に浮いている/精神科医にも言われたわ。身近な人たちや友人がどれほどの善意を持ってもわたしたちに起きたことを理解できないって/とても孤独を感じるだろうと」

そんなムリスを世界は放っておいてはくれない。警察は24時間警護という刑務所同然の暮らしを彼女に強いる。“Je suis Charlie”のスローガンに代表される、シャルリ・エブド襲撃犯が抱えていた憎しみとは真逆の、世間の強い感情の波をまともに被る。生き残りというそれだけの理由で、拍手の嵐の真ん中に立たされる。マスコミは彼女を追い回し、「虐殺」現場は観光名所になってしまった。もはや元の暮らしは望めない。男だって言い寄ってこない(SPに取り押さえられるのがオチ)。そして、11月19日の同時多発テロが彼女にダメを押す。

芸術の力にすがってみようとムリスが思いついたのは、そんな時だった。スタンダールがイタリアで美術の力に圧倒され気を失ったと書き記している。スタンダールのように美に溺れ、美の力で「1月7日」を相殺することはできないか。ムリスはローマへ旅立ち、スタンダールがしたように美の傑作をひたすら見る日々を送る。

スタンダールが力説していたような劇的な効果は現れただろうか?テロはなおもしつこくムリスにつきまとい、美に没入することを許してはくれない。しかし少しずつ、彼女は自分らしい物の見方を取り戻してゆく。ミケランジェロの手がけた教会の天井画を眺めているとき、魅力たっぷりな神のお尻を面白がっていることに気がついたり。そしてフランスに戻り特別なはからいで閉館後のルーブル美術館を生き残り仲間と見学した時には、カラヴァッジョの一枚の絵と目が合ってしまう。イタリアで見たドラマチックな生と死、光と闇に彩られた作品群とは違う、名画ではあるがぐっと世俗的な日常のおかしみに溢れた一枚。そんな絵と心のチューニングが合った彼女は、1月7日前の心の自由をほんの少しではあるが取り戻しているのかもしれない。

芸術とムリスとの関わりで美術とのそれより印象的だったのが、ボードレールの詩の一節を巡るものだ。襲撃で亡くなったシャルリ・エブドの校正担当が、新年の挨拶とともに彼女のために暗唱してくれた言葉でもある。事件のショックで消えてしまったその言葉を、しばらく経って彼女は思い出す。新年に相応しい、高揚感に満ちた華麗な言葉は、通奏低音のように彼女の中に響き続ける。彼女の受けた傷を塞ぎ、直接痛みを和らげることはない。しかしそれは遠くにある光のように、どん底にいる彼女をそっと支えていたように思う。

ムリスの「実験」から言えることは、芸術の「効力」とはそれに触れる人次第ということだろうか。見る人の側の用意ができていなければ、それがどんな傑作であっても無力なのかもしれない。 しかしそれが誰かのために特別に選び思いを込めて届けられたものであるならば、また違ってくるのかもしれない。ボードレールの詩がムリスに捧げられたとっておきの言葉でもあったように。

最後にこの本についての注意書きを少し。セリフの吹き出しはたくさんあるけれども、いわゆるマンガとは手触りが違う。イメージを喚起するたくさんの絵が添えられた言葉の本、というほうが近いだろうか。また、タフな一冊でもある。表紙の淡いタッチのイラストにごまかされてはいけない。わかりやすい立ち直りの物語を期待したら返り討ちにあう。作者はまだ「途上」の人であり、この本をよむことは作者の傷に触れることでもある。ある意味「覚悟の書」なのだ。絵の一枚一枚を描きあげることがどれほど大変だったろうか。2016年の時点でここまで自分をさらけ出したその勇気に敬意を表したい。


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2020年09月16日

『ニューヨークの巴里夫』セドリック・クラピッシュ〜複雑な関係をタフに生きる

フランス人とアメリカ人の恋愛観の違いについて、フランス人は恋人と別れたあとも友人として関係を継続するけれど、アメリカ人は別れたらそれで終わりになる、とよく言われる。アメリカ人の男女関係は基本的に They lived happily ever after (ふたりは末永く幸せに暮らしましたとさ)で、もし別れてしまったらそこでリセットされる。彼らにとっては形が大事なのだ。アメリカ人男性とフランス人女性のカップルの物語、『パリ 恋人たちの二日間』(ジュリー・デルピー監督)でも、この違いがコミカルに描かれていた。ちなみに、「ふたりは末永く幸せに暮らしましたとさ」はフランス語で Ils vécurent heureux pour toujours. (vécurent は vivre の単純過去形)



『スパニッシュ・アパートメント』(青春3部作の1作目)で別れたフランス人のカップルが、『ロシアン・ドールズ』(2作目)では良き相談相手になり、『ニューヨークの巴里夫』(3作目)では最後にはお互いの子供を連れて合流という話になる。今のフランスでは、そうやってできた「複合家族 famille recomposée 」が当たり前になってきている。あるフランスの社会学者が「家族を作るのは結婚ではなく、子供になりつつある」と言っているが、子供ができると、子供を中心に生活を組み立てざるを得ない。そして子供の方も両親のあいだを行き来して生活することになる。2006年の時点で、フランスでは120万人の子供が複合家族のもとで暮らしているようだ。

フランスでは、離婚したあとも子供のために、苦々しい思いをしながら、バカンスなどで別れた相手や相手の新しい家族と一緒に過ごさなければならない。複合家族や変形家族を営むためには、親の方も精神的にタフでなくてはならない。再婚相手の子供を虐待するという事件が日本でよく起きているが、相手の元夫や元カレと比較されることに、ヘタレ男は耐えられないのだ。『ニューヨークの巴里夫』でグザヴィエは子供の問題を話し合うために、ウェンディの新しいアメリカ人の夫に会いに行くが、英語が下手なゆえに子供扱いされる。フランス人もこういう目に合うのかと思うと可笑しい。「お金持ちだから彼と結婚した訳じゃないのよ」とウェンディは言っているが、彼女の再婚相手はさらにお金持ちなのだ!

この屈辱感は想像に難くないが、それでもグザヴィエはへこたれない。ニューヨークで子供と過ごす時間を作るために偽装結婚まで企てる。今の時代において本当の幸せをつかむ鍵は、男のプライドを捨てることあるのだろう。それは伝統的な家族像が有効だった過去の遺物にすぎないのだから。今はなりふりかまわずに、中身を取りにいく時代だ。グザヴィエは子供を公園で遊ばせているうちに、同じような境遇の父親と親しくなる。俺たちは元妻と子供と一緒の時間を奪い合う戦士だ!と彼は言っている。一方で、そういう複雑な関係を生きることで人に共感でき、本当の寛容さが身につく。

もちろん複合家族なんて回避できた方が良いに決まっている。しかしそうなってしまった以上、見栄や世間体よりも、「こうなっちゃったんだからしょうがない」と開き直り、その局面において合理性を追求するしかない。たとえその選択が正しいかどうかわからなかったとしても。そういう複雑な関係に適応できないのは大概男の方で、それを打開するコミュニケーション力や人間力も低かったりする。日本では中高年の男性の孤独死が問題になっている。まさに人間関係を作る力がないからだ。会社をリストラされたり、病気になったりして、お金を稼げなくなったとたんに妻にも子供にも見捨てられる。会社人間で家族を顧みず、家族のあいだの愛情や信頼を育んでこなかったせいだ。生活はすべて妻に依存し、ひとりで生活する力がない。それゆえひとりで寂しく死ぬことになる。日本では結婚することも難しくなっているが、愛と信頼のある関係を維持することはさらに難しい。

フランスはこのような傾向を制度的にもフォローしている。社会学者の宮台真司氏がよく言っているが、ヨーロッパ全体を見ても、80年代くらいから、家族でなくても、「家族のようなもの」であれば支援しようという政策を始めている。具体的には、婚外子、シングルマザー、同性婚の支援などだ。伝統的な家族の形を維持できないとすれば、見かけは違っても、同じような機能を果たすものなら、それを肯定しよう、さらにはそのような集団を積極的にデザインしようという考え方だ。もはやいろんな家族の形を認めざるをえず、個人は与えられた条件の中でそれなりの幸せを実現するしかない。『ニューヨークの巴里夫』の原題 Casse-tête chinois は「はめ絵遊び」のことだ。最初から理想のモデルがあるのではなく、与えられた条件の中でそれぞれが最適な「幸福のピース」を見つけていくことが肝要なのだろう。

映画の中にはレズビアンのカップルも出てくる。イザベルとジューだ。そしてグザヴィエは彼女たちが子供を作るために精子を提供する。『ニューヨークの巴里夫』には、こういう時代の先端を行く家族形態も盛り込まれている。アメリカでは若者が金銭的な動機でドナーになることもあるが、そういうドナーでも自分の精子から生まれる子供に興味を持ち、子供の将来を心配する。子供もまた自分に父親がいないことに関心を持ち、生物学上の父について知りたがるのだという。映画の中でもグザヴィエの息子が、グザヴィエが精子を提供して生まれたイザベルの娘を「妹」として認識し、ささやかな愛情が芽生えている。

現代社会では、個人は人生を自分の判断によって主体的に選び取り、その結果を自分で引き受けなければならない。私たちは判断をめぐって右往左往し、これまでありあえなかった後悔を生むことにもなるだろう。これまで職業が人生の最も重要な選択であり、自己実現とも結びついていた。現在はそれだけにとどまらない、様々な選択の機会に直面することになる。「結婚する・しない」「子供を産む・産まない」(不妊治療を受ける・受けない、あるいは養子をとる)から、自身のセクシャリティー(LGBT)、自身の死期(安楽死、ガン治療、葬儀)にまでそれは広がっている。もし子供がいるならば、どのような教育を受けさせるかは頭の痛い問題だ(実際に自分も経験したが、日本だと「子供に中学受験させる・させない」が大きな分岐点になる)。そういえばウェンディとグザヴィエも子供の学校のことで激しく口論していた。リベラルなグザヴィエにとって制服のある学校なんて問題外なのだ。そして現代社会は個人の人生の選択のための法や制度の整備を粛々と推し進めていく。伝統や偏見のプレッシャーは軽減されるかもしれないが、私たちは伝統や社会的な通念というレールがない状態で、それらを逐一選択していかなければならない。

cyberbloom


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2020年09月01日

『マチルド 翼を広げ』Demain et Tous Les Autres Jours

飛行機の中、というのも思いがけない映画との出会いがある場所だ。あてがいぶちのラインナップから選び小さな画面で見た作品が当たり!だったりすることもある。期待していた本命の新作映画が見当たらず、肩透かしな気分のまま機内でピックアップした本作について書いてみたい。



9歳の女の子、マチルドはママンと2人パリのアパルトマンに住んでいる。別居しているパパとはときどきスカイプでおしゃべりする。周りの人からは変わっている子と言われ先生からも心配されるけれど、独りでいることが嫌いじゃない。勉強だってちゃんとする。カラフルなユニークちゃん、というより、自分がちゃんとあって、自分の感性と美意識を大事にしている女の子なだけだ(きれいに飾ったマチルドの部屋を一目見ればわかる)。かしこくて一生懸命な、まさにおとぎ話の主人公をリュス・ロドリゲスが好演している(小鼻がちょっと膨らむ風なのがかわいらしい)。

マチルドが素敵な私の部屋を持つ女の子になったのは、感性豊かなママンのおかげだ。ママンはマチルドよりもっとずっと変わっている。例えば、ある日突然ウェディングドレスをデパートで買いもとめ(そうする理由はちゃんとあるのだ)、試着したまま家に帰ってくる。白い裾を雨に濡れた街路で汚しながら。他の子のママンと違って、マチルドの面倒を見るよりマチルドに世話を焼いてもらうこともそれなりにある。だからマチルドは自分で夜ご飯を食べて自分で起きて学校に行くことができる子になった。それでも、ママンの事がマチルドはとにかく大好きだ。

唐突にママンがプレゼントしてくれた小さいフクロウがマチルドとだけおしゃべりできることがわかり(かわいい外見に似合わず陽気なおっさんキャラだったりする)、マチルドの感じ方や考え方をわかってくれる友達になってくれたおかげで、マチルドの世界はぐんと彩りを増してゆく。その一方で、ただでさえ不安定なママンの心の調子はゼツボー的に悪くなってゆく。マチルドが一生懸命準備したことも全く悪気のないママンのお陰でおじゃんになり、マチルド自身も危険な目にあう。ママンとマチルドの静かで豊かな世界は崩れてゆく。

ここまでくると、なぜしゃべるフクロウも登場するおとぎ話仕立てなのかがわかる。そのままを映画にすればこぼれ落ちてしまうものがあるからだ。世間さまから見れば、迷惑ばかりかける母と耐える娘である。リアルを追求しながら「社会の中の2人」を描けば、マチルドの将来とか生活費とかママンの病の理由の詮索とか、いろいろとついてきて大事なことががぼやけてしまう。現実を締め出してこそ初めて見えてくるものもある。

一つはママンの存在感。どうしてマチルドがママンのことを好きなのか。この問いに映画はきちんと答えている。親だから、だけではなく魅力的な人だからだ。他人の目にはトラブルでしかなくても。事実、本作の監督でもあるノエミ・ルヴォヴスキが演じた、静かな微笑を絶やさないママンの心ここにあらずな表情やたたずまいはなんともいえない透明感があって美しい(前作での「元気なカミーユ」が演技だったこともよくわかる)。

そして、ママンが苦悩する人でもあることもしっかりと捉えている。自分を置き去りにしてどんどん飛び去る思考に振り回され、追い詰められてゆく苦しみ。やらかしてしまったことを知った後の絶望感。大事な人たちと思うように接することのできないもどかしさといったものをを常に抱えていることを。ママンのような存在は大抵の場合「主人公を脅かすやっかいな問題」として平面的に描かれがちだが、この映画は違う。これまで見てきた「メンタルを病んだ人の演技」にはないものを感じた 。観察映画『精神』に登場した人たちに見たものー自分の内面で沸き立つものと戦う人の静けさーにより近いものとでも言おうか。

もう一つは、マチルドとママンの関係だ。社会が掲げるあるべき母娘の姿とはかけ離れているかもしれない。しかしマチルドとママンはそうやって一緒に1日1日を積み上げ、次の日を迎えてきた。他人には問題行動とその結果の繰り返しのように見えても、2人にしかわからない世界があるのだ。

マチルドは、ママンの心が絶えずどこかにさまよっておりいつか自分から離れていってしまうのではないかと勘付いている。だから一生懸命ママンによりそう。ママンはママンで自分を求める大事なマチルドの声に応えたいと思っていて、がんばろうとする。でもうまくいかずに、変なことになってしまう。まるで悪い魔法にかけられてしまったみたいに。こんなにもそばにいるのに繋がらない、二人のなんとも言えない微妙でせつない関係が交わし合う視線、触れ合う体からきちんと描かれている。観ている側にはたまらないのだけれども。

そしてママンはある決断を下す。ママンにかけられた「魔法」が解け、ママンとマチルドが再び母と娘として巡り会うことができるのか、何も考えずに互いをしっかり抱きしめることができるのか。それはぜひ映画をご覧になって確かめていただきたい。

話し相手のフクロウ(映画『愛と哀しみの果て』でメリル・ストリープがペットにしていたのと同じ種類だろうか)も脇役としていい味を出していた。 愛嬌なしのデッドパンなタイプの動物ゆえ、好き勝手なおしゃべりもすっとはまる 。父親役のマチュー・アマルリックの静かな存在感も印象に残った。

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2020年08月29日

『カミーユ、恋はふたたび』(2012年)

テレビで映画を見る楽しみは、予期せぬいい出会いがあること。たまたま出くわしたそんなフランス映画を1本をご紹介したい(ある程度ストーリーに言及するのでご注意ください)。



主人公カミーユはパリに住む女優、40才(本編の監督で脚本も手がけたノエミ・ルヴォウスキーが演じている)。美魔女とはほど遠く、Z級スリラーの殺され役などして暮らしを立てている。25年連れ添った夫との間に二十歳を超え独り立ちした娘が一人。外に女がいる夫から離婚を切り出されている。ブルーな毎日を乗り越えるのにお酒が手放せない。

大晦日、友達の家で開かれたパーティで飲んで踊って昏倒したカミーユは、病院のベットで目を覚ます。新しい年はもう来たらしい。様子を見に来たナースが真顔でとんでもないことを言う。「ご両親が迎えにくる」って、どういうこと!!そして15才の頃の New Year’s Day にタイムスリップしてしまったことに気がつくのだ。

鏡に映る自分の姿は相変わらすくたびれた中年オンナ、おつむも気持も目覚める前と変わりはない。病衣からマドンナ風の重ね着ファッションに着替えた自分ははっきりいって悪い冗談にしか見えない。けれど、他人から見れば15才の女の子でしかないらしい。

あの頃の元気な両親と再会して感激するカミーユだが、間もなく16才を迎える自分に起こることを思うと現状を手放しでは喜べない。彼女の波乱の人生は16才の年にスタートしたのだ。夫となる同級生の彼と出会い妊娠、出産。演劇とも出会い、舞台に立つ喜びも知った。そして、突然の病で母を失った(妊娠発覚が死の引き金をひいたと今も思っている)。またあの怒濤の日々を経験するのだろうか。

はからずも40才にしてもう一度生きなおすことになった15才のガールズライフは身にしみることばかり。コスプレでないリアルタイムの80年代ファッションを着こなすクラスメート達はまるでオコちゃまで、一生懸命で、かわいい。

共働きで堅実に暮らす両親が、アーパーな一人娘である自分に注ぐ愛情がひしひしと伝わる。バカだったからちっともわからなかった。ふくよかできれいでやさしいママン!何気ない一言がどれも愛おしい。(夜、仕事帰りの母と娘が語り合うシーンはこの映画の白眉でもある。)

彼(お肌がすべすべ)が自分に寄せる、記憶していた以上に直球な思いも胸に迫る。そして芝居のおもしろいこと!学校行事の一つとして参加したゴルドーニの古典喜劇の台詞がこんなに新鮮に響くなんて。全てを知る40才の自分を意識しつつも、時にティーンエイジャーに戻ってじゃれあううちに、カミーユの顔つきが変わってゆくのがおもしろい。酒浸りのくたびれた顔に、いきおいと表情が戻ってくるのだ。シワもたるみもそのままなのだけれど。若いコに混じった若いカッコの40才がサイトギャグから違和感ない存在に見えてくるからたいしたものだ。

しかし、日々をエンジョイしているわけにもいかない。ことが起こってしまう前に未来をもう少しましなものにできないか。カミーユはじたばたしてみるのだが、人生の筋書きを大きく変えることができないことに早くも気付いてしまう。彼の求愛を受け入れここで妊娠しなければ、未来にいる娘が消滅してしまう!。少し違いを生じさせてはみたものの、カミーユは結局16才だったときと同じことをもう一度経験するはめになる。

そして再び昏倒したカミーユは、21世紀の新年の朝、友人の家のベットで目を覚ます。タイムスリップを経験しても、結局世界は何も変わっていない。過去にいる間にかすめとった一つ二つのちょっとしたいいことをのぞいては。

変化があったとすれば、それはカミーユ本人の胸のうちだろう。リフレッシュした、アップデートしたという意味の変化とは違う。むしろ「私、年を取った」というのが正直なところではないか。何が何だかわからないまま過ぎたあの日々を自分の意志で生きたことで、彼女は覚悟を決めたのだ。16才から積み重なったいろいろなこと―ままならなかったことも今直面していることもひっくるめ全部抱きとめて生きてゆく、私を全うする覚悟を。

そしてカミーユはある決断をする。それがどんなものかは、ぜひ映画をご覧になって確かめて頂きたい。それを語る彼女の言葉も含め、フランスでしか作れない映画だと思った。「タイムスリップもの」を作っても、一味違うのだ。

80年代の学生生活が映画の大半を占めるだけあって、部屋の壁に貼られた切り抜きから流れる音楽までそのころのアイテムが満載だが、特に印象に残ったのが当時世界中でヒットした、Katrina & The Waves の “Walking on Sunshine”。恋に夢中なキラキラした女の子の気持をストレートに歌ったアッパーなポップ・ソング。21世紀の大晦日では元気なあの頃を思い出させ、オバ達を踊り狂わせる懐かしのダンスチューンとしてパーティでかかっていた。タイムスリップ先では、今のアタシ達の気分を代弁してくれる、流行の曲として流れていた。

映画の終盤、New Year’s Day の朝に友人の家を出たカミーユを捉えた映像が挟み込まれる。降り注ぐ朝の光を浴びて誰もいない雪の積もった街路をひとりゆく彼女の後ろ姿を見ていると、この曲が頭の中で流れてしようがなかった。何もいいことなんかないんだけれど、「ね、いい気分じゃない!」と自分を奮い立たせ口角上げて前を向ける大人の底力を感じたのかもしれない。

“Walking on Sunshine” とはこういう曲です。80年代当時の映像でどうぞ。
https://youtu.be/iPUmE-tne5U

映画の中でタイムレスな音楽としてバルバラの曲が2曲さりげなく使われていたのも印象的だった。歌詞の内容から、二人が歌う場面でセレクトされたのがこちら。

by GOYAAKOD

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