2018年06月16日

異色の伝記映画『ザ・ダンサー』

伝記映画をつい見てしまうのはどうしてだろう。絵になる逸話がつまっている、取り上げられた人物がすこぶる魅力的、等あるけれど、知識のレベルで知っている栄光、栄華が追体験できるからかもしれない。

ただヒーロー、ヒロインが歌舞音曲の世界の人であると、栄光を可視化するのはなかなか難しい。スポーツ選手なら記録を達成する過程や、伝説の試合の再現でその人に対する世間の熱狂を無理なく説明することができる。しかし歌や踊りのすばらしさや衝撃は、観客のリアクションを描くことでしか表現できない。だから見ていてもやもやした気分に陥ることも少なくなかったりする。なぜそのパフォーマンスにそんなにまで感激するのか、自分の五感では納得できなかったからだ。



そんな高いハードルに挑む伝記映画が登場した。取り上げたのは19世紀末のパリでユニークなサーベンタイン・ダンスを披露し一世を風靡したアメリカ人女性、ロイ・フラー。残されたモノクロの映像や写真からはその凄さがわからない有名人でもある。個人的にはロートレックの絵でその名に馴染みはあるものの、彼が好んで描いた踊り子達と違って、彼女の何が絵描きのアンリさんの筆を取らせたのか謎だった。存在したのは明らかなのだがそれがどんなものかわからない、ジグソーパズルから欠け落ちたピースの穴のような存在。

この映画の作り手は、思い切った手に打って出た。興味深い枝葉(舞台照明に関係する化学薬品系発明を行ったりキュリー夫妻とも交流したリケ女の一面、ルーマニア王室との親密な交際など)はばっさり落とし、花形文化人との華麗な交遊もカット。一点だけに焦点を絞った。まずダンス・パフォーマンスありき。ヒロイン像は踊ることを巡るストーリーでのみ描けばよい。結果として、浮かび上がったのが己が信じる美に奉じるストイックで不器用な「アート女子」としてのロイ・フラーだ。

女優を夢見る山出しで変わり者のヤンキー・ガールは、舞台での失敗をヒントに誰も思いつかなかった「ダンス」を創作し、彼女の美をわかってくれる場を求めて盗んだ金で大西洋を渡る。このとき25才。パリの興行主の目から見ればとうが経ちすぎた新人芸人。しかもその出し物はこれをダンスと呼べるのかという代物だ。

真っ白なシーツから顔を出したような衣装に身を包み、腕に仕込んだ竹の棒で袖がずりおちないようしっかり固定し、色を変えてゆく投光器の光を全身に浴びながら音楽にあわせて旋回する。上下左右斜めと両腕を振り回し長い袖の長いドレープをはためかせ、ひたすらぐるぐるぐるぐる。踊りというより体操のようだ。尻込む回りをよそに、ロイは寝食を忘れ初演を目指しひたすら手直しにいそしむ。衣装の色を微妙に染め直し、体の動きを試行錯誤し、練習に励む。全ては、舞台の上で最高の効果を上げるため。私の思い描いた美しいヴィジョンを観客の前に現すため―。この成功一歩手前の場面が全篇の中で特にわくわくさせられるところだ。初舞台を終え、暑さと体力の消耗で衣装の襞に埋まるように倒れ込むロイの横顔は美しい。

名声と金を手にし、したいことができる身となったロイは、望みを次々かなえてゆく。稽古場を手に入れ、後のモダンダンスに通じるような自由な動きで舞う女性舞踊団を設立、彼女の考える美を共に探求する仲間を育てようとする。孤独に生きてきた彼女がとうとう手に入れた「私の居場所」だった。しかし、成功は激しい消耗と肉体の酷使が続くことを意味した。ステージをこなす度に腕も腰も、熱と強烈な光に曝される目も痛めつけられる。痛みをごまかすために氷の塊を抱き、黒眼鏡で過ごす生活を余儀なくされ、美の殿堂オペラ座からオファーが来たときには体の悲鳴は押し殺すことができないほど大きくなっていた。

そして満足に踊れなくなったロイと入れ替わるように、洗練された容姿とギミックなしのナチュラルなダンスを売り物にする踊る若いアメリカ人が登場し、世間の関心は新しいスターへ移って行く。その人、イサドラ・ダンカンは、ロイの庇護を受けていたダンサーだった。新しいスターを見守るかわいそうなヒロイン―伝記映画ではよくあるパターンはここでも描かれている。

が、それだけでおわらせないのがこの映画。最大の見せ場はなんといっても完全に再現されたロイ・フラーの舞台だ。闇の中から様々な色の光を浴びて浮かび上がる彼女の舞は、息を飲むほどに美しい。ゆらめくドレープの波はまさに変幻自在、CGの派手な人工ファンタジーに食傷した目もこれにはびっくり。当時の人が賞賛した通り、まさに「夢の花」なんである。100年以上前の観客と同じ興奮をわかちあい、本気でロイ・フラーに拍手すことができるなんて!まさに、映画ならではのモーメント。この数分間にだけでも大人一枚のお金を払う価値あり。

今回の再現が実現できたのは、ロイ・フラーがこの夢のひとときのからくりの一部を明確な文章にし、特許を取っていたからだ。裸足の舞姫イサドラ・ダンカンの踊りがモノクロの写真やフィルムでしか拝むことができず、何が人々を熱狂させたのかおぼつかないのと対称的だ。自分一代だけのものとして仕舞い込まず、後の世の人とも美の体験を分かち合おうとしたロイ・フラーのユニークさに敬服する。

全体にヨーロッパ調耽美趣味に流れ過ぎ、わけがわからなくなってしまうのがこの映画の泣き所。タフなダンス・パフォーマンスも込みで揺れ動くロイ・フラーを骨太に演じきったソーコ(綴りはSoko、本名ステファニー・ソコリンスキ。シンガーが本業)の存在なしには成立しえなかったのではないか。ギャスパー・ウリエル演じる没落貴族のねっちょりとした存在感も好き嫌いがわかれるところ。イサドラ・ダンカンを演じたリリー・ローズ・デップはご愛嬌という感じだ。

意外な拾い物は、駆け出しのころからロイを支えた女性、ガブリエルを演じたメラニー・ティエリー。演技もさることながら、当時の男前な女性の魅力を物腰やしぐさのレベルでも見せてくれる(煙草のくわえ方なぞかっこいい)。長いスカートとコルセットの時代の働く女の衣装を颯爽と着こなし、ファッションに関心のある向きも満足されるのでは。久しぶりにフランス女性の繊細な美しさを堪能した。

トレイラーはこちらで見れます。
https://youtu.be/D2Io9hEl7TA



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posted by cyberbloom at 01:04 | パリ | Comment(0) | 日本と世界の映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2018年05月28日

オリヴィエ・アサイヤス 『パーソナル・ショッパー』

パーソナル・ショッパーは公に認知された仕事ではない。服を買う暇がないほど忙しいセレブの代わりに服を買い付けるプライベートな仕事だ。パトロンには自分のセンスを買われたわけだが、公に評価されるわけではない。その服を自分で身に着け、注目を浴びるわけでもない。華やかな世界だけに不満も鬱積しそうなのは想像に難くない。その陰のある女性、モウリーンをアメリカの女優、クリステン・ステュアートが魅力的に演じている。



「この物語の舞台に、ファッション業界を選んだのは、この業界以上に物質主義的な世界はない…そこで私は、そこに取り込まれながら、そこから逃げ出そうとする人物に惹かれていきました。そして見えないものの中に、救いを何とか探し出す人間を描きたいと思いました。見えないものの中に…」

オリビエ・アサイヤス監督本人がこのように言っているが、主人公のモウリーンはその「見えないもの」との未知のコミュニケーションを模索する。死んだ双子の兄のルイスは生前、死んだ後にサインを送るとモウリーンに約束したが、それは内容よりも、どのような形で伝えるかという問題だった。モウリーンは兄からのサインを待ち続けているがゆえに、まんまとなりすまされる。ルイスは文字などという安易な形でサインを送るはずがないと気づくべきだった。スマートフォンの快楽とは何だろうか。それはすぐに情報が引き出せること、すぐに返事が返ってくることである。つまり欲望が満たされるスピードだ。モウリーンはいつ来るかもどんな形で来るかもわからないサインを待ち続けているがゆえに、なりすまし男の「即答性」の餌食になる。

「私たちはこのようなコミュニケーション方法の人質になっています。時にはコミュニケーション・ツールが私たちをコントロールさえする」とアヤイヤスは言い、「中間者こそが力を持つ。媒介作用こそがメッセージの性質を決定づけ、関係性が存在よりも優位に立つ」とメディオロジストのレジス・ドブレは言う。重要な指摘であり、忠告だ。

私たちは同時に、なりすまされてもわからない、どこからか届いたのかもわからないメッセージを真に受けてしまうような、寒々しい人間関係を生きていることを思い出す。また、どんな人間かほとんど知らない人間が、どんな意図で押しているかわからない「いいね!」によって幸福感を得ていることも。なりすましだらけの薄っぺらな舞台装置の化けの皮がはがれると、廃墟の中で亡霊に話しかけていることが暴かれてしまうような。私たちはむしろ、モウリーンとルイスの人間の限界を超えた運命的な絆=コミュニケーションに思いを馳せるべきなのだ。

あまり触れているレビューがないが、映画の中でヴィクトル・ユゴーの降霊術が引用されていることを軽視してはいけない。ユゴーは肉体が滅びても、魂は生き続けると信じ、亡命先のジャージー島(あの『レ・ミゼラブル』を完成させたのもこの島だ)の邸宅で当時流行っていた降霊術を使って、死んだ愛娘レオポルディーヌとの交信を試みた。いわゆるコックリさん方式で、テーブルの上にみんなで手を置き、机がカタカタなる回数を数えて、アルファベットに置き直した。降霊術が流行した背景には、19世紀に生まれた新しい技術、電信技術の普及が背景にあったと言われる。「情報が瞬時に遠方に伝わる」という衝撃的体験は、当時の人々にとっては本当に魔術のように思えたのだろう。

ユゴーの前に現れた霊は文字で交信することを拒否し、まさに死者との交信はモールス信号のような「音」で行われた。文字を操るしかない文学者たちも当時、電信技術に脅威を感じていたようで、ユゴーですら文字はあまりに日常的で安易な方法に思えたのだろう。アルファベットに置き換える必要があったとはいえ、音という直感的なものを媒介とすることに魅了されたのだ。一方、ケータイやスマートフォンの登場で、私たちは以前にもまして、文字を読み、文字を書くようになった。文字に回帰し、依存するようになった。そして毎日せっせと短くて深みのないメッセージを消費し続けている。

19世紀のフランスの交霊術の研究者、アラン・カルデックによると、現世において前世の記憶は凍結されているが、霊的な世界に行くと、これまで転世してきたすべての記憶を思い出す。つまり、霊は記憶情報のようなもので、ちょうど私たちがインターネットに接続して、情報の膨大なストックを呼び出すようなものだ。そのうち、前世の記憶と交流するように、他人の人生を経験できるガジェットが開発されるかもしれないが、今のところはせいぜい文字や画像や動画のやり取りができるだけだ。

それに一個人がインターネットで実際に活用できる情報はほんのわずかで、逆に失っているものの方が圧倒的に多いのかもしれない。常にスマートフォンのメッセージをのぞき込むモウリーンの姿は、彼女が邸宅の暗闇のなかでルイスのサインを待っている姿と重なる。それは一方的に見られる非対称な関係だ。死者は私たちを見ているが、私たちは死者が見えない。かすかな気配のようなものしかわからない。ちょうど、インターネットの向こう側で悪霊のような様々な悪意が私たちをハッキングしようと待ち構えているように。国家さえもこの回路を通して私たちを盗聴し、監視しようとしているのだから(共謀罪!)。

刑事に尋問されるモウリーンの姿は、監視社会では挙動不審者である自由もないことを教えてくれる。つねに言いがかりをつけられるので、一貫性のある行動をとりながら、アリバイ作りにいそしまなければならない。人に説明できるように交換価値に基づいて合理的に行動しなければならない。監視社会の真の恐ろしさは、人生が退屈なゼロサムゲームに貶められることだ。痴情のもつれによる殺人事件に巻き込まれたモーリンが刑事の前で話すことは、ことごとく胡散臭くなる。モウリーンにとって一貫性のある行動が、客観的に説明のつかない、極めて不可解な行動になる。霊感があって、死んだ双子の兄のサインを待っているという状況は、合理的に説明できるどころではなく、気狂い扱いされるだけだ。

最近、ハリウッド版が公開された「Ghost in the shell」のように、一方でスピリチュアルな世界はインターネットによってさほど違和感のない、むしろ親和性のあるものになってきている。死んだルイスは遍在している。インターネットのように、中東にもついてきて、モウリーンにサインを送り続ける。彼女もまたパーソナル・ショッパーという仮初めの仕事をこなしながら、都市を転々とする根無し草だ。またパリで英語を話す外国人でもあった。彼女を中東に呼び寄せたボーイフレンドもフリーランスのプログラマーのようだ。定職に就いて定住するよりも、インターネットを供給源にして、彷徨う霊魂のように生きる。

そして、私たちは最後に、モウリーンがルイスのサインを確認しながら、中東のしたたかな光に包まれる、希望に満ちた光景を目撃する。映像は何も説明せず、私たちに想像させるだけだが(なりすまし男からモウリーンを救ったのはルイスであることが示唆される)、ある最終な場所にたどりついた予感を確実に与えてくれる。それでも死を乗り越える交信は不可能だと誰が否定できるだろうか。ユングが言うように、神秘体験は神秘現象の存在を意味しないのだから。

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2018年04月24日

「モン・ロワ〜愛を巡るそれぞれの理由」

スキーでスピードを出し過ぎて転倒し、負傷した女性弁護士トニー(エマニュエル・ベルコ)が、リハビリに励みながら、愛したジョルジオ(ヴァンサン・カッセル)との過去について振り返る。トニーは治療の最初にカウンセリングも受け、見透かされるように、けがをしたときの心理状態について尋ねられる。ひざにまつわる言葉遊び。genou(ひざ) = je(私) + nous(私たち)…(私たちとは、私とあの男のことだ!)。またカウンセラーはひざについて暗示的な文章を読み上げる。

「ひざは諦めや譲歩と密接な関係にある。後ろにのみ屈折する関節だからである。ひざの痛みは現状を否定する心理と連動する。治療においても同じ心理的道筋をたどる」

実際、リハビリで傷が回復していく過程は、トニーがジョルジオとの過去を反芻しながら、心の整理をし、そうすることで心の傷が癒されていく過程でもある。



二人の出会いが新鮮に感じられたのは、セレブと法曹の世界という、対照的な世界の二人が出会ったからだ。セレブの世界は祝祭的で、性的にも放縦だ。ジョルジオは、自分のことを「ろくでなしの王様 roi des connards 」と呼び、交友関係が派手だが、人を喜ばせ、楽しませる術を知り尽くしている。しかしその分だけ女性関係も込み入っている。ジョルジオはトニーと付き合いながら、モデルの元カノ、アニエスと関係を断つことがことができない。アニエスとの関係を強引に認めさせられ、トニーはそれを納得しようとするが、棘のように喉元に突き刺さっている。

一方トニーは弁護士で、近代の社会制度の担い手にふさわしく、一対一の恋愛と、愛のある結婚と出産に価値を置いている。独占欲も強い。近代以前、恋愛はコントロールできない感情として社会制度の外側にあった。恋愛は既婚者同士の婚外関係にあった。つまり愛人関係にしか恋愛はなかった。フランスは現代においてもそういう恋愛のあり方を引き継いでいるのだろう。セレブの乱痴気騒ぎはそれ以前の乱交的な世界ですらある。ジョルジオはそういう世界の住人で、ジョルジオもトニーに激しく惹かれるが、以前の生活習慣が染みついている。

以前、ジュリー・デルピー監督の『恋人たちの2日間』のレビューで「フランス的性愛の外見的な緩さは、非倫理性を表さない。流動的な関係の中で、にもかかわらず揺らぐことのない「代替不可能なもの」「取替え不可能なもの」を倫理的に模索していると見られるからである」という社会学者の宮台真司の一節を引用したが、そうだとすれば、ジョルジオがフランス的性愛の求道者に見え、むしろトニーはそれに耐性がない。ジョルジオをダメ男と評するレビューが多いが、彼がそうなら、トニーはダメ女である。DV男の餌食になるような腐れ縁を断ち切れない女である。

いずれにせよ、二人の関係は、笑い転げるか、泣き叫ぶかのどちらかだ。まるで「心電図」のように浮き沈みが激しい。トニーは「平坦な関係」が欲しいと言っているが、ジョルジオが言うように、心電図が平坦になったら、それは死を意味する。そもそも、一か八かで憧れのジョルジョにちょっかいを出したのはトニーの方だ。男女関係の本質はふたりの次のやりとりの中の逆説に集約されている。

On quitte les gens pour la même raison. 男と女が別れるのは同じ理由だ。
Exactement ! その通りね。
Pour la même chose pour laquelle ils nous ont attiré en premier lieu. 初めは魅力的に見えていたことが、あとで別れの原因になる。(※1)

恋愛初期の全開のワクワク感は、それを独占できなくなったときの絶望と裏腹で、それを担保に与えられているかのようだ。人間の感情は不自由で、特に嫉妬という感情は致命的だ。そのような感情にどう対処し、未来に向かうのか。トニーは生真面目な人間なので、時間が解決してくれるのを待つしかない。ケガのリハビリに時間と忍耐が必要なように。チンパンジーは目の前の性行為にのみ嫉妬するが、人間は不在のものにも反応できる。嫉妬は人間に特徴的な感情で、人間は粘着質で、恨みがましいのだ。同時に人間は不在のものを表象する力がある。まさにこの作品はトニーの回想力によってできている。(※2)

最後のシーンがポイントだ(ネタバレ注意!)。息子のシンドバッドの通う学校で、親の務めを果たすために彼らは出会う。リハビリ後、初めての再会だ。ジョルジョの髪には白髪が混じり、しわも増えている。それをカメラは執拗に映し出す。出会って10年という設定なので、少なくともアラフォーに達している頃だろう。ジョルジオはバイクで学校にやってきて、最低限の務めを果たすとそそくさと帰ってしまう。学校は学歴のない人間には居心地が悪い。子育てする際には弁護士のような社会的地位が高い方が信用されるのだ。

ここで完全に逆転が起こっている。「私の王様」は急に貧相に見え始め、普通のおじさんになってしまった。ジョルジオとの関係は上手くいかなかったが、そのあいだに有名な事件を担当したり、トニーは弁護士として着実に地位を固めた。すでにジョルジオは嫉妬する側に回り、ほとんどストーカー状態だ。弁護士の立場を利用したのか、美しい息子の親権もしっかり手に入れている。だからと言って、ジョルジオを軽蔑したわけではない。彼女はいとおしげに彼を見つめている。これも恋愛のひとつの境地だ。

心電図のように振れの大きい恋愛を経て、彼女は成長し、以前の彼女ではもうない。美しさも深みを増している。海辺のリハビリ施設で、いろんな出自の若い男たちと楽しくやれるのも、気が若く、人間の幅が広がった証である。いわばジョルジオの世界を取り込んだのだ。

ところで、この映画の監督、マイウェンはリュック・ベッソンの『フィフス・エレメント』で異星人のオペラ歌手、ディーヴァ役を演じたことでも知られている。彼女は17歳でベッソンの子供を出産しているが、彼の方は『フィフス・エレメント』の発表の直後に、その主役であったミラ・ジョボヴィッチのとりこになってしまった。ベッソンに捨てられたマイウェインはうつ状態に陥った。過食症で25キロも太り、アルコールやドラッグにおぼれそうになったという。まさにトニーと似た状況に置かれていたわけだ。

フライヤーでこの作品を「『ベティブルー』から30年!」という強引な紹介の仕方をしていたが、プッツン女とそれに振り回されることに快感を覚える男の映画とは、似ても似つかないことを付け加えておく必要があるだろう。

※1『ふらんす』2017年4月号、対訳シナリオ(中条志穂)参照。 ※2 宮台真司『正義から享楽へ』、「LOVE【3D】」の章を参照。

ふらんす 2017年 04 月正義から享楽へ-映画は近代の幻を暴く-

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posted by cyberbloom at 00:41 | パリ | Comment(0) | フランス映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2018年04月15日

『沈黙』の映画化は成功したか?―スコセッシが描く遠藤周作の世界―

マーティン・スコセッシと言えば、初期には『タクシー・ドライバー』(1976)や『レイジング・ブル』(1980)といった斬新な作品でハリウッドの話題を独占し、その後も『カジノ』(1995)や『ギャング・オブ・ニューヨーク』(2002)といった大作を連発し、近年では『ディパーテッド』(2006)で遂にアカデミー監督賞を受賞、コッポラやスピルバーグと並ぶアメリカを代表する映画監督の地位を確立したとされている。その後も旺盛に新作を発表し続けている彼が遠藤周作の『沈黙』を映画化するという情報を得てから、どれほどの時間が過ぎただろうか。あまりにも時間がかかった為、「企画が流れたのでは?」と思った昨年半ばに「2017年公開決定」の知らせが届き、この作品に期待する者はかたずを飲んで公開日を待ちわびたに違いない。



他方、遠藤周作の『沈黙』(1966)と言うと、世界的に読まれているこのカトリック作家を代表する長編小説であり、彼自身の作品群の中では中期の思想――神の沈黙――を最も如実に示したものと専門家からも見なされている。その小説としての完成度から言っても現代日本文学の最高峰に位置するような作品を、「ハリウッドの映画監督が映画化して大丈夫なのか?」、と誰もが考えたに違いない。しかしながら、このスコセッシという監督が、そのキャリアの初期から宗教に対する深い関心(『ミーン・ストリート』、『キリスト最後の誘惑』など)を示してきたということを知る者ならば、この映画化は当然のことのように受け止められたであろう。

映画を観た者たちは、原作小説に対してスコセッシが示した真摯な姿勢に驚かされたのではないか。ほとんどの場面が原作通りに描かれており、付け加えられた場面や改変された場面はほぼないと言ってよい。それに加え、主人公ロドリゴを演じるアンドリュー・ガーフィールドはもちろんのこと、重要な役割を果たすフェレイラ神父に扮するリーアム・ニーソン、厳しい詮議を推し進める奉行井上筑後守を演じるイッセー尾形、通辞役の浅野忠信、そして物語の鍵を握るキチジローを演じる窪塚洋介に加え、信仰を持つ村人役の塚本晋也、ヨシ笈田、加瀬亮らに至るまで、完ぺきな俳優陣によって固められており、観る者は間違いなく圧倒されることになるだろう。

とりわけ、前半部分に登場するモキチ役の塚本晋也の演技は特筆に値する。塚本は、波打ち際に建てられた木製の巨大な十字架に括りつけられ、激しい波を何度も浴びるという拷問をかけられても信仰を捨てない村人を演じ切る。その姿には誰もが度肝を抜かれるのではないか。塚本と言えば、2015年に大岡昇平原作を映画化した『野火』においても監督を務めるばかりでなく主演もこなし、戦場において狂気に陥る兵士の心理を見事に表現したが、ここにおいても重要な役を文字通り「命がけ」で演じている(本人曰く、「死ぬかと思った」そうだが、スコセッシに対する宗教的な敬愛の念がこの熱演を可能にしたとのことである)。

あまりにも有名な小説なので、粗筋は最小限にとどめよう。敬虔な宣教師であったフェレイラが日本で棄教したという情報がポルトガルに伝わり、その真意を探るべく、ロドリゴらが日本に潜入。そこで苛烈な迫害の実態を目の当たりにし、信徒らの命と引き換えに、彼自身もフェレイラと同様に棄教をしなければならない状況に追い込まれる、という展開である。映画でのキリシタンに対する迫害の場面の凄まじさには誰もが戦慄させられるだろうが、これは遠藤の原作通りであり、実証的に調べ上げられたものだ。このようなことが現実に行われていたということを考えると、迫害も含めた宗教的非寛容にはまともな論理が通用しないことが明瞭に分かる。

優れた映画だが、二点、問題がある。まず、映画のクライマックスで主人公のロドリゴが踏み絵に足をかける場面だが、ここは評価が分かれるであろう。ロドリゴが自らの足の下にある、踏み絵に刻まれたキリストの顔を見つめると、どこからともなく声が聞こえてくるという、あの場面だ。原作では以下のようになっている。

「司祭は足をあげた。足に鈍い思い痛みを感じた。それは形だけのことではなかった。自分は今、自分の生涯の中で最も美しいと思ってきたもの、最も聖らかと信じたもの、最も人間の理想と夢にみたされたものを踏む。この足の痛み。その時、踏むがいいと銅板のあの人は司祭に向かって言った。踏むがいい。お前の足の痛さをこの私が一番よく知っている。踏むがいい。私はお前たちに踏まれるため、この世に生れ、お前たちの痛さを分つため十字架を背負ったのだ。」(遠藤周作『沈黙』、新潮文庫、平成23年、268頁)

ここは、原作が刊行された際にカトリック教会が最も問題視した部分だ。確かに、恐らく、最も解釈が分かれる部分であると同時に、映像化の最も困難な部分であろう。原作では、これを司祭の「心のなかの声」のように描いているように思われるが、スコセッシは明確に「別の何者かの声」としてオフ・ヴォイスで挿入している、という点が異なっている。このように、「神の声」を可聴なものとして表現することに対しては、神学的にはともかく、映画の演出としてはどうしても疑問が残ると言われても仕方がないであろう。

そして、もう一点。原作では少なくとも明確には示されていない主人公ロドリゴが亡くなった後の場面――映画の最後の場面――において、スコセッシが施した一つの仕掛けだ(これはこの映画の核心部分なのでここでは明かさない)。この部分はスコセッシ自身による解釈であり、これに関しても遠藤周作の研究者からは疑問の声が上がるかもしれない。しかし、カトリック教徒であるスコセッシとしては、このような形でしか納得できる終わり方を考えられなかったという点も理解できる。この部分は、この作品を観た者に投げかけられた最後の問いとも言える。

しかし、いずれにせよ、極めて真摯な姿勢でこの映画が作られたことは間違いがなく、恐らく日本文学が外国人の手で、これほど精緻に、一寸の隙もなく映画化されたことはかつてなかったと言っても過言ではないだろう。それはやはり、スコセッシのような日本文化に対する深い理解者がいたからこそ可能であったのかもしれない――彼が日本映画から極めて多くのことを学んだと述べていることは、いまや周知の事実だろう――。その意味では、『沈黙――サイレンス――』の誕生によって、世界映画史の一つの画期となる作品が誕生したと取り敢えずは言えるのではないだろうか。

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posted by cyberbloom at 00:28 | パリ | Comment(0) | 日本と世界の映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2017年04月18日

仏大統領選:過去の大統領選を振り返る

来週はいよいよフランス大統領戦の第1回投票までいよいよ1週間を切りましたが、極右政党「国民戦線(FN)」のマリーヌ・ル・ペン(Marine Le Pen)党首と中道系独立候補のエマニュエル・マクロン(Emmanuel Macron)前経済相が首位を争う中、ここに来て急浮上の急進左派の左翼党のジャンリュック・メランション(Jean-Luc Melenchon)共同党首と、当初最有力候補だったにもかかわらず、大統領選のキャンペーンが始まった早々親族の架空雇用問題スキャンダルに見舞われた右派・共和党のフランソワ・フィヨン(Francois Fillon)元首相との四つ巴の戦いを展開しています。

23日の第1回投票で11候補のうち過半数の票を得た候補がいない場合、上位2候補が来月7日の決選投票に進出することができるのですが、14日に発表された世論調査の支持率では、ルペン党首が23%、マクロン前経済相が22.5%で首位を争っているものの、両者とも一時は25%を超す支持を集めながら、テレビ討論のあとに勢いにかげりが。

一方メランション候補が若者を中心に支持を広げ、1か月で支持率を8ポイント伸ばし、スキャンダル後支持率を大幅に減らしていた共和党のフィヨン元首相は保守層の根強い支持を集め、19%で並んでいます。F2では第1回投票の行方を、過去の大統領選第1回投票1週間前の世論調査の結果から占っています。

2002年4月21日、当時の極右政党「国民戦線(FN)」のジャン=マリ・ル・ペン党首(現党首マリーヌ・ル・ペンの父)(17%獲得)がジャック・シラク(20%獲得)を相手取って決戦投票に勝ち進み、左派に大きなショックを与えました。国民戦線が歴史的勝利を収めた瞬間で、今も記憶に残っています。

実はこの数日前のどの調査でもこのような結果は予想していませんでした。ジャック・シラクは約20%で、リオネル・ジョスパンがジャン=マリ・ル・ペンを大きく引き離して、確実に決選投票に勝ち進むと思われていたのです。こうした番狂わせが起こる原因は indécis(アンデシ)=「誰に投票するか決めていない人」の割合にある、というのが F2 の見立てです。

2007年4月の大統領選では、セゴネル・ロワイヤル(第1回投票25.1%獲得)とニコラ・サルコジ(同29.6%獲得)の一騎打ちでしたが、第1回投票の結果は選挙前予想とほぼ一致していました。2012年のフランソワ・オランド(第1回投票30%獲得)とニコラ・サルコジ(同28%獲得)戦でも、第1回投票前最終週の調査でこの二人が決選投票に勝ち進むとの予想が出ていました。

さて第1回投票前のアンデシ(誰に投票するか決めていない人)の割合ですが、2002年はこの割合が非常に高く35%、一方2007年2012年の大統領選ではそれぞれ19%と30%でした。ところが今回は現時点で、第1回投票数日前というのにまだ誰に投票するか決めかねているフランス人は38%に上り、選挙予想を難しくしています。

第1回投票前、復活祭の最終日曜日16日、メランションはトゥールーズで屋外での大規模集会が行い数万人を集め、マクロンは復活祭の象徴的な日にパリの救済会の宿泊施設を訪ねるなど、アンデシの票を獲得するべく最後の訴えを続けています。

Présidentielle : sondages, retour sur les précédentes élections
JT de 20h du dimanche 16 avril 2017

を参照

noisette

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タグ:仏大統領選
posted by cyberbloom at 22:49 | パリ ☔ | Comment(0) | TrackBack(0) | 時事+トレンド特集 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2016年08月08日

追悼・津島佑子の描いたパリ

2016年2月18日、津島佑子が亡くなった。享年68歳。僕は熱心な読者とは到底言えないが、「生き残った者」をめぐる真摯な作品には、感銘を受けてきた。追悼の意をこめて、パリを舞台にした連作集『かがやく水の時代』(1994)を紹介したい。津島自身が1991年にイナルコ(フランス国立東洋言語文化研究所)で客員教授を勤めた経験を活かした小説である。

主人公で語り手の美佐子は、6歳の息子を亡くしてから8年後、パリで生活を始める。そこでアメリカ生まれの従妹朝子と再会する。また、マリー・エレーヌという老婦人と知り合い、彼女の息子の子供を産んだ日本人のイズミを見舞う。その直後にマリー・エレーヌは亡くなり、美佐子は葬儀に参列する。やがてパリを引き払い、母の若い頃のことを叔父に聞こうと思って、従妹の故郷へ立ち寄ってから、母が入院している東京へ戻る。というのが、おもな筋書きだが、時系列に沿って書かれてはおらず、読み進めるにしたがって、しだいに事態の全容が明らかになってくる仕掛けになっている。

男たちは、およそ頼れる存在としては出てこない。日本へもはや帰れないがゆえに郷愁に囚われる朝子の父親も、すでに新しい恋人と同居していて、前の彼女のイズミが生んだ赤ん坊と同居できない日仏ハーフのオリヴィエも、悪人ではないが、助けにならない。かといって、女たちが逞しいというわけでもない。みんな傷つき、いらだち、人生を持て余しながら、それでも人生を意味あるものにするために、懸命になっている。


この小説で興味深いのは、外国語がいつも、主人公と他者の間の不透明な壁として現れることだ。たとえば、「あとのほうは、フランス語に切りかわってしまった」とか、「おじの言葉は日本語に変わった」、「アサコが自分の言葉、英語で言った」、という風に、会話がどの言語でなされたか、いちいち注釈が入る。英語やフランス語のセリフは、生硬で直截的な直訳調で表現され、しばしば早口についていけず、会話ができなく場面も出てくる。にもかかわらず、亡児への思いが、不自由な外国語の向こうにある人々の痛みまでをも、美佐子に分からせてしまう。

「私がそのもとに帰りたがっているむかしの母に、母自身帰ることができない。姉も帰れない。私の死んだ子どももどうしたって、どこにも帰れない。私はとにかく、その都会を引きあげることにした。失われたものを失われたものとしてはっきり見届けるという、いちばん小さな責任を、まだ私は果たしていないのだった。」死者を、死者として受け入れること。過去を、過去として受け入れること。それが現在を生きることなのだということは、誰でも分かっているが、ほとんど誰も、正面から向き合うことができない。それが、なぜパリでは可能なのか。

同じ街を舞台にした高橋たか子の『装いせよ、わが魂よ』を読んだときも感じたことだが、パリという街は、人を孤独にするがゆえに、人と人との繋がりについて、深く考えさせるところがある。子供の死から逃れるようにパリまで来た美佐子は、かえってそこで出会った人々を通じて、生きているものの儚い繋がりの愛おしさに気づく。そして、、美佐子はついに東京へ戻る決心をする。

『かがやく水の時代』を構成する四つの小説には、石、火、水という神話的要素が題名に入っている。神話的な風景の原点に立ち戻ることも、津島佑子の文学の重要な要素なようだが、これについては、今後よく考えてみなければならない。今日はただ、とくに受賞もなく、あまり有名ではないこの連作集に、彼女がパリで見て考えたことが、見事に語り出されていることを述べて、ささやかな誄としたい。

かがやく水の時代
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津島 佑子
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2016年06月18日

フランス語の綴りが変わる?

「フランス語の綴りが変わる」というニュースが飛び込んできた。実はこの綴り改革は1990年にすでに承認されていたのものだというが、仏紙リベラシオンの記事「Réforme de l'orthographe : ce qui change vraiment 綴り改革:本当に変わるもの」に沿い、改めて一体に何が変わるのか見てみよう。



1990年にアカデミーフランセーズによって承認された綴り改革は、来学期の教科書でより目に見える形にしなくてはならないだろう。アクサンシルコンフレクスは本当に脅かされているのか?解読してみよう。

この改革は1990年にアカデミーフランセーズによって承認されたが、ほとんど適用されてはいなかった。綴り字改革は、次の新学期から新しくなる、学校の教科書に自動的に採用されるだろう。「綴り字教育は1990年12月6日の官報に記載された、修正された綴り字に準拠する」と2015年12月26日発行の国民教育の官報に示されており、水曜にいくつものメディアに指標とされた。フランス語の上級評議会の勧告はアカデミーフランセーズによって有効とされ、2000以上の単語に関わるもので、今後2種類の綴りを持つことになる。2つ書記法が受け入れられ、現在の綴り字は慣用として残るだろう。5つの質問によって解読してみる。

― どの単語の綴り字が変わることになるかもしれないの?

この改革によってまず変わるのは、しばしば私たちの言語が進化する過程で消えた「S」の名残であるアクサン・シルコンフレクスである。CP(cours préparatoire、小学校の準備科、小学校1年生)たちを悩ませているこの「帽子」はもう i や u の文字の上に載せる必要がなくなる。ただしそれが動詞の語尾(「qu’il fût」単純過去)を示していたり、固有名詞だったり、意味の区別をもたらす時を除いて。例えば「mûr 熟した」は、「mur 壁」と混同しないようにアクサンを残す。一方動詞「s’entraîner」はアクサンなしのただの i だけで書かれ、もう誤りとは見なされない。

さらにアカデミーの照準は、トレデュニオンと「ph」の綴りに向けられる。「chauvesouris」「millepatte」「portemonnaie」「weekend」は一語で書いてよいことになる(week-end → weekend)。アカデミー会員たちがまた、直感的に一致しない綴りを簡素化し(「oignon」の代わりに「ognon」、「nenuphar」よりも「nenufar」)、同族の単語の不規則を修正したり一貫性を持たせる(例えば「souffler」と「boursoufler」では、後者は「f」を二つにしてよい)。

他に変わる点として:いくつかのアクサン(「cèleri」「crèmerie」「règlementaire」「sècheresse」)、さらに動詞「laisser」に不定詞が続く場合、過去分詞が不変化になりうる(elle s’est laissé mourir、ils se sont laissé faire)。

全部で、2400の単語、フランス語の語彙のおよそ4パーセントが刷新(リフティング)される。

― 誰がこの改革の影響を受けるの?

安心してください、基本的にあなたが、見直され、修正されたプルーストの改訂版に出会うということはないはずです。改革の修正は、学校図書にのみ適用されます。この綴りの変更の採用を決めたのは、教科書出版社、特に Belin 社です。来学期から配布される、それらの新しい綴りと文法の図書には、先生や親御さんをあまり驚かさないように、「新しい綴り」と記されたマカロン(=丸い印)がついています。

ー どうして新しい綴りを実際に適用するのに、こんなに長く待たされたの?

改革は2016年の新学期から学校教科書において、より存在感のあるものになるが、実は1990年以来適用されていると見なされている。アカデミーフランセーズの勧告はこの日から有効だったのだが、どちらかといえば注目されてこなかった。というのもこれらは義務では全くないからだ。2種類の綴りは受け入れられているし、教師もすべての公務員もどちらも使ってよいのだ。もっともいくつかの過去に出版された教科書、特に Hatier 社の物は、すでにこの新しい綴りを組み込んできた。

来学期の一般化は文部省とは何の関係もないと大臣ははっきり言っており、出版社によって決定されたものだ。フランスの学校プログラムは、そもそも2008年からこの綴り字の修正を採用したのだが、当時の資料が示すように(ここでオンラインでアクセス可)、もっと目立たない形だった。

― アカデミーフランセーズの言い分は?

修正はフランス語の進化に沿ったもので、生徒たちの習得を容易にするものと見なされている。「17世紀から常になされてきたように、また大多数の近隣諸国でなされているように、その使用をより確実なものとし、一貫性があり熟慮された修正を綴りにもたらし続けること」が重要である、とアカデミーフランセーズは1990年の文面で説明していた。アクサンシルコンフレクスの場合、今見てきたように、特に注意を払う対象となったが、アカデミーはそれが「フランス語の綴り字の大きな障害となっており」、「その一貫性のない恣意的な使用」が、「教育のある人々」にまで問題をもたらしていると見なしている。そしてこのアクサンの使用が見直され得ることが正当化されるいくつかの例を挙げる:同族の単語の中での(icône, iconoclaste ; jeûner, dejeuner ; grâce, gracieux)、あるいは発音の点で(bateau, château ; clone, aumône)、一貫性のない使用。

― どうしてこの綴り字改革が批判の対象になるの?

フランス語の改革とその習得に言及すると、しばしばフランス語が貧弱になり、最低に合わせた均等化が起こるのではという人々がいる。「覚えるのが簡単ではないという口実で、フランスの歴史上の日付をなかったことにするだろうか?いいえ。病人を手当てするより、体温計を壊す方が簡単だ。そこでこの際、今日の生徒たちが認める綴りの難しさを手当てするより、体温計を壊すことにした」、ニュースを知り、TF1 にインタヴューされた古典文学の教授はこのように嘆く。別の教授の説明では、改革のせいで、生徒たちに2種類の綴りを教えなくてはならなくなる、なぜなら新しい書記法は今のところ日常生活にまだ入り込んでおらず、後にフランス語の間違いと解釈される恐れがあるということだ。水曜の晩、ネットユーザーたちは、教授たちがアクサンシルコンフレクスが完全に消えると誤って解釈したことに激しく抗議し、ハッシュタグ#JeSuisCirconflexe を投下するほどだった。

Réforme de l'orthographe : ce qui change vraiment
Par Juliette Deborde
4 février 2016
Libération



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2016年06月13日

ジャック・リヴェット追悼

ヌーヴェル・ヴァーグの映画作家ジャック・リヴェットが87歳で亡くなったというニュースは、ごくわずかのフランス映画マニアしか驚かせない類の話かもしれない。リヴェットの映画には、確かにゴダールのような強烈なインパクトもなければ、トリュフォーのような親しみ易さもない。ロメールのような分かり易さもなければ、シャブロルにおける「サスペンス」のように特定のジャンルに括られることもない。しかし、彼が失われたことはフランス映画の「最良の部分」が消え去ったことを意味する。その点では、リヴェットの死は「ひとつの時代の終焉」と言っても良いほどの出来事であろう。

とかく、リヴェット作品は「難解」との烙印を押されることが多かった。『カイエ・デュ・シネマ』誌の元編集長。鋭利な批評家として名を馳せていた彼自身が熱狂的映画ファンであり、「毎日のように映画を観続けていた」という伝説から察するに、「普通の映画」などは何があっても撮ることは出来なかったのであろう。トリュフォー、ゴダール、シャブロル、ロメールが映画作家として快調な滑り出しを見せ、やがて映画界の巨匠への道を進む中、リヴェットだけは12時間以上も上映時間がかかる難解な映画(『アウトワン』)を平然と撮る「呪われた作家」として、孤高の獅子のように映画界に屹立し続けていた。自分の作品が普通に読まれるまで「100年以上かかるだろう」と言ったニーチェと同様に、受け入れられるまでに一体どれくらいの歳月がかかるのかとリヴェット本人も思っていたに違いない。

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リヴェットはそのキャリアの最初から「演劇」と「陰謀」というテーマに憑りつかれた作家だった。長編デビュー作『パリはわれらのもの』では劇団員の活動とその背後に蠢く陰謀がテーマとなるが、1970年代から80年代の作品群―『アウトワン』(1971)、『セリーヌとジュリーは船で行く』(1974)、『北の橋』(1981)、『地に堕ちた愛』(1984)―においても、そのテーマが陰に陽に現れては繰り返され、その中で、ビュル・オジエ、ジェーン・バーキン、ジェラルディン・チャップリンといったお気に入りの女優たちが不可思議な冒険を展開する。それが最も洗練された形で結実するのは『彼女たちの舞台』(1989)であり、日本においてもこれ以降、彼の作品がコンスタントに公開されるようになっていく。

1990年代以降のリヴェットは、1970年代の「カルト作家」扱いがまるで嘘であったかのように、次々に話題作を撮る映画作家へと変貌する。エマニュエル・ベアールを主演に据えた『美しき諍い女』(1991)ではカンヌ映画祭審査員特別グランプリを受賞。続く『ジャンヌ・ダルク』二部作(1994)では、ドライヤーやブレッソンによる映画史上の名作に挑みかかるように独自の救世主像を提示。さらに『パリでかくれんぼ』(1995)ではミュージカルに挑戦、ゴダールの妻だったアンナ・カリーナまでスクリーンに呼び戻し、自由で溌剌とした作品を産み出す。その勢いは2000年代になっても止まらず、『恋ごころ』(2001)や『ランジェ公爵夫人』(2007)でも多くの観客を唸らせた。

このように、時代によってその扱いがガラリと変わったリヴェットだったが、彼自身は基本的には何も変わっていなかったように思われる。フランスのドキュメンタリー番組『現代の映画作家』シリーズのリヴェット編(クレール・ド二監督)では、夭折した批評家セルジュ・ダネイを相手に滔々と語るリヴェットの姿が鮮やかに映し出されているが、自分の人生や撮影技法、創造の秘密について語る彼の様子はひたすら陽気で驚かされるほどだ。それは、韜晦なことを語って相手を煙に巻くタイプの芸術家とは対極的な姿勢であり、笑みを絶やさない彼の顔からは純朴な人柄が窺われ、多くの役者を惹きつける魅力が彼に間違いなく備わっていたことがはっきりと分かる。

リヴェットの死に際し、女優アンナ・カリーナは「フランス映画はもっとも自由で創造的な映画作家の一人を失った」と追悼の言葉を述べたが、まさにその通りであろう――カリーナ主演で撮影されたディドロ原作の『修道女』(1966)はカトリックを批判した作品であるが、リヴェットは宗教界から敵視され、この作品は上映禁止処分を受けたことがある――。実際、リヴェットはいかなるイデオロギーにも党派にも思想にも縛られることはなく、只々、自分自身にだけ忠実な映画作家だったと言えよう。ここまでやりたいことをやり切った映画作家というのは、映画史を見渡してもそうはいないのではないだろうか。しかし、いまそのような映画作家が世界に何人いるだろう。その意味で、彼の死は作家の自由な想像力=創造力がどこまでも許された「ひとつの時代の終焉」なのであろう。


不知火検校

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2016年04月09日

真の「作家」の去り方―宮崎駿『風立ちぬ』を観て

宮崎駿の最後の作品となるらしい『風立ちぬ』を観た多くの者は、当惑を覚えずにはいられなかったのではないか。これが、本当にあの『千と千尋の神隠し』(2001)と『ハウルの動く城』(2001)を世に送り出した映画監督の作品なのだろうか。もちろん、そんじょそこらのアニメとは比較にならない高水準の作品であることは間違いない。しかし、『千尋』や『ハウル』に溢れかえっていた夢幻性や躍動感は影をひそめ、作品はひたすら昭和初期の日本の暗い現実に焦点を絞ろうとする。一体、宮崎は何を表現しようとしているのか。

『風立ちぬ』はその表題からも明らかなように、宮崎がその文学的な源泉を明確に示した作品だと言えよう。もちろん、『ハウル』にも有名な原作小説はあるし、『もののけ姫』(1997)や『千尋』からも日本古典文学に対する作者の造詣を窺い知ることができた。しかし、文学が通奏低音として響いていたこれらの作品と比べ、『風立ちぬ』は文学的主題が前面に押し出されているように思える。それは一見したところ、宮崎が羨望を持ち続けてきた旧制高校的文学世界への賛歌と思えるほどだ。

風立ちぬ [Blu-ray]のっけから二人の主人公(二郎と菜緒子)は堀辰雄の『風立ちぬ』にエピグラフとして掲げられたポール・ヴァレリーの詩「海辺の墓地」の一節 (Le vent se lève. Il faut tenter de vivre.) を口にする。ここで宮崎は「風が起こる。生きることを試みなければならない。」という直訳を用いている。その意味を観客にはっきりと伝え、この作品の主題を明示する為だろう。この作品はあくまで零戦の設計者である堀越二郎が主人公なのだから、彼の半生が描かれればそれで良いはずだ。だが、宮崎はそこにほとんど強引に堀辰雄の影を重ねる。二郎はヴァレリーのみならず、西条八十が訳したクリスティーナ・ロセッティの詩までを暗唱する(「誰が風を見たでしょう 僕もあなたも見やしない…」)。もちろん、旧制高校出身の秀才がこれらの詩を暗唱することに違和感はない。だが、ここまで強調されるとそれは単なる人物造形の枠を飛び越え、登場人物を現実から遊離した詩的存在、文学的存在へと飛翔させてしまうかのようだ。「風」という言葉をキーワードのようにして、この作品は文学的な世界を旋回するように進んで行く。

その文学的な背景が極まるのは、物語の中盤に狂言回しのように現れる謎のドイツ人カストルプによってである。カストルプとはもちろん、トーマス・マンの『魔の山』の主人公の名であり、彼自身も「魔の山」という言葉を次郎との会話の中で律儀にも口にする。長編小説『魔の山』は、結核の治療の為に入ったスイスの療養所の中で、主人公のハンス・カストルプが様々な人物に遭遇し、奇怪で眩惑的な出来事を次々と体験することによって、人間の生涯の意味を理解する、という内容であった。一方、『風立ちぬ』の中のカストルプはそんな魔の山から戻ってきたかのような人物で、二郎に対して生の意味を問いかけ、彼に覚醒を促す。その姿は謎めいており、むしろメフィストフェレスを思わせる。しかし、ゲーテであろうがマンであろうが、いずれにせよ、ここには旧制高校的ドイツ教養主義の土壌、精神風土が色濃く立ち込めているように思える。

風立ちぬ [DVD]ここまで見せられると、宮崎が確信犯的に文学的濃度の高い作品を作ろうとしていることを、観客はいやでも認めざるを得なくなる。この文学世界を受け入ることができない観客はもう『風立ちぬ』の世界から排除されることになるであろう。しかし、このようなことはこれまでの宮崎作品には有り得なかった。なぜならば、これまでの宮崎作品は、文学や思想などというものからは明確に距離を取りつつ、登場人物たちが見せる軽やかで目も眩むような飛翔や跳躍によって観客を映画の中に引き摺りこみながら、その鮮やかな運動の様を飽くことなく提示し、そのこと自体を映画の核として来たからだ。もちろん、『風立ちぬ』の中にも当然ながら飛行機が鮮やかに滑空する場面は何度もある。しかしながら、この作品ではそれがメインとなっていないのだ(何よりも、肝心の零戦が飛ぶ場面がほとんどない)。宮崎はその生涯で、初めて、そして最後に、「運動」よりも先に「文学=思想」を据える作品を作ってしまったのである。

このように文学=詩への愛着を見せる『風立ちぬ』という作品が、荒井由美の「ひこうき雲」の「詩」によって終わりを迎えるのは必然的な流れと言える。この作品は彼女が17歳の時に作詞したものらしいが、その年齢の時にのみ書くことが可能であろう、研ぎ澄まされた鋭敏な感性に貫かれている。「誰も気づかずただひとり」、「何もおそれない」、「ほかの人にはわからない」、「あまりにも若すぎた」のような、刺すように聴く者の心を捉える歌詞。これらの単純な言葉はそれゆえに重みを持ち、一行の変更の余地もない。そして、この溢れんばかりの詩的感性が『風立ちぬ』という作品を閉じるのに十分な役割を果たしていることは、映画を観た誰もが認めざるを得ないであろう。

宮崎は初めて自分の作品を観て泣いたという。それは、この作品が最後になることを確信していたからであろうが、そればかりではなく、「文学=思想」が「運動」を超える映画を自分が作ってしまったことへの悔恨と畏怖、そして驚きゆえではないのか。宮崎は元々思想の人であった。それは彼がたびたび発する政治的発言から窺い知ることができる。しかし、その類まれなる創造者としての才能は彼自身の思想が露わになることを隠し、彼をして「映像美」の作家としての地位を確立させるに至る。だが、彼は最後の最後で「文学=思想」を直接的に表現する映画を作ってしまった。それは彼の美学から言えば決してやってはいけないことであり、作家としての死を意味するものだった。だが、実はそれこそ彼が本当にやりたかったことではないのか。宮崎の涙は、あらゆる束縛から解放され、初めて作りたい作品を産み出した思想家の満足感のように思えるが、事態はそれだけではない。

長く宮崎の作品を観てきた者を『風立ちぬ』がさらに驚かすのは、主人公二人の直接的な愛情表現の描写である。こんなことはこれまでの彼の作品には有り得なかった。『ルパン三世カリオストロの城』(1979)の最後、クラリスはルパンに胸に縋るもののルパンは彼女を引き離す。『風の谷のナウシカ』(1984)で、ナウシカの傍にいるのは常に動物たちであり、恋人の姿はない。『魔女の宅急便』(1989)のキキもしかり、淡い初恋のようなものはあっても、恋人らしき存在はない。『紅の豚』(1992)のポルコは自ら恋を禁じた存在。『もののけ姫』のアシタカとサンの距離は二人の宿命ゆえに縮まることはない。『千と千尋の神隠し』の千尋にとって、ハクは恋人と言うよりも保護者のような存在だ。わずかに『ハウルの動く城』のハウルとソフィーだけが、物語の最後で初めて愛を確認するがこれは貴重な例外である。宮崎アニメの主人公で愛の告白をしたのはひょっとしたらポニョだけかもしれない(「ポニョ、宗助のこと好き」、『崖の上のポニョ』(2008))。

それに対して、今回、主人公二人の愛の描写を宮崎は前面に押し出した。それも、ほとんどメロドラマに陥る寸前のところまで行っている。何より、登場人物の軽やかな跳躍こそが真骨頂であったこれまでの宮崎作品に対して、二人の男女の駅での抱擁シーンが『風立ちぬ』のクライマックス・シーンとなっている点にすべてが集約されているのではないか。そこで、彼らは二人そろって空を飛ぶこともなければ、駆け回ることもない。ただ、ひたすら肩を寄せ合いながら二人だけの時間をひっそりと過ごすだけなのだ。そこに、この映画の法則が「動」ではなく「静」であるということがはっきりと示されていると言える。愛を得た登場人物たちはもう動くことを必要としていない。これもまた宮崎作品としては例外的事態と言ってよいだろう。

「動」に対して「静」の優位を、つまり、「活劇」に対して「文学=思想」と「静寂な愛」の優位を選択するとき、宮崎の作品は当然ながら終わりを迎えざるを得ない。それは、これまで彼自身が築き上げてきた全てのものを否定する行為に等しいからだ。しかしながら、自分の作品をすべて否定するかのように去っていく作家というのは何と清々しく見えるのだろうか。そして、生涯を賭けたものを否定するようなことができる者こそ、真の「作家」と呼べる存在なのではないか。『風立ちぬ』という作品を観るとき、私はそんな思いに囚われざるを得ない。


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2016年04月06日

ディオール兄妹の戦争

1944年8月15日、聖母昇天祭の祝日。じりじり照りつける夏の大陽が沈みパリが闇に包まれた時、パンタン駅から貨物列車が出て行きました。積み込まれていたのは人間。レジスタンスに加担したとして逮捕され、市内の幾つもの刑務所に収容されていた2,457人もの人々が、ドイツ国内の強制収容所へ移送されていったのです。数百人の女達も含まれていました。覗き窓が一つあるきりの貨車に身動き取れない程詰め込まれ、ひどい暑さとひといきれのあまり服を脱ぎ、汗まみれの下着姿というありさまで。動き出した列車からは、人々が唱和する『ラ・マルセイエーズ』が流れてきたと言います。パリ解放の、ほんの数日前の出来事でした。

その中には、ファッション・デザイナー、クリスチャン・ディオールの末の妹、カトリーヌがいました。2,000人を超える人々が関わった地下抵抗組織マッシフ・セントラルの一員として6月に逮捕され、獄に繋がれていたのです。彼女がレジスタンス活動に加わったのは1941年、24才の時。恋に落ちた相手がたまたま組織の設立メンバーだったということもあったとはいえ、人生を左右する重い決断でした。

当時のフランスでは、ドイツ軍の占領下様々な制約が課せられていたものの、平穏な生活を営むことはできました。ひたすら耐え忍び、禁じられていたBBCのラジオ放送をこっそり聞いて連合国軍がドイツ軍を破りじりじりとやって来るのを待つ―多くの普通の市民が選んだのはそんな暮らしでした。しかし、その選択肢を捨てレジスタンスに参加した人々には、日々「死」を覚悟する生活が待っていました。

ゲシュタポをはじめとする占領ドイツ軍は抵抗勢力を根絶やしにすることに血道を上げており、逮捕されれば苛烈な尋問が待っています。拷問に屈して情報を漏らせば、さらに犠牲が広がる―組織を、仲間を守るために、関与の有無はおろか自分の名前すら明かす事なく命を落とす人が少なくなかったといいます。ある日突然姿を消し、誰にも知られる事なく獄死したレジスタンスの活動家達が、今もフランス各地にひっそり眠っているのです。「解放」の日がいつになるのか全くわからない状況―それでもカトリーヌは、組織の歯車の一つとして生きる事を選びます。

属していた組織は、ドイツ軍の兵力・武器・動向といった軍事情報を取り扱う機関で、カトリーヌは秘密情報をレポートにまとめ、運ぶ任務についていました。自転車であちこち駆けずり回り、指定された場所に行き情報を手渡すのです。同じ組織の仲間は、当時のカトリーヌについてこう回想しています。

「私たちは、自転車の上で暮らしていたといってもおおげさでないくらい、毎日毎日ペダルを漕いで走り回っていました。午前中は数名の仲間のもとへ、午後は秘密会議が開かれている場所へといった具合に。カトリーヌは、自転車に乗りやすいようロングスカートを切って長いスリットを開けていました。ニットの帽子に、お母さんからのお下がりの短い毛皮のジャケットをはおり、長いウールの靴下をはいて、少女のようにかわいらしかった。街路を駆け抜けるその姿を、男たちが目で追っていましたっけ。』

取り締まりは厳しさを増す一方で、昨日は一人、今日は二人と仲間たちが逮捕され、消えてゆきました。非情な現実をかみしめる日が増えてゆきます。それでも、カトリーヌは働きつづけました。空家同然になっている兄クリスチャンのアパートを拠点にして(仕事場にこもりきりだったクリスチャンは妹が自分の部屋を何に使ってるのか知りませんでした)、ゲシュタポが乗り込んで来る日まで。

口を割らなかったカトリーヌは獄中に捕われたまま、移送の日を迎えます。クリスチャンは顧客であるドイツ軍のつてをたよりに何とか逮捕された妹を救い出そうとしましたが、果たせませんでした。彼だけではありません。様々な人々が、ドイツへの移送を止めようとあらゆる手を尽くしました。刑務所から駅へ向かうバスを故障させたり、列車の走行を阻止する妨害工作もなされました。ついには中立国スウェーデンの領事ノルドリングが、パリ占領軍の指揮官コルテッツ将軍との交渉に成功し、フランス国内で捕われているユダヤ人、政治犯全員を解放し赤十字の保護下に置いてよいという約束を取り付けます。しかし、この取り決めがなされた時点で、貨物列車は国境を越えドイツ国内に入ってしまっていたのでした。クリスチャンは、無事を祈りひたすら待ち続けました。「妹さんは戻ってきます」という、千里眼の言葉だけを信じて。

カトリーヌは女囚専用の強制収容所レーゲンスブリュックへ送られ、兵器工場で働かされました。慢性的な飢え、伝染病が蔓延する劣悪な生活環境、そして常に死と隣り合わせでいることを強いられる目を覆いたくなるような日常を、彼女は生き延びます。幾つかの収容所を転々とした後、1945年5月に解放され、幸運にもパリに戻ることができたのです(あの夏の日に移送された2,457人の仲間達のうち、フランスへ帰ることができたのはわずか数百人でした。)。自分と年が変わらないほどに老けこみ、面やつれした12才下の妹を見たクリスチャンの胸中はどんなものだったでしょう。食料難の中苦労して手に入れた食材で兄がせっかく拵えてくれた大好物のチーズ・スフレにも手をつけられないほど、カトリーヌは衰弱していました。収容所での日々は、それほど過酷だったのです。

妹がドイツ軍に逆らい命を危険にさらす日々を送っていた頃、クリスチャンはある意味ドイツ軍に「仕えて」いました。占領後も営業を続けていた数少ないクチュリエ、ルシアン・ルロンに雇われ、デザイナーとして働いていたのです(同僚にはピエール・バルマンがいました)。ドレスのデザインは、30代も半ばを過ぎた彼がようやく見つけた、情熱を傾けられる仕事でした。それまでのクリスチャンは、流され漂う人生を生きてきたとも言えます。裕福なブルジョワ家庭の次男として何不自由なく育ち、息子を外交官にさせたい両親の意向で名門パリ政治学院に進学、その方面の勉強はしたものの芸術への志向はやみがたく挫折。少しでも美に関わる仕事をと友人と共同経営の画廊を開きますが、やがて訪れた世界大恐慌のせいで閉店に追い込まれ、実家は破産。精神的、経済的な支えを失い、友人の家を転々とする無為の日々を送りさえしました。戦争により兵役についたためせっかく掴んだ雇われデザイナーの職をいったん失ったクリスチャンにとって、ルロンの下で再びデザイナーとして働く事は糧を得る手段以上の大きな意味を持っていたのです。滅多にアパートに帰らず、アトリエに入り浸っていたという日常からも、その意気込みが伝わってきます。

一方、ドレスを作るということは顧客を喜ばせるという行為でもあります。ルロンの上得意は、ドイツ軍人の妻や娘、秘書たち、ドイツ軍の取り巻きとなったフランスの女達でした。パリにはドイツ軍を中心とする「社交界」があり、庶民が深刻な食糧難に苦しむ一方で戦前と変わらぬ豪勢な食を楽しむ華やかな宴が開かれていたのです。仕事と割り切っていたとは思うものの、クリスチャンが複雑な立場に置かれていたことは想像に難くありません―レジスタンスの妹がいる身としては余計に。(パリ解放の時、ドイツ軍将軍の秘書は、街角でつばをはきかけられたことを記憶しています。パリで誂えたスーツを汚したのは、その服の仮縫いをしたお針子だったそうです。)

もろもろの事情を抱えた兄が占領下のパリでしていたことは、無抵抗で消極的に見えます。しかし、現在の視点から見れば、クリスチャンの行為−フレンチ・モードのドレスを作り続けたこと―は、フランスの文化を守る静かな戦いであったと言えます。パリ陥落前から、ナチスはベルリンをヨーロッパのファッションの中心地にしようともくろんでいました。(ドイツ軍占領を見越して有名クチュリエのメゾンがいくつも閉じましたが、ナチスにとっては願ったり叶ったりなことだったのです。)しかし、妻や娘達、恋人のパリモードへの憧れを吹き消す事はできませんでした。かつてほどの華やかさ、活気はないものの、手の込んだ優雅なドレスは作り続けられ、より美しい一着を生み出す創造性と技術が守られ、結局ナチスのもくろみは頓挫したのです。

1945年、ドイツは降伏し、長い戦争はついに終わります。クリスチャンは独立し、“ニュー・ルック”を発表、戦後のフレンチ・モードの代名詞と呼ばれるまでに登り詰めてゆきます―戦争をともに生き延びた、フランスのファッション業界とともに。カトリーヌは、その戦時中の活動と犠牲により、フランス政府からいくつも勲章を授かりました(そのうちの一つは、戦場で大きな功績があった兵士だけに贈られる特別なものでした)。療養ののち、彼女はレジスタンス時代からの恋人と、花を扱う商売を始めます。世界のあちこちにあるフランス領の国々から届いた花を卸す仕事で、朝4時にはレ・アールの中央市場にある店を開け働く、静かな日々を送りました。仕事から離れてからも、花は常にカトリーヌのそばにありました。2008年に91才で亡くなりましたが、プロヴァンスにある自宅の庭は、丹精して育てたバラやジャスミンといったお気に入りの花で埋まっていたそうです。

*華やかな兄の世界には足を踏み入れなかったものの、カトリーヌはクリスチャンと親しい関係にありました。ディオールの定番の香水『ミス・ディオール』の名前は、クリスチャンがアトリエでスタッフと新しい香水の名前を考えていた時に、兄に会いにきたカトリーヌがひょいと顔をのぞかせたことから着想されたそうです。

*2013年、この香水にちなんだ展覧会が開かれました。レジスタンスの女性達をモチーフにした作品も展示されたそうです。会場の模様はこちらでどうぞ



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posted by cyberbloom at 21:54 | パリ ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | ファッション+モード | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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