2016年08月08日

追悼・津島佑子の描いたパリ

2016年2月18日、津島佑子が亡くなった。享年68歳。僕は熱心な読者とは到底言えないが、「生き残った者」をめぐる真摯な作品には、感銘を受けてきた。追悼の意をこめて、パリを舞台にした連作集『かがやく水の時代』(1994)を紹介したい。津島自身が1991年にイナルコ(フランス国立東洋言語文化研究所)で客員教授を勤めた経験を活かした小説である。

主人公で語り手の美佐子は、6歳の息子を亡くしてから8年後、パリで生活を始める。そこでアメリカ生まれの従妹朝子と再会する。また、マリー・エレーヌという老婦人と知り合い、彼女の息子の子供を産んだ日本人のイズミを見舞う。その直後にマリー・エレーヌは亡くなり、美佐子は葬儀に参列する。やがてパリを引き払い、母の若い頃のことを叔父に聞こうと思って、従妹の故郷へ立ち寄ってから、母が入院している東京へ戻る。というのが、おもな筋書きだが、時系列に沿って書かれてはおらず、読み進めるにしたがって、しだいに事態の全容が明らかになってくる仕掛けになっている。

男たちは、およそ頼れる存在としては出てこない。日本へもはや帰れないがゆえに郷愁に囚われる朝子の父親も、すでに新しい恋人と同居していて、前の彼女のイズミが生んだ赤ん坊と同居できない日仏ハーフのオリヴィエも、悪人ではないが、助けにならない。かといって、女たちが逞しいというわけでもない。みんな傷つき、いらだち、人生を持て余しながら、それでも人生を意味あるものにするために、懸命になっている。


この小説で興味深いのは、外国語がいつも、主人公と他者の間の不透明な壁として現れることだ。たとえば、「あとのほうは、フランス語に切りかわってしまった」とか、「おじの言葉は日本語に変わった」、「アサコが自分の言葉、英語で言った」、という風に、会話がどの言語でなされたか、いちいち注釈が入る。英語やフランス語のセリフは、生硬で直截的な直訳調で表現され、しばしば早口についていけず、会話ができなく場面も出てくる。にもかかわらず、亡児への思いが、不自由な外国語の向こうにある人々の痛みまでをも、美佐子に分からせてしまう。

「私がそのもとに帰りたがっているむかしの母に、母自身帰ることができない。姉も帰れない。私の死んだ子どももどうしたって、どこにも帰れない。私はとにかく、その都会を引きあげることにした。失われたものを失われたものとしてはっきり見届けるという、いちばん小さな責任を、まだ私は果たしていないのだった。」死者を、死者として受け入れること。過去を、過去として受け入れること。それが現在を生きることなのだということは、誰でも分かっているが、ほとんど誰も、正面から向き合うことができない。それが、なぜパリでは可能なのか。

同じ街を舞台にした高橋たか子の『装いせよ、わが魂よ』を読んだときも感じたことだが、パリという街は、人を孤独にするがゆえに、人と人との繋がりについて、深く考えさせるところがある。子供の死から逃れるようにパリまで来た美佐子は、かえってそこで出会った人々を通じて、生きているものの儚い繋がりの愛おしさに気づく。そして、、美佐子はついに東京へ戻る決心をする。

『かがやく水の時代』を構成する四つの小説には、石、火、水という神話的要素が題名に入っている。神話的な風景の原点に立ち戻ることも、津島佑子の文学の重要な要素なようだが、これについては、今後よく考えてみなければならない。今日はただ、とくに受賞もなく、あまり有名ではないこの連作集に、彼女がパリで見て考えたことが、見事に語り出されていることを述べて、ささやかな誄としたい。

かがやく水の時代
かがやく水の時代
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津島 佑子
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2016年06月18日

フランス語の綴りが変わる?

「フランス語の綴りが変わる」というニュースが飛び込んできた。実はこの綴り改革は1990年にすでに承認されていたのものだというが、仏紙リベラシオンの記事「Réforme de l'orthographe : ce qui change vraiment 綴り改革:本当に変わるもの」に沿い、改めて一体に何が変わるのか見てみよう。



1990年にアカデミーフランセーズによって承認された綴り改革は、来学期の教科書でより目に見える形にしなくてはならないだろう。アクサンシルコンフレクスは本当に脅かされているのか?解読してみよう。

この改革は1990年にアカデミーフランセーズによって承認されたが、ほとんど適用されてはいなかった。綴り字改革は、次の新学期から新しくなる、学校の教科書に自動的に採用されるだろう。「綴り字教育は1990年12月6日の官報に記載された、修正された綴り字に準拠する」と2015年12月26日発行の国民教育の官報に示されており、水曜にいくつものメディアに指標とされた。フランス語の上級評議会の勧告はアカデミーフランセーズによって有効とされ、2000以上の単語に関わるもので、今後2種類の綴りを持つことになる。2つ書記法が受け入れられ、現在の綴り字は慣用として残るだろう。5つの質問によって解読してみる。

― どの単語の綴り字が変わることになるかもしれないの?

この改革によってまず変わるのは、しばしば私たちの言語が進化する過程で消えた「S」の名残であるアクサン・シルコンフレクスである。CP(cours préparatoire、小学校の準備科、小学校1年生)たちを悩ませているこの「帽子」はもう i や u の文字の上に載せる必要がなくなる。ただしそれが動詞の語尾(「qu’il fût」単純過去)を示していたり、固有名詞だったり、意味の区別をもたらす時を除いて。例えば「mûr 熟した」は、「mur 壁」と混同しないようにアクサンを残す。一方動詞「s’entraîner」はアクサンなしのただの i だけで書かれ、もう誤りとは見なされない。

さらにアカデミーの照準は、トレデュニオンと「ph」の綴りに向けられる。「chauvesouris」「millepatte」「portemonnaie」「weekend」は一語で書いてよいことになる(week-end → weekend)。アカデミー会員たちがまた、直感的に一致しない綴りを簡素化し(「oignon」の代わりに「ognon」、「nenuphar」よりも「nenufar」)、同族の単語の不規則を修正したり一貫性を持たせる(例えば「souffler」と「boursoufler」では、後者は「f」を二つにしてよい)。

他に変わる点として:いくつかのアクサン(「cèleri」「crèmerie」「règlementaire」「sècheresse」)、さらに動詞「laisser」に不定詞が続く場合、過去分詞が不変化になりうる(elle s’est laissé mourir、ils se sont laissé faire)。

全部で、2400の単語、フランス語の語彙のおよそ4パーセントが刷新(リフティング)される。

― 誰がこの改革の影響を受けるの?

安心してください、基本的にあなたが、見直され、修正されたプルーストの改訂版に出会うということはないはずです。改革の修正は、学校図書にのみ適用されます。この綴りの変更の採用を決めたのは、教科書出版社、特に Belin 社です。来学期から配布される、それらの新しい綴りと文法の図書には、先生や親御さんをあまり驚かさないように、「新しい綴り」と記されたマカロン(=丸い印)がついています。

ー どうして新しい綴りを実際に適用するのに、こんなに長く待たされたの?

改革は2016年の新学期から学校教科書において、より存在感のあるものになるが、実は1990年以来適用されていると見なされている。アカデミーフランセーズの勧告はこの日から有効だったのだが、どちらかといえば注目されてこなかった。というのもこれらは義務では全くないからだ。2種類の綴りは受け入れられているし、教師もすべての公務員もどちらも使ってよいのだ。もっともいくつかの過去に出版された教科書、特に Hatier 社の物は、すでにこの新しい綴りを組み込んできた。

来学期の一般化は文部省とは何の関係もないと大臣ははっきり言っており、出版社によって決定されたものだ。フランスの学校プログラムは、そもそも2008年からこの綴り字の修正を採用したのだが、当時の資料が示すように(ここでオンラインでアクセス可)、もっと目立たない形だった。

― アカデミーフランセーズの言い分は?

修正はフランス語の進化に沿ったもので、生徒たちの習得を容易にするものと見なされている。「17世紀から常になされてきたように、また大多数の近隣諸国でなされているように、その使用をより確実なものとし、一貫性があり熟慮された修正を綴りにもたらし続けること」が重要である、とアカデミーフランセーズは1990年の文面で説明していた。アクサンシルコンフレクスの場合、今見てきたように、特に注意を払う対象となったが、アカデミーはそれが「フランス語の綴り字の大きな障害となっており」、「その一貫性のない恣意的な使用」が、「教育のある人々」にまで問題をもたらしていると見なしている。そしてこのアクサンの使用が見直され得ることが正当化されるいくつかの例を挙げる:同族の単語の中での(icône, iconoclaste ; jeûner, dejeuner ; grâce, gracieux)、あるいは発音の点で(bateau, château ; clone, aumône)、一貫性のない使用。

― どうしてこの綴り字改革が批判の対象になるの?

フランス語の改革とその習得に言及すると、しばしばフランス語が貧弱になり、最低に合わせた均等化が起こるのではという人々がいる。「覚えるのが簡単ではないという口実で、フランスの歴史上の日付をなかったことにするだろうか?いいえ。病人を手当てするより、体温計を壊す方が簡単だ。そこでこの際、今日の生徒たちが認める綴りの難しさを手当てするより、体温計を壊すことにした」、ニュースを知り、TF1 にインタヴューされた古典文学の教授はこのように嘆く。別の教授の説明では、改革のせいで、生徒たちに2種類の綴りを教えなくてはならなくなる、なぜなら新しい書記法は今のところ日常生活にまだ入り込んでおらず、後にフランス語の間違いと解釈される恐れがあるということだ。水曜の晩、ネットユーザーたちは、教授たちがアクサンシルコンフレクスが完全に消えると誤って解釈したことに激しく抗議し、ハッシュタグ#JeSuisCirconflexe を投下するほどだった。

Réforme de l'orthographe : ce qui change vraiment
Par Juliette Deborde
4 février 2016
Libération



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2016年06月13日

ジャック・リヴェット追悼

ヌーヴェル・ヴァーグの映画作家ジャック・リヴェットが87歳で亡くなったというニュースは、ごくわずかのフランス映画マニアしか驚かせない類の話かもしれない。リヴェットの映画には、確かにゴダールのような強烈なインパクトもなければ、トリュフォーのような親しみ易さもない。ロメールのような分かり易さもなければ、シャブロルにおける「サスペンス」のように特定のジャンルに括られることもない。しかし、彼が失われたことはフランス映画の「最良の部分」が消え去ったことを意味する。その点では、リヴェットの死は「ひとつの時代の終焉」と言っても良いほどの出来事であろう。

とかく、リヴェット作品は「難解」との烙印を押されることが多かった。『カイエ・デュ・シネマ』誌の元編集長。鋭利な批評家として名を馳せていた彼自身が熱狂的映画ファンであり、「毎日のように映画を観続けていた」という伝説から察するに、「普通の映画」などは何があっても撮ることは出来なかったのであろう。トリュフォー、ゴダール、シャブロル、ロメールが映画作家として快調な滑り出しを見せ、やがて映画界の巨匠への道を進む中、リヴェットだけは12時間以上も上映時間がかかる難解な映画(『アウトワン』)を平然と撮る「呪われた作家」として、孤高の獅子のように映画界に屹立し続けていた。自分の作品が普通に読まれるまで「100年以上かかるだろう」と言ったニーチェと同様に、受け入れられるまでに一体どれくらいの歳月がかかるのかとリヴェット本人も思っていたに違いない。

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リヴェットはそのキャリアの最初から「演劇」と「陰謀」というテーマに憑りつかれた作家だった。長編デビュー作『パリはわれらのもの』では劇団員の活動とその背後に蠢く陰謀がテーマとなるが、1970年代から80年代の作品群―『アウトワン』(1971)、『セリーヌとジュリーは船で行く』(1974)、『北の橋』(1981)、『地に堕ちた愛』(1984)―においても、そのテーマが陰に陽に現れては繰り返され、その中で、ビュル・オジエ、ジェーン・バーキン、ジェラルディン・チャップリンといったお気に入りの女優たちが不可思議な冒険を展開する。それが最も洗練された形で結実するのは『彼女たちの舞台』(1989)であり、日本においてもこれ以降、彼の作品がコンスタントに公開されるようになっていく。

1990年代以降のリヴェットは、1970年代の「カルト作家」扱いがまるで嘘であったかのように、次々に話題作を撮る映画作家へと変貌する。エマニュエル・ベアールを主演に据えた『美しき諍い女』(1991)ではカンヌ映画祭審査員特別グランプリを受賞。続く『ジャンヌ・ダルク』二部作(1994)では、ドライヤーやブレッソンによる映画史上の名作に挑みかかるように独自の救世主像を提示。さらに『パリでかくれんぼ』(1995)ではミュージカルに挑戦、ゴダールの妻だったアンナ・カリーナまでスクリーンに呼び戻し、自由で溌剌とした作品を産み出す。その勢いは2000年代になっても止まらず、『恋ごころ』(2001)や『ランジェ公爵夫人』(2007)でも多くの観客を唸らせた。

このように、時代によってその扱いがガラリと変わったリヴェットだったが、彼自身は基本的には何も変わっていなかったように思われる。フランスのドキュメンタリー番組『現代の映画作家』シリーズのリヴェット編(クレール・ド二監督)では、夭折した批評家セルジュ・ダネイを相手に滔々と語るリヴェットの姿が鮮やかに映し出されているが、自分の人生や撮影技法、創造の秘密について語る彼の様子はひたすら陽気で驚かされるほどだ。それは、韜晦なことを語って相手を煙に巻くタイプの芸術家とは対極的な姿勢であり、笑みを絶やさない彼の顔からは純朴な人柄が窺われ、多くの役者を惹きつける魅力が彼に間違いなく備わっていたことがはっきりと分かる。

リヴェットの死に際し、女優アンナ・カリーナは「フランス映画はもっとも自由で創造的な映画作家の一人を失った」と追悼の言葉を述べたが、まさにその通りであろう――カリーナ主演で撮影されたディドロ原作の『修道女』(1966)はカトリックを批判した作品であるが、リヴェットは宗教界から敵視され、この作品は上映禁止処分を受けたことがある――。実際、リヴェットはいかなるイデオロギーにも党派にも思想にも縛られることはなく、只々、自分自身にだけ忠実な映画作家だったと言えよう。ここまでやりたいことをやり切った映画作家というのは、映画史を見渡してもそうはいないのではないだろうか。しかし、いまそのような映画作家が世界に何人いるだろう。その意味で、彼の死は作家の自由な想像力=創造力がどこまでも許された「ひとつの時代の終焉」なのであろう。


不知火検校

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2016年04月09日

真の「作家」の去り方―宮崎駿『風立ちぬ』を観て

宮崎駿の最後の作品となるらしい『風立ちぬ』を観た多くの者は、当惑を覚えずにはいられなかったのではないか。これが、本当にあの『千と千尋の神隠し』(2001)と『ハウルの動く城』(2001)を世に送り出した映画監督の作品なのだろうか。もちろん、そんじょそこらのアニメとは比較にならない高水準の作品であることは間違いない。しかし、『千尋』や『ハウル』に溢れかえっていた夢幻性や躍動感は影をひそめ、作品はひたすら昭和初期の日本の暗い現実に焦点を絞ろうとする。一体、宮崎は何を表現しようとしているのか。

『風立ちぬ』はその表題からも明らかなように、宮崎がその文学的な源泉を明確に示した作品だと言えよう。もちろん、『ハウル』にも有名な原作小説はあるし、『もののけ姫』(1997)や『千尋』からも日本古典文学に対する作者の造詣を窺い知ることができた。しかし、文学が通奏低音として響いていたこれらの作品と比べ、『風立ちぬ』は文学的主題が前面に押し出されているように思える。それは一見したところ、宮崎が羨望を持ち続けてきた旧制高校的文学世界への賛歌と思えるほどだ。

風立ちぬ [Blu-ray]のっけから二人の主人公(二郎と菜緒子)は堀辰雄の『風立ちぬ』にエピグラフとして掲げられたポール・ヴァレリーの詩「海辺の墓地」の一節 (Le vent se lève. Il faut tenter de vivre.) を口にする。ここで宮崎は「風が起こる。生きることを試みなければならない。」という直訳を用いている。その意味を観客にはっきりと伝え、この作品の主題を明示する為だろう。この作品はあくまで零戦の設計者である堀越二郎が主人公なのだから、彼の半生が描かれればそれで良いはずだ。だが、宮崎はそこにほとんど強引に堀辰雄の影を重ねる。二郎はヴァレリーのみならず、西条八十が訳したクリスティーナ・ロセッティの詩までを暗唱する(「誰が風を見たでしょう 僕もあなたも見やしない…」)。もちろん、旧制高校出身の秀才がこれらの詩を暗唱することに違和感はない。だが、ここまで強調されるとそれは単なる人物造形の枠を飛び越え、登場人物を現実から遊離した詩的存在、文学的存在へと飛翔させてしまうかのようだ。「風」という言葉をキーワードのようにして、この作品は文学的な世界を旋回するように進んで行く。

その文学的な背景が極まるのは、物語の中盤に狂言回しのように現れる謎のドイツ人カストルプによってである。カストルプとはもちろん、トーマス・マンの『魔の山』の主人公の名であり、彼自身も「魔の山」という言葉を次郎との会話の中で律儀にも口にする。長編小説『魔の山』は、結核の治療の為に入ったスイスの療養所の中で、主人公のハンス・カストルプが様々な人物に遭遇し、奇怪で眩惑的な出来事を次々と体験することによって、人間の生涯の意味を理解する、という内容であった。一方、『風立ちぬ』の中のカストルプはそんな魔の山から戻ってきたかのような人物で、二郎に対して生の意味を問いかけ、彼に覚醒を促す。その姿は謎めいており、むしろメフィストフェレスを思わせる。しかし、ゲーテであろうがマンであろうが、いずれにせよ、ここには旧制高校的ドイツ教養主義の土壌、精神風土が色濃く立ち込めているように思える。

風立ちぬ [DVD]ここまで見せられると、宮崎が確信犯的に文学的濃度の高い作品を作ろうとしていることを、観客はいやでも認めざるを得なくなる。この文学世界を受け入ることができない観客はもう『風立ちぬ』の世界から排除されることになるであろう。しかし、このようなことはこれまでの宮崎作品には有り得なかった。なぜならば、これまでの宮崎作品は、文学や思想などというものからは明確に距離を取りつつ、登場人物たちが見せる軽やかで目も眩むような飛翔や跳躍によって観客を映画の中に引き摺りこみながら、その鮮やかな運動の様を飽くことなく提示し、そのこと自体を映画の核として来たからだ。もちろん、『風立ちぬ』の中にも当然ながら飛行機が鮮やかに滑空する場面は何度もある。しかしながら、この作品ではそれがメインとなっていないのだ(何よりも、肝心の零戦が飛ぶ場面がほとんどない)。宮崎はその生涯で、初めて、そして最後に、「運動」よりも先に「文学=思想」を据える作品を作ってしまったのである。

このように文学=詩への愛着を見せる『風立ちぬ』という作品が、荒井由美の「ひこうき雲」の「詩」によって終わりを迎えるのは必然的な流れと言える。この作品は彼女が17歳の時に作詞したものらしいが、その年齢の時にのみ書くことが可能であろう、研ぎ澄まされた鋭敏な感性に貫かれている。「誰も気づかずただひとり」、「何もおそれない」、「ほかの人にはわからない」、「あまりにも若すぎた」のような、刺すように聴く者の心を捉える歌詞。これらの単純な言葉はそれゆえに重みを持ち、一行の変更の余地もない。そして、この溢れんばかりの詩的感性が『風立ちぬ』という作品を閉じるのに十分な役割を果たしていることは、映画を観た誰もが認めざるを得ないであろう。

宮崎は初めて自分の作品を観て泣いたという。それは、この作品が最後になることを確信していたからであろうが、そればかりではなく、「文学=思想」が「運動」を超える映画を自分が作ってしまったことへの悔恨と畏怖、そして驚きゆえではないのか。宮崎は元々思想の人であった。それは彼がたびたび発する政治的発言から窺い知ることができる。しかし、その類まれなる創造者としての才能は彼自身の思想が露わになることを隠し、彼をして「映像美」の作家としての地位を確立させるに至る。だが、彼は最後の最後で「文学=思想」を直接的に表現する映画を作ってしまった。それは彼の美学から言えば決してやってはいけないことであり、作家としての死を意味するものだった。だが、実はそれこそ彼が本当にやりたかったことではないのか。宮崎の涙は、あらゆる束縛から解放され、初めて作りたい作品を産み出した思想家の満足感のように思えるが、事態はそれだけではない。

長く宮崎の作品を観てきた者を『風立ちぬ』がさらに驚かすのは、主人公二人の直接的な愛情表現の描写である。こんなことはこれまでの彼の作品には有り得なかった。『ルパン三世カリオストロの城』(1979)の最後、クラリスはルパンに胸に縋るもののルパンは彼女を引き離す。『風の谷のナウシカ』(1984)で、ナウシカの傍にいるのは常に動物たちであり、恋人の姿はない。『魔女の宅急便』(1989)のキキもしかり、淡い初恋のようなものはあっても、恋人らしき存在はない。『紅の豚』(1992)のポルコは自ら恋を禁じた存在。『もののけ姫』のアシタカとサンの距離は二人の宿命ゆえに縮まることはない。『千と千尋の神隠し』の千尋にとって、ハクは恋人と言うよりも保護者のような存在だ。わずかに『ハウルの動く城』のハウルとソフィーだけが、物語の最後で初めて愛を確認するがこれは貴重な例外である。宮崎アニメの主人公で愛の告白をしたのはひょっとしたらポニョだけかもしれない(「ポニョ、宗助のこと好き」、『崖の上のポニョ』(2008))。

それに対して、今回、主人公二人の愛の描写を宮崎は前面に押し出した。それも、ほとんどメロドラマに陥る寸前のところまで行っている。何より、登場人物の軽やかな跳躍こそが真骨頂であったこれまでの宮崎作品に対して、二人の男女の駅での抱擁シーンが『風立ちぬ』のクライマックス・シーンとなっている点にすべてが集約されているのではないか。そこで、彼らは二人そろって空を飛ぶこともなければ、駆け回ることもない。ただ、ひたすら肩を寄せ合いながら二人だけの時間をひっそりと過ごすだけなのだ。そこに、この映画の法則が「動」ではなく「静」であるということがはっきりと示されていると言える。愛を得た登場人物たちはもう動くことを必要としていない。これもまた宮崎作品としては例外的事態と言ってよいだろう。

「動」に対して「静」の優位を、つまり、「活劇」に対して「文学=思想」と「静寂な愛」の優位を選択するとき、宮崎の作品は当然ながら終わりを迎えざるを得ない。それは、これまで彼自身が築き上げてきた全てのものを否定する行為に等しいからだ。しかしながら、自分の作品をすべて否定するかのように去っていく作家というのは何と清々しく見えるのだろうか。そして、生涯を賭けたものを否定するようなことができる者こそ、真の「作家」と呼べる存在なのではないか。『風立ちぬ』という作品を観るとき、私はそんな思いに囚われざるを得ない。


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2016年04月06日

ディオール兄妹の戦争

1944年8月15日、聖母昇天祭の祝日。じりじり照りつける夏の大陽が沈みパリが闇に包まれた時、パンタン駅から貨物列車が出て行きました。積み込まれていたのは人間。レジスタンスに加担したとして逮捕され、市内の幾つもの刑務所に収容されていた2,457人もの人々が、ドイツ国内の強制収容所へ移送されていったのです。数百人の女達も含まれていました。覗き窓が一つあるきりの貨車に身動き取れない程詰め込まれ、ひどい暑さとひといきれのあまり服を脱ぎ、汗まみれの下着姿というありさまで。動き出した列車からは、人々が唱和する『ラ・マルセイエーズ』が流れてきたと言います。パリ解放の、ほんの数日前の出来事でした。

その中には、ファッション・デザイナー、クリスチャン・ディオールの末の妹、カトリーヌがいました。2,000人を超える人々が関わった地下抵抗組織マッシフ・セントラルの一員として6月に逮捕され、獄に繋がれていたのです。彼女がレジスタンス活動に加わったのは1941年、24才の時。恋に落ちた相手がたまたま組織の設立メンバーだったということもあったとはいえ、人生を左右する重い決断でした。

当時のフランスでは、ドイツ軍の占領下様々な制約が課せられていたものの、平穏な生活を営むことはできました。ひたすら耐え忍び、禁じられていたBBCのラジオ放送をこっそり聞いて連合国軍がドイツ軍を破りじりじりとやって来るのを待つ―多くの普通の市民が選んだのはそんな暮らしでした。しかし、その選択肢を捨てレジスタンスに参加した人々には、日々「死」を覚悟する生活が待っていました。

ゲシュタポをはじめとする占領ドイツ軍は抵抗勢力を根絶やしにすることに血道を上げており、逮捕されれば苛烈な尋問が待っています。拷問に屈して情報を漏らせば、さらに犠牲が広がる―組織を、仲間を守るために、関与の有無はおろか自分の名前すら明かす事なく命を落とす人が少なくなかったといいます。ある日突然姿を消し、誰にも知られる事なく獄死したレジスタンスの活動家達が、今もフランス各地にひっそり眠っているのです。「解放」の日がいつになるのか全くわからない状況―それでもカトリーヌは、組織の歯車の一つとして生きる事を選びます。

属していた組織は、ドイツ軍の兵力・武器・動向といった軍事情報を取り扱う機関で、カトリーヌは秘密情報をレポートにまとめ、運ぶ任務についていました。自転車であちこち駆けずり回り、指定された場所に行き情報を手渡すのです。同じ組織の仲間は、当時のカトリーヌについてこう回想しています。

「私たちは、自転車の上で暮らしていたといってもおおげさでないくらい、毎日毎日ペダルを漕いで走り回っていました。午前中は数名の仲間のもとへ、午後は秘密会議が開かれている場所へといった具合に。カトリーヌは、自転車に乗りやすいようロングスカートを切って長いスリットを開けていました。ニットの帽子に、お母さんからのお下がりの短い毛皮のジャケットをはおり、長いウールの靴下をはいて、少女のようにかわいらしかった。街路を駆け抜けるその姿を、男たちが目で追っていましたっけ。』

取り締まりは厳しさを増す一方で、昨日は一人、今日は二人と仲間たちが逮捕され、消えてゆきました。非情な現実をかみしめる日が増えてゆきます。それでも、カトリーヌは働きつづけました。空家同然になっている兄クリスチャンのアパートを拠点にして(仕事場にこもりきりだったクリスチャンは妹が自分の部屋を何に使ってるのか知りませんでした)、ゲシュタポが乗り込んで来る日まで。

口を割らなかったカトリーヌは獄中に捕われたまま、移送の日を迎えます。クリスチャンは顧客であるドイツ軍のつてをたよりに何とか逮捕された妹を救い出そうとしましたが、果たせませんでした。彼だけではありません。様々な人々が、ドイツへの移送を止めようとあらゆる手を尽くしました。刑務所から駅へ向かうバスを故障させたり、列車の走行を阻止する妨害工作もなされました。ついには中立国スウェーデンの領事ノルドリングが、パリ占領軍の指揮官コルテッツ将軍との交渉に成功し、フランス国内で捕われているユダヤ人、政治犯全員を解放し赤十字の保護下に置いてよいという約束を取り付けます。しかし、この取り決めがなされた時点で、貨物列車は国境を越えドイツ国内に入ってしまっていたのでした。クリスチャンは、無事を祈りひたすら待ち続けました。「妹さんは戻ってきます」という、千里眼の言葉だけを信じて。

カトリーヌは女囚専用の強制収容所レーゲンスブリュックへ送られ、兵器工場で働かされました。慢性的な飢え、伝染病が蔓延する劣悪な生活環境、そして常に死と隣り合わせでいることを強いられる目を覆いたくなるような日常を、彼女は生き延びます。幾つかの収容所を転々とした後、1945年5月に解放され、幸運にもパリに戻ることができたのです(あの夏の日に移送された2,457人の仲間達のうち、フランスへ帰ることができたのはわずか数百人でした。)。自分と年が変わらないほどに老けこみ、面やつれした12才下の妹を見たクリスチャンの胸中はどんなものだったでしょう。食料難の中苦労して手に入れた食材で兄がせっかく拵えてくれた大好物のチーズ・スフレにも手をつけられないほど、カトリーヌは衰弱していました。収容所での日々は、それほど過酷だったのです。

妹がドイツ軍に逆らい命を危険にさらす日々を送っていた頃、クリスチャンはある意味ドイツ軍に「仕えて」いました。占領後も営業を続けていた数少ないクチュリエ、ルシアン・ルロンに雇われ、デザイナーとして働いていたのです(同僚にはピエール・バルマンがいました)。ドレスのデザインは、30代も半ばを過ぎた彼がようやく見つけた、情熱を傾けられる仕事でした。それまでのクリスチャンは、流され漂う人生を生きてきたとも言えます。裕福なブルジョワ家庭の次男として何不自由なく育ち、息子を外交官にさせたい両親の意向で名門パリ政治学院に進学、その方面の勉強はしたものの芸術への志向はやみがたく挫折。少しでも美に関わる仕事をと友人と共同経営の画廊を開きますが、やがて訪れた世界大恐慌のせいで閉店に追い込まれ、実家は破産。精神的、経済的な支えを失い、友人の家を転々とする無為の日々を送りさえしました。戦争により兵役についたためせっかく掴んだ雇われデザイナーの職をいったん失ったクリスチャンにとって、ルロンの下で再びデザイナーとして働く事は糧を得る手段以上の大きな意味を持っていたのです。滅多にアパートに帰らず、アトリエに入り浸っていたという日常からも、その意気込みが伝わってきます。

一方、ドレスを作るということは顧客を喜ばせるという行為でもあります。ルロンの上得意は、ドイツ軍人の妻や娘、秘書たち、ドイツ軍の取り巻きとなったフランスの女達でした。パリにはドイツ軍を中心とする「社交界」があり、庶民が深刻な食糧難に苦しむ一方で戦前と変わらぬ豪勢な食を楽しむ華やかな宴が開かれていたのです。仕事と割り切っていたとは思うものの、クリスチャンが複雑な立場に置かれていたことは想像に難くありません―レジスタンスの妹がいる身としては余計に。(パリ解放の時、ドイツ軍将軍の秘書は、街角でつばをはきかけられたことを記憶しています。パリで誂えたスーツを汚したのは、その服の仮縫いをしたお針子だったそうです。)

もろもろの事情を抱えた兄が占領下のパリでしていたことは、無抵抗で消極的に見えます。しかし、現在の視点から見れば、クリスチャンの行為−フレンチ・モードのドレスを作り続けたこと―は、フランスの文化を守る静かな戦いであったと言えます。パリ陥落前から、ナチスはベルリンをヨーロッパのファッションの中心地にしようともくろんでいました。(ドイツ軍占領を見越して有名クチュリエのメゾンがいくつも閉じましたが、ナチスにとっては願ったり叶ったりなことだったのです。)しかし、妻や娘達、恋人のパリモードへの憧れを吹き消す事はできませんでした。かつてほどの華やかさ、活気はないものの、手の込んだ優雅なドレスは作り続けられ、より美しい一着を生み出す創造性と技術が守られ、結局ナチスのもくろみは頓挫したのです。

1945年、ドイツは降伏し、長い戦争はついに終わります。クリスチャンは独立し、“ニュー・ルック”を発表、戦後のフレンチ・モードの代名詞と呼ばれるまでに登り詰めてゆきます―戦争をともに生き延びた、フランスのファッション業界とともに。カトリーヌは、その戦時中の活動と犠牲により、フランス政府からいくつも勲章を授かりました(そのうちの一つは、戦場で大きな功績があった兵士だけに贈られる特別なものでした)。療養ののち、彼女はレジスタンス時代からの恋人と、花を扱う商売を始めます。世界のあちこちにあるフランス領の国々から届いた花を卸す仕事で、朝4時にはレ・アールの中央市場にある店を開け働く、静かな日々を送りました。仕事から離れてからも、花は常にカトリーヌのそばにありました。2008年に91才で亡くなりましたが、プロヴァンスにある自宅の庭は、丹精して育てたバラやジャスミンといったお気に入りの花で埋まっていたそうです。

*華やかな兄の世界には足を踏み入れなかったものの、カトリーヌはクリスチャンと親しい関係にありました。ディオールの定番の香水『ミス・ディオール』の名前は、クリスチャンがアトリエでスタッフと新しい香水の名前を考えていた時に、兄に会いにきたカトリーヌがひょいと顔をのぞかせたことから着想されたそうです。

*2013年、この香水にちなんだ展覧会が開かれました。レジスタンスの女性達をモチーフにした作品も展示されたそうです。会場の模様はこちらでどうぞ



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2016年03月27日

映画における不平等 - 「女性の年」と言われた今年のカンヌ映画祭

最近、「流行りの映画700本における不平等」という南カリフォルニア大学(USC)の研究レポートが話題になっていた。同大学には世界的に有名な映画学科があるが、2007年から2014年までの7年間に公開されたその年のトップ100の映画、合計700本を調査した。差別に関する興味深いデータをいくつか紹介すると、
□2007年〜2014年で、セリフのある役を演じた女性は、30.2%にしか満たない。
□2014年のトップ100本で主演もしくは共同主演した45歳以上の女優は皆無。その他の役で中年女性俳優が登場するのは19.9%。

つまり映画の中で女性は語る存在というよりは見られる存在で、しかも見られる存在は若い女性で、中年女性は映画から排除されているということだろうか。調査研究は、男女差別だけでなく、人種差別、性的マイノリティー差別など、多岐にわたって行われているが、それは今年のカンヌ映画祭で起こったことを否応無しに思い出させる。今年のカンヌも、これから日本にやってくるであろう、楽しみな作品が目白押しだったが、一方で、女性をめぐる問題や女性監督に焦点が当てられ、「今年は女性の年」と言われながらも、男性中心の映画界に対する女優や女性監督たちの異議申し立てが目立った。

女性の年?それとも女性差別?

カンヌ映画祭については、映画業界一般と同様に、これまでずっと男性が支配する世界だった。それゆえ、今年の公式セレクションが状況を少し切り開いたという安堵感があった。例えば、オープニング作品にエマニュエル・ベルコ監督の『スタンディング・トール Standing Tall 』が選ばれたが、女性監督作品がカンヌ開幕を飾ったのはカンヌ史上2回目のことだった。また、名誉パルム・ドールがアニエス・ヴァルダ監督に授与されたが、こちらは女性初だった。しかしベルコは、自分の作品がオープニングを飾ったことによって女性の権利が認められたと考えることを拒否した。「名誉なことは作品が選ばれたこと。このような名誉ある立場が女性に与えられたからといって、自分が恵まれているとは感じない」と。

コンペティション部門に、今年は2人の女性監督作品がノミネートされたが、とりわけ、レズビアンの抑圧された愛を描いたケイト・ブランシェト主演の『キャロル Carol 』は話題を集めた作品のひとつだった。アクション映画のジャンルでも、今日本でも上映され大人気の『マッドマックス 怒りのデス・ロード』でシャーリーズ・セロンが、麻薬組織との戦いを描いた『シカリオ Sicario 』ではエミリー・ブラントが、大活躍した。

しかし女性たちは「女性の年」と言われることに、いらだちを隠さなかった。「今年は女性の年だそうだけれど、1年限りの瞬間的ブームで終わらないことを願う」と、ブランシェットは記者会見でコメント。ブランシェットは、 2015年にもなっていまだにこうした問題が議論されるのは頭に来ると述べつつ、「これ以上議論されることを望まない。でも、議論する必要のある問題だ」と語った。

初監督作品『A Tale of Love and Darkness』のプロモーションでコート・ダジュールをかけずり回っていたオスカー女優、ナタリー・ポートマンは、女性が中心となって制作した作品は今なお「虚栄心のプロジェクト」‘vanity projects’ として片付けられてしまうと言った。ポートマンは「子供の頃、バーブラ・ストライサンドが自ら出演する作品を制作すると、人々がそれは虚栄心だ、虚栄心を満たすだけの作品だ、と言われていたことを思い出す」と語り、女性監督がわずかしか作品を撮っていないハリウッドの映画業界は「極めてアンバランス」だと批判した。

実際に数字を見てみよう。女性監督が全く含まれない状況も珍しくない今年のコンペティション部門には、2人の女性監督作品がノミネートされた。去年はどうだったか。コンペティション部門の18作品でも、女性は日本の河瀬直美監督(『2つ目の窓』)とイタリアのアリーチェ・ロルヴァケル監督(『ル・メラビジル Le Meraviglie』)の2人のみだった。2013年は1人、2012年はゼロだった。また去年カンヌに出品された1800作品全体でも、女性監督が手掛けた作品は7%だけだった。

今年のカンヌ映画祭のトークイベントで明らかにされたデータによると、昨年アメリカの大手映画会社が制作した映画のうち女性監督作品はわずか4.6%で、今年のアカデミー賞で最優秀作品賞にノミネートされた映画に女性主人公の作品は1本もなかった。また、昨年の米映画の興行成績トップ250作品のうち女性監督によるものはわずか6%で、1998年の9%かららに減っているという。

実はジェーン・カンピオンが審査員長を務めた去年のカンヌでも同じような議論があった。カンピオンは映画業界でトップを担う女性が少なく、それは業界「特有の性差別 ‘inherent sexism’」のためだと批判した。カンピオンは、パルム・ドールの受賞経験(1993年の『ピアノ・レッスン The Piano 』)がある唯一の女性監督であり、アカデミー賞でも監督賞にノミネートされた4人の女性監督の1人である。カンピオン監督の最新作は、テレビのミニシリーズ『トップ・オブ・ザ・レイク Top of the Lake 』で、故郷に帰った女性捜査官が児童虐待事件の捜査に関わっていくというストーリー。高視聴率を取り、賞もいくつか受賞している。

カンピオンは去年、「どれだけ経っても私たち(=女性)には取り分は回ってこない」と発言し、また「強い女性的な視点 a strong female vision 」を提示しただけで、それは驚きになってしまうと付け加えていた。つまりは、女性が映画を撮り、女性の視点を前面に出すことは特異なことになっていると。そのようなカンピオンの発言に対して、映画祭の主催者は、問題は認識している、しかし、作品の純粋な評価以外に別の要素を加えるならば、それはかえって女性監督たちに対する侮辱に当たるのではないかと反論した。主催者の発言は「作品の純粋な評価」と言われているものが、実は恣意的な前提に立つものだということを理解しておらず、評価の枠組み自体を全く疑っていない。

カンヌ映画祭のハイヒール論争

また今年のカンヌでは「ハイヒール論争」も巻き起こった。こちらは古臭いドレスコードに対する異議申し立てである。発端は映画情報サイト「スクリーン・デイリー」の記事によると、「キャロル」の上映会に出席しようとした50代の女性グループが、「ふさわしい靴に履き替えてくるように」と係員に言われ、入場を拒否されたという目撃証言があった。脚が不自由で平らな靴を履いていた女性もいたという。これに対して、エイミー・ワインハウスのドキュメンタリー映画でカンヌに参加したアシフ・カパディア監督が、ツイッターで「妻にも同じことが起きた(でも最後には参加できた)」というツィートが拡散した。監督や俳優/女優の、個々のツイートによる拡散の方が早くて、映画祭の主催者側の対応が常に後手に回るというのが近年の傾向のようだ。メディアだけを相手にするのならば、ある程度、情報を統制できるだろうが、SNSによる情報拡散は問題を即座に顕在化させてしまう。

カンヌ関係者は当初、「レッドカーペットでは女性はドレスにハイヒール、男性はタキシードの正装を義務付けている」と、ドレスコートの存在を認めていたが、ネット上で予想外の批判が噴出したことから、映画祭責任者のティエリー・フレモーはツイッターで「ハイヒールを義務付けているというのは根拠のない噂だ」とそれを否定した。しかし、すでに手遅れで、エミリー・ブラントが作品上映後の会見で、この件について意見を求められ、「とても残念。正直言うと、みんなフラットシューズを履くべきで、ハイヒールなんか履くべきじゃないと思う。私はコンバースのスニーカーの方が好き」と発言した。さらにイネス・ド・ラ・フレサンジュは「マッドマックス 怒りのデス・ロード」の上映会でレッドカーペットにフラットシューズで登場。イザベラ・ロッセリーニやサマンサ・ ベインズも追随し、ベインズはツイッターに「フラットシューズでレッドカーペットを歩くのはとっても楽しい」と投稿した。一方でカンヌではデビューしたての女優がカメラの前でセクシーポーズをとって自分を売り出す習慣があるし(写真上)、レッドカーペットを闊歩する女優たちのセクシーなドレスが話題になる(今年もソフィー・マルソーの〇〇が見えたと大騒ぎ)。

冒頭でも述べたが「流行りの映画700本における不平等」のデータによれば、映画に登場する女性は多くの場合、鑑賞される存在、男性の欲望の対象でしかないということになる。女性たちが男性の作った作品を喜んで見るのは、女性たちが男性の欲望を内面化しているからなのだろうか。それとも女性にはそれ以外の選択がないからだろうか。あまりにマッチョな場面に遭遇して(それを批判的に描いていたとしても)女性が不快になることは想像できるし、男女のあまりに固定化した役割や行動パターンに興ざめする経験は男性の側にも多々ある。女性たちが女性をとらえる新たな視点や枠組みの面白さに気がつき、また男性たちも、従来の境界のあいだを揺れ動き、攪乱するような固有の生き様に共感を始めれば、マッチョな作品をボイコットする突破口になるのかもしれない。グザヴィエ・ドランなんかの人気もそこにあるのだろう。

映画がリアルタイムの現実を反映し、多様なものになって行かざるをえないとすれば、映画を評価する人々は真っ先にそういう問題に敏感でなければいけないはずだ。しかし映画祭がそのような映画を批評する視点と力量をもたないとすれば、多様な現実を見せるという映画の役割に水を差すことになる。
現状を変えるのは経済の力?

一方で、メキシコの女優&プロデュサー、サルマ・ハエック Salma Hayek は経済的なインセンティブを強調していた。ハエックはカンヌで次のような発言をした。「私たちのできる唯一のことは、私たち(=女性)に経済的な力 an economic force があることを示すことです。それ以外に彼らを動かすことはできないでしょう。彼らはお金を見たとたんに即座に態度を変えますから」

女性ではないが、ある経済番組でLGBT(レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー)のマーケットとしての可能性ついて特集していた(テレビ東京WBS特集「 声を上げる同性愛者」)。日本でも10人に1人は LGBT で、日本だけでもその市場規模は5.7兆円と試算されているらしい。LGBT の人々の生活習慣に根差した新しい需要を掘り起こそうというわけだ。例えば、同性カップルは従来の家族の定義には当てはまらないので、スマフォの家族割引を適用しない通信会社があるのだという。また同性カップルは賃貸住宅の入居さえも断られることもあるし、2人で住宅ローンを組むこともできない。このような不都合を解消していくことがマーケットを生み出すことになる。また、任天堂が作った家族ゲームが LGBT を排除していたことで、アメリカで社会問題化し、任天堂は謝罪に追い込まれた。つまり LGBT に対応しないことが、今やグローバル企業の大きなリスクになっている。番組ではソニーの幹部が LGBT を支援する NGO の主催者からレクチャーを受けていたが、そうやってまず消費者との関係において企業が動く。それが社会的な認知度を高め、最終的に政治も動かざるをえなくなる。

映画作品の中で LGBTQ(LGBT+ジェンダークィア)が占める割合も低く、2014年に公開された映画トップ100本の4610人のキャラクターの内、19人だけがレズビアン、ゲイ、バイセクシャル(トランスジェンターは無し)と確認されたそうだ。約0.4%である。先の10人に1人という割合からかけ離れた数字だ。世論調査によるとアメリカ人の3.5%がLGBTで(ミレニアル世代に限れば7%)、アメリカの人の20%が同性に魅力を感じたことがあるという。このような欲望や感受性を表現する余地はまだまだあるだろう。「流行りの映画700本における不平等」で白人男性中心主義で邁進していることが暴露されてしまったハリウッド映画は、一般公開まで試写会を重ね、観客の反応に対して徹底したリサーチを行い、場合によってはストーリーの変更も辞さないようだ。それが「我々は観衆の欲望を代弁している」という口実を与えているのだろうか。

最近、映画「007」シリーズの主人公ジェームズ・ボンドを演じたピアース・ブロスナンの「次期ボンドは黒人か同性愛者でも良い」というリベラルな発言があったが、一方で、映画がグローバル化し、イスラム教徒の人たちもハリウッド映画を見るようになった。つまりイスラム圏という新しいマーケットが意識されるようになったわけだが、その際、同性愛を禁じているイスラム教を信仰する人たちに配慮する必要も出てきたと言う。グローバル化が必ずしも多様性に行きつかない現象だ。

カンヌだけでなく、ハリウッドでも2015年は「女性の年」と言われていて、女性の主人公がストーリーを引っ張る作品が人気があるという。そのような作品は多くの女性客を呼び寄せ、今年のヒット作品『Cinderella』『Fifty Shades of Grey』『Insurgent』の観客の60%以上が女性なのだという。また家族客という枠組み(家庭でのDVD鑑賞も含め)も今年の映画において重要なファクターになっているようだ。

この文章は以下の記事を参照した。
□Inequality in 70 0 Popular Films(August 6 2015, USC)
□Cannes stars reject patronising 'Year of Women' tag(May 19 2015, AFP)
□「女性監督が少なすぎ、映画界は男性社会」カンヌ審査員長(2014年5月16日、AFP)

※(初出2015年8月23日):アカデミー賞では2015年から「白すぎるオスカー」が問題になっている。2015年のアカデミー賞授賞式で、ジョージ・クルーニーを含む複数の俳優が「会場が真っ白」などと、アメリカの映画界が未だ白人至上主義であることをジョークを交えて批判した。その傾向は2016年も変わらず、ノミネーションにおいて、2年連続で俳優部門20枠を白人が占めたことで議論が勃発した。スパイク・リー監督や、ウィル・スミス夫妻らが授賞式の欠席を表明し、アカデミー賞を主催する映画芸術科学アカデミーが会員ルールの変更を発表する事態となった。


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2016年03月10日

『「ポッキー」はなぜフランス人に愛されるのか?』

「ポッキー」はなぜフランス人に愛されるのか? 海外で成功するローカライズ・マーケティングの秘訣あまりにも身近にありすぎて、私たち日本人が当たり前だと思っている日本のスナック菓子の味のクオリティー。パッケージなどに凝らされている様々な工夫。これらは世界のマーケットでも十分通用するもので、すでに多くの国のスーパーで売り上げをのばしています。台湾のコンビニなどは、日本のスナック菓子で席巻されているといいます。先日、フランスからやってきた若い友人たちはお土産に抹茶味のキットカットを買い求めていました。ピンポイントな好みに対応できる多様性と、買ってみたくなる意外性も日本のスナック菓子の魅力につけ加えることができるでしょう。

副題の「海外で成功するローカライズ・マーケティングの秘訣」にあるように、スナック菓子の開発の担当者たちは、進出した国に最適化するためにどのような努力をしているのでしょうか。本書は業界関係者向けではないので、海外と日本の食品関連規制の違いが生む問題や、流通ルートなど専門的な知識には踏み込んでいませんが、海外市場開拓に活路を見出す日本のお菓子業界の勢いを目の当たりにすることができます。

「ポッキーはなぜフランス人に愛されるのか?」というタイトルが付いていますが、この本ではフランスだけでなく世界各国のスナック菓子事情が扱われています。しかしマーケッティング的には、ポッキーは他ならぬ文化国フランスで愛されていることが重要なのでしょう。

フランスにおける「ポッキー」にフォーカスしてみましょう。フランスで「ポッキー」がヒットした理由は、まずその形状にあります。ポッキーの特徴は、手で持つところがあり、食べているときに手が汚れないこと。食べながらおしゃべりできることです。忙しい日本では「電話で人としゃべりながら」「原稿を書きながら」ということになるのですが、時間のゆとりを好むフランスでは別の楽しみ方はあるような気がします。フランスではしばしば自宅に友人を招いて食事をしますが、食事の前のアペリティフにちょっとしたスナックを供し、それを食べながらおしゃべりに興じます。このようなニーズにも、ポッキーの特徴がはまったのでしょう。同じ「ながら食べ」でもその国の文化や習慣に寄り添う形で浸透するのです。

実はフランスのポッキーはミカドという名前で売られています。私はずっと、「日本といえば帝=ミカド」という安易な連想で名前が付いたのだと思っていました。しかし、ヨーロッパにミカドという中国発祥のポピュラーなゲームがあり、細い棒を使って遊ぶのですが、ポッキーの形態はそれに酷似しています。おそらくこちらが名前の由来なのでしょうが、ミカドのパッケージの日の丸っぽいイメージを考慮すると前者の線も捨てきれません。

そして著者が言うには、「フランス版ポッキー=ミカドは、成熟した大人の味」だそうです。そう言われて思い出すのが、フランスでよく見たミカドの CM です。ミカドの初期の CM はオフィスを舞台にしており、日本人らしき上司と OL が淫靡な雰囲気を漂わせる「コピーする女 copieuse 」や、ディスクワーク中の男女がミカドを使ってエッチなやりとりをするシーンなど、子供には決して見せられない悪趣味なレベルに達しています(youtube にいくつかアップされているので探してみてください)。これもフランスの恋愛文化をなぞっているのでしょうか(笑)。

もちろん「ポッキー」はフランスだけでなく、グローバルに展開しています。「ポッキー」をグローバルブランドに育成するのに、まず攻略すべき地域であったという ASEAN では、ネーミングは「ポッキー」に統一されたそうですが、当初マレーシアでは「ポッキー」の音がイスラム教の禁忌である豚肉「ポーク」に聞こえるという理由から「ロッキー」にしていたそうです。

このようにネーミングひとつとっても、その国の人が想起する独特のイメージがあり、それが直接売り上げに影響します。ただ良いものを造れば売れる訳ではないところが世界展開の興味深いところであり、難しいところでもあります。商売を成功させるためには、その国の商習慣といった経済面だけなく、その国の言語や文化(生活習慣)を学ぶ事が重要だということでしょう。そのためには自分の国の文化とは異なる文化を尊重する気持ちが必要なのでしょう。

日本とは違って、働く世代の割合が増え、人口ボーナス期に入る新興国は海外にまだまだあります。これは食品の分野に限りませんが、日本企業はこうした戦略によって、日本の縮小していく国内市場の売り上げをカバーしようとしているわけです。日本企業が海外に直接投資し、多国籍化せざるを得ない事情も見えてくるでしょう。だから日本企業に就職する場合でも、もはやそのような問題意識と無縁でいられないのです。

まさに『セカ就!』(=世界で就職)のこの一節を思い起こさせました。

「同じことを伝えるのでも、国ごとに伝え方は全然違う。アメリカ留学のときに苦労して身につけた「グローバルスタンダード」は、実はただの「アメリカ流」でしかないことに気がついたのは大きな収穫だった。世界には無数の「○○流」があり、相手の作法に合わせて伝え方をちょっと変えるだけで、話はスムーズに運ぶし、相手から信頼もされる。」

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2016年03月08日

週刊フランス情報 FEVRIER 22 - MARS 6

国がEU離脱なら、仏から移民流入させる─仏経済相=FT(ロイター):マクロン経済相は、英国が6月の国民投票の結果、欧州連合から離脱するならば、フランスから英国への移民流入を食い止めていた国境管理をやめると警告した。
仏カレー難民キャンプの解体防げ、英俳優J・ロウさんら立ち上がる(AFP):仏北部カレー郊外にある大規模な移民キャンプ、通称「ジャングル」で難民たちが立ち退きを迫られている窮状を広く知ってもらおうとジュード・ロウさんがキャンプ内で公演。
立ち乗り10ユーロ、「LCC弾丸列車」の衝撃 価格破壊は日本の鉄道会社にも波及するか(東洋経済):この春、パリ―ブリュッセル間に、格安料金の高速鉄道列車がお目見え。立ったまま乗車すれば、料金は10ユーロ(約1240円)。★…タリスと言えば、去年、テロ未遂があった線であるが。

CINEMA
異人種間結婚多いフランス「多様性ゆえに国が豊か」 映画「最高の花婿」のショーヴロン監督に聞く(Huffpost):フランス西部のロワール地方に暮らすヴェルヌイユ夫妻は、3人の娘たちがそれぞれアラブ人、ユダヤ人、中国人と国際結婚…
César 2016 : "Fatima", Vincent Lindon et Catherine Frot...(culturebox):2016年のセザール賞:最優秀作品賞に「ファティマ」、最優秀女優賞に「偉大なるマルグリット」のカトリーヌ・フロ、最優秀監督賞に「あの頃エッフェル塔の下で」
Meilleur film : "Fatima" de Philippe Faucon
Meilleure actrice : Catherine Frot - "Marguerite"
Meilleur acteur : Vincent Lindon - "La loi du marché"
Meilleure réalisation : Arnaud Desplechin pour "Trois souvenirs de ma jeunesse"
Meilleur film étranger : "Birdman" d'Alejandro González Iñárritu
映画『偉大なるマルグリット』衣裳展が開催中。1920年代フランスの豪華絢爛な空間へトリップ!(T-SITE):壊滅的な音痴でありながら音楽を愛し、夫を愛するマルグリットの数奇な運命を描く。
アカデミー賞で話題の人種問題、仏では昨今のヒット作のテーマ(映画.com):南仏のブルジョワ家庭の4人姉妹がアラブ人、ユダヤ人、中国人、黒人と結婚する「最高の花婿」、オマール・シー主演の19世紀の実在の黒人道化師を描いた「ショコラ」

YOKAINOSHIMAWILDER MANN (ワイルドマン)

EXPOSITION
ポンピドゥー・センター所蔵作品から近現代美術を紐解く『傑作展』(CINRA):6月11日から東京・上野の東京都美術館で。同展は、フランス・パリの総合文化施設「ポンピドゥー・センター」の所蔵作品を紹介する展覧会。1906年から1977年までの1年ごとに1つの作品を選出し…
仏写真家が日本の伝統や奇祭を写した写真展が銀座メゾンエルメス フォーラムで開催(WDD):銀座メゾンエルメス フォーラムは5月15日まで、フランスの写真家シャルル・フレジェの展覧会「ヨウカイノシマ(YOKAINOSHIMA)」を開催している。2013年1月の初来日以降、3年間かけて日本全国58カ所の伝統的な仮面神や鬼、祭りの際に着用する装束を撮影した写真をメーンに展示するもの。同氏の近年の代表作で、ヨーロッパの伝統的な祝祭の儀式で登場する「獣人(ワイルドマン)」の姿を撮影した「ワイルダーマン」シリーズも展示している。

LIVRES
新刊『近代日本とフランス象徴主義』(水声社):私を含め、FBNのライターが3人書いています!

MUSIQUE
Il y a 25 ans disparaissait Serge Gainsbourg (culturebox):セルジュ・ゲンスブールが亡くなって25年。多くのメディアが彼のことを取り上げる。命日は3月2日。


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2016年03月03日

En Chantant 新星ルアンヌ・エメラの「歌い直し」

夢見るルアンヌフランスで旋風を巻き起こしている歌手がいます。ルアンヌ・エメラ。18才、天涯孤独の身の上。笑顔がチャーミングな、健康的な Girl Next Door。テレビの勝ち抜きオーディション番組でセミファイナリストになった時に見いだされ、演技経験はゼロながら映画 ”La Famille Bélier” に出演。耳の不自由な家族の中ただ一人健常者である歌手志望の娘を熱演し、映画は大ヒット、彼女自身もセザール賞の新人賞を獲得。満を持して発表したファースト・アルバムもフランス国内チャートで1位を獲得、と、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いのニュー・スターなのです。

Chambre 12 強い、のびやかな声の持ち主で、タワレコのフランス・コーナーに並んでいる作品群の歌声とは一線を画しています。ファースト・アルバムに納められている曲も、アメリカやUKのチャート上位にいるガール・ポップと「違い」を感じません。コトバがフランス語なだけで、こだわりの洋楽派でなければ抵抗なく受け入れてしまいそう。「Made in France」というラベルなしでも、世界のあちこちでエアプレイされる可能性を持つ歌声が、国内からひょっこりでてきたということもウケている理由かもしれません。

しかしここまでの熱狂をルアンヌ嬢が引き起こしたのは、ホコリにまみれていた往年のフランス産ポップスをカバーしたことにあるようです。出演した映画では70年代フランスで一世を風靡した歌手、ミシェル・サルドゥのヒット曲がいくつも使われていて、ルアンヌもピアノ伴奏のみといった簡素なセットで歌っています。歌詞が映画のストーリーと呼応して感動を呼ぶところもあるのだけれど、この「歌い直し」がとても新鮮だったのです。

例えば、映画の主題歌ともいえる”Je Vole”。センチなメロディーがあの当時の男性歌手にありがちな堂々とした調子で歌われ、「語り」が半分ぐらいを占めるという、いかにもフランスなドラマチックな仕立てなのがオリジナル。

ルアンヌはオリジナルの大げさなな部分を削ぎ落とし、大スターへのリスペクトうんぬんもどこかに置いて、自分の声いっぽんだけで向き合いました。曇りのない声質を最大限に活かし自分らしく素直に歌って、説得力のある歌に生まれ変わらせたのです。ルアンヌの歌のおかげで、フランスは、サルドゥに代表される良くも悪くもこの国らしいポップ・ミュージックを様々な形で楽しんでいるようです。華やかなりし頃をリアルタイムで経験した人々は今の歌い手の解釈の違いや、蘇った歌そのものにときめいている。懐メロとしてしかサルドゥをしらない世代は、今まで経験したことのないフランス産のメロディーとの出会いを楽しんでいる…。

個人的には、ルアンヌの歌い方が今のフランスを写しているようで興味深い。小さい頃からR&B主体のアメリカのヒットチャートの音楽があってビヨンセがアイドル、な普通のフレンチ・ユースのリアルな姿が見えるのです。湿り気を嫌うヒップホップを浴びて育った世代から、甘さはあっても泣き濡れていたりしない新しいフランスのポップ・ミュージックが生まれてくるように思います―好き嫌いは別にして。
 日本のフレンチ党のみなさんはどんな印象をもつのでしょう?サルドゥ氏、歌の題材のチョイスでしばしば物議をかもし左岸派びいきからは眉をしかめられる存在だそうですが。

聴いてみたい方はこちらからどうぞ。
https://youtu.be/McF-ZsJi9Qo

ミシェル・サルドゥ―のオリジナルはこちら。
https://youtu.be/y9vrFrtbzLs

映画で使われているサルドゥの曲をもうひとつ。アメリカの人気ドラマ『glee』ではありませんが、オリジナルが放っている時代や背景といった臭気をとっぱらって素直な歌声で歌を蘇らせるという試みが、上手くいっていると思います。ルアンヌのフランス語の息づかいがリアル。
https://youtu.be/-er9ZsnXYkk

オリジナルはこちら。むむむ…
https://youtu.be/2Bv1S2wKxlE

サルドゥの代表曲 ”La Maladie d’amour” は若い頃の沢田研二が全く違う内容の日本語詞を付けてカバーしてます(『愛の出帆』)。こちらは、本家よりおすすめ。

ちなみに映画 ”La Famille Bélier” は、『エール!』という邦題で全国の映画館で封切られるようです。(先月開催されたフランス映画祭2015のオープニングを飾り、観客賞を受賞しました!)


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2016年02月23日

週刊フランス情報 15 - 21 FEVRIER

イダルゴ・パリ市長来日(時事):パリのイダルゴ市長は19日、2月29日から3月2日の日程で日本を訪問すると発表した。昨年11月のパリ同時テロを受けて、日本からの観光客は急減。市長自ら街の魅力を発信し、底上げを目指す。
EAGLES OF DEATH METALがパリで再びコンサート(culturebox):France2の午後8時のニュースを見ていたら「EDMが今パリのオランピア劇場で厳戒態勢で演奏中」と報じていた。去年の11月のテロから3カ月ぶりのパリでの演奏。EDMはバタクラン劇場の惨劇を生き残った人たちを招待。カウンセラーが付き添ったり、あの日を克服するセラピー的なコンサートになった。
難民問題で揺らぐ「シェンゲン協定」 廃止なら欧州にどんな影響がある?(ThePage):シェンゲン協定は締約国間でのヒトの自由な移動を保障するもので、ヨーロッパ統合の一つの要。その協定が崩壊の危機。きっかけはシリア難民の大規模な流入。
南仏ニース・カーニバル華やかに開幕、今年のテーマは「メディア王」(AFP):パレードにはベルルスコーニ元伊首相やドミニク・ストロスカーンIMF前専務理事をモチーフにした山車などが登場。
おひとりさまフランス人記者が東京で「はしご酒」に挑戦 (クーリエジャポン+Liberation):一人で酒場に入って飲むことは、フランスではあまりよく思われない。酒を飲むことは、本質的に社交的な行為とされているからだ…

薔薇の名前〈上〉プラハの墓地 (海外文学セレクション)服従

LIVRES
ウンベルト・エーコ氏死去、イタリアの作家 84歳(AFP):ベストセラー小説「薔薇の名前」で知られる哲学者。「薔薇の名前は」はショーン・コネリー主演で映画化もされた。エーコの新刊小説『プラハの墓地』がちょうど22日に日本で発売されるところだった。
Michel Houellebecq est l'auteur francophone le plus lu en 2015:ミシェル・ウエルベックが2015年で最も読まれたフランス語圏の作家に。
命の危険もある「スタンダール症候群=美容室脳卒中症候群」とは?(ヘルスプレス):シャンプーの最中に頭痛や吐き気がしたら要注意。1817年、フランスの作家スタンダールは、フィレンツェのサンタ・クローチェ聖堂を訪ねた。ジョットのフレスコ画を見上げた時に、至福感と激しい動悸に突然襲われた。その卒倒寸前になった恐怖を『イタリア紀行』に残している。1989年、イタリアの心理学者グラツィエラ・マゲリーニは、多くの外国人観光客が崇高な充実感とともに、強い動悸、目まい、圧迫感などの症状を現したことから、スタンダール症候群と命名した。★…文学的霊感も実はこういう原因だったりする。

CINEMA
彼は秘密の女ともだち [Blu-ray]パルムドール受賞作『ディーパンの闘い』“仏テロ事件後であれば作らなかった”(webdice):映画は現実をなぞるものではない―オディアール監督が演出法と哲学を語る。オディアール監督は、現在ヨーロッパで議論を呼んでいる人種・宗教・移民問題をベースに、これまでの作品でも一貫してモチーフとしてきた人間の本能、動物的な衝動をディーパンの姿を通して描いている。
M・ストリープさん、白人男性中心の映画制作業界を批判(AFP):ベルリンで開催中の第66回ベルリン国際映画祭で行った若手俳優向けの講演で、米映画制作各社の重役から白人男性が減らない限りハリウッドの多様性をめぐる問題は解決できないと。
[新作DVD]『彼は秘密の女ともだち』フランソワ・オゾン監督ロマン・デュリス、アナイス・ドゥムースティエ主演。2月17日発売。

EXPOSITION
シャネルやディオールのオートクチュールドレス集結、仏展覧会が上陸(cinra):『PARIS オートクチュール―世界に一つだけの服』が、3月4日から東京・丸の内の三菱一号館美術館で開催。
La Villa Vassilieff :モンパルナスのアーティストたちの新しい楽園(culturebox):ロシアの画家 Marie Vassilieff の元アトリエがアーティストたちの展示室と住居を兼ねた新しい文化空間に。

SPORT
五郎丸、フランス強豪トゥーロンと2年契約か、現地テレビで報道(スポニチ):仏テレビ局「カナル・プラス」は14日、同国のラグビーのプロリーグ「トップ14」の強豪トゥーロンが、日本代表FBの五郎丸歩と2年契約を結んだと報じた。


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posted by cyberbloom at 23:52 | パリ ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | 週刊フランス情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする